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医師を志した原点と、死生観と「優しさ」

死生観を考えるようになったきっかけ

死生学から見たやさしさとは何だろうかと考え始めたのは、医者になろうと本気で考え始めた頃でした。人の役に立てる仕事に就きたい。困っている人を目の前にした時に、何もできない自分ではいたくない。

最もヒトが助けを必要とするのは、どんな時だろう…。
それは、死と向き合うとき。なんとなく、そう思いました。

ヒーローみたいな、スーパードクターにはなれないけれど、静かに寄り添い、最後まで見捨てないドクターもいてもいいはず。そんな想いからの出発でした。

医学部1年生の時、介護施設での実習がありました。そこでの、あるお年寄りのお言葉が今も忘れられません。そこには、認知症の方が多くおられ、同じ話を何度も聞いたり、食事の介助をしたり、初めての経験がいくつもありました。そして最も印象的だったのが、「やさしいお医者さんになってください」と何度も言われるおばあさんの言葉。どこか寂しさが入り混じるような、やさしい表情でした。

手術や薬で、病気をしっかり治すのも、医者としてのやさしさ。苦痛を取り除き、安心と満足を届けることこそ、医療におけるやさしさです。

苦痛には、肉体的なものと、精神的なものがあります。安らかさにも、体と心の2通りがあります。どちらも人間にとって大切なものです。

死生観と優しさ

ちょうどそんなことを考えていた頃、太宰治のきれいな言葉に出会いました。

「私は優という字を考えます。これは優(すぐ)れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でももう1つ読み方があるでしょう?
 優(やさ)しいとも讀みます。
 そうしてこの字をよく見ると、人偏(にんべん)に、憂ふと書いています。人を憂(うれ)へる。ひとの寂しさ侘しさ、つらさに敏感な事、
 これが優しさであり、また人間として一番優(すぐ)れている事ぢゃないかしら」

1946年4月30日付け 河盛 好蔵あて書簡

寂しさに気づいてくれる人は、寂しさを知っている人です。
つらさに寄り添ってくれる人は、きっとツラい経験を乗り越えた人。
特に医療職は、自分の経験が誰かに対するやさしさに直結しやすい仕事です。
「やさしさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている」とは、明石家さんまさんの名言。
憂いや悲しみを知るやさしさを持ちたい、そんな医者になりたいと思いました。

「憂い」という詩もあります。作者は、相田みつをさん。

「むかしの人の詩にありました
 君看よ双眼のいろ
 語らざれば憂い無きに似たり
 憂いがないのではありません
 悲しみがないのでもありません
 語らないだけなんです
 語れないほどふかい憂いだからです
 語れないほど重い悲しみだからです
 人にいくら説明したって
 全くわかってもらえないから
 語ることをやめて
 じっと こらえているんです
 文字にもことばにも
 到底表わせない
 ふかい憂いを
 おもいかなしみを
 こころの底ふかく
 ずっしりしずめて
 じっと黙っているから
 まなこが澄んでくるのです
 澄んだ眼の底にある
 ふかい憂いのわかる人間になろう
 重いかなしみの見える眼を持とう
 君看よ双眼のいろ
 語らざれば憂い無きに似たり
 語らざれば憂い無きに似たり」
  みつを

語らないのは、訴えがないのではない。
こういう憂いに敏感なことこそ、優しさだと思います。

苦しみには、表面に表しやすいものと、表面に現れにくいものがあります。憂い、寂しさ、侘しさ、つらさ、悲しさは、後者のことが多いでしょう。
特に、死を見つめる心は、未知の領域だけに言葉にしづらいものがあります。それは言葉よりも「沈黙」という形で表現されることが少なくありません。しかし「沈黙」は、えてして共有することが難しいものです。
耐えきれずに、言葉を発してしまったり、その場を離れたりしたくなるものです。
その意味で、忍耐もまたやさしさであり、言葉に表されない、声なき声に耳を傾けることも、大切な“やさしさのカタチ”です。

コミュニケーションで最も大事なことは、
 語られていないことに耳を傾けることです。
The most important thing in communication is
  hearing what isn't said.

ピーター・ドラッカー

声なき声に耳を傾け、
表出されずとも奥底にある悲しみやつらさに気づけるような、
そんな人間でありたい、
そんな死生観をもちたいと思いました。

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