「フィードバック」という名の関所
いつぞやかのプロモートのフィードバックで、俯瞰しすぎていると言われたことがある。
結局その時はプロモート、いわゆるワンランク上のポジションにつくことが出来なかった。
俯瞰することが悪いわけではないし、必要なことだけれど、その時の会社はチームプレイを大事にしていたから、理にかなっていない姿勢だったことは理解している。
「俯瞰している」と言われてから、どこにその影響が出ているのかと思い、自分自身を俯瞰してみたことがある。
この時点ではたと気が付いたのだけれど、全てにおいて距離があるのだ。
他人に対しても、自分自身に対しても。
まるで幽体離脱しているような感じだった。
他者とも距離があるとどうしても、コミュニケーションの際に、言葉で相手を傷つけることがある。
意図して傷つけようとしたわけではないのだけれど、とても突き放しているような感覚を相手に与えてしまうらしい。
「言葉」は難しい。
特に日本語は様々な言い方、前後の文脈、そして「行間」という名の読む空気がある。そこにイントネーションや表情、声音が付いてくる。
よくよく考えれば、「喋る」とは膨大な量の情報を相手へ渡しており、相手もその膨大な処理をこれまでの経験則で捌いていっているわけである。
そして聞き手の感情や体調で、いつもなら気にもならない単語を無駄に拾って、無駄に勘ぐってしまったりもするわけである。
前職で下の子のフィードバックをする時、どう伝えたらいいものか悩んだ時があった。
わたしが吐く言葉はどこか飄々と冷たく、客観的が故、たまにジャックナイフとなってしまうと、店長からやんわり言われたことがあった。
人それぞれであるとは思うけれど、「寄り添う」ような言葉とか、相手が聞きやすい言葉って何なんだろうと考えていた。
相変わらずその答えは出ないし、これはトライ&エラーなのかもしれないと最近思うようになった。
けれど一つ言えるのは、わたしがもしフィードバックされる側だとしたら、「寄り添う」ようなやり方は少し苦手かもしれないという事。
「わたし」に対しての理解度を示してもらい、そこからフィードバックされるのが、一番素直に聞けるのだなと思った。
つまり、「寄り添う」タイプの子は苦手なのかもしれない。
人と関わる事は大変だけれど、面白い。
おしまい