Kaz.K

都内中高一貫ぬるま湯校→オタク大学メカ系→変人大学医学部 脳神経内科医 クリニック院長…

Kaz.K

都内中高一貫ぬるま湯校→オタク大学メカ系→変人大学医学部 脳神経内科医 クリニック院長 もう還暦を迎えました。 今までの経験やこれまで聞き及んできた話を書いています。 昔こんな体験したからこんな(変な)コメントを書くんだと思っていただければ幸いであります。

最近の記事

薬の処方権を薬剤師や看護師にも与えろという人がいるが、薬は処方するより処方「しない」と決める方が重要なのだよ。 「抗生剤は出しません」とか「睡眠薬は出しません」とかね。 医者じゃない人にできるんだろうか?

    • 「救急車を断りません!」っていう病院に勤めていたけど、院長が外部にそう発表しただけで院長自身は救急車が来ても病院に来ないんだよ。(と言うか放射線科医なんだけど・・・) 自分は言うだけなんだから簡単。

      • 救急医療の話

        私が医師になったばかりの平成の初め頃は、今ほど救急患者が多くなかった。 というか救急体制というもの自体があったのか、よくわからない。 病院というのは患者さんを預かっている以上、必ず医師が1人は常駐している。夜中でも必ずいる。 ただ、めったにない緊急事態に備えて泊まっているだけで、基本的になにもしない。だから翌日は通常勤務である。こういうのを当直という。 昔は呑気なもので、当直室でテレビを見てゴロゴロして、状況を見て何もなさそうなら近くのラーメン屋に夜食を食べに行ったり(そ

        • 旧制商大と旧帝大文系学部

          私は理系で経済学、商学部には行ったことがないし、企業に就職したこともないのでよく知らないのだが、以前旧制工業学校について書き、バランスの問題もあるので旧制商業についても知っている範囲で書いておこう。 商学、農学については学問というより実務が重要なこともあり、帝国大学に組み込まれるのは後になった。 工学部にしてもまず東京帝国大学に設置されたものの実務家の養成を主体とする学校が別に必要であった。 そのため各地の産業構造に合わせて工業が盛んな地域には高等工業学校、同様に商業が盛

        薬の処方権を薬剤師や看護師にも与えろという人がいるが、薬は処方するより処方「しない」と決める方が重要なのだよ。 「抗生剤は出しません」とか「睡眠薬は出しません」とかね。 医者じゃない人にできるんだろうか?

        • 「救急車を断りません!」っていう病院に勤めていたけど、院長が外部にそう発表しただけで院長自身は救急車が来ても病院に来ないんだよ。(と言うか放射線科医なんだけど・・・) 自分は言うだけなんだから簡単。

        • 救急医療の話

        • 旧制商大と旧帝大文系学部

          医者として高齢者を延命しようなんて思ったことはない。 若くして病に倒れる人を減らしたくて頑張ってきたつもり。 そうしていたら、みんな長生きするようになっちゃったんだよ。

          医者として高齢者を延命しようなんて思ったことはない。 若くして病に倒れる人を減らしたくて頑張ってきたつもり。 そうしていたら、みんな長生きするようになっちゃったんだよ。

          大病院でも一般社会ではせいぜい中小企業位の規模。でかい開業医みたいなもの。 院長って言っても医者ってだけで大した見識もなく、狭い自分の科のことしか知らないとか、別に名医でもないことも多い。

          大病院でも一般社会ではせいぜい中小企業位の規模。でかい開業医みたいなもの。 院長って言っても医者ってだけで大した見識もなく、狭い自分の科のことしか知らないとか、別に名医でもないことも多い。

          医学部博士課程の話(後編)

          なんの成果も出ないまま2年生になった。 しかもこの期に及んで教授選のゴタゴタの影響で、なんと属していた研究グループが廃止になってしまったのである。 今までやってきた研究はパー。というかなんの成果もなかったので別にどうでもいいのだが。 で、基礎医学系の研究室(発生学)の准教授の研究を手伝うことになった。 この辺は大学によって事情が違うと思うが、母校では基礎研究の規模が大きく研究者が常に不足しているので、基礎医学の研究室に出向のような形で研究することも認められていた。 私なら

          医学部博士課程の話(後編)

          医学部博士課程の話(前編)

          他学部だと博士になると就職がほぼ大学に限定され民間企業にはかえって就職しにくくなるが、医学部の場合は少なくとも就職に邪魔にはならない。 なぜなら前にも書いたが医師の生涯教育は大学ごとに縦割りになっていて、結局ずっと大学が関わってくるからだ。病院に勤めていても地域の主要病院は地元の大学の出先機関のようになっている。つまり病院も有名どころは大学の延長なのである。こういうところでは博士号があって一人前なのだ。 とは言っても博士号があってもなくても給料はさほど変わらないので、逆にそ

          医学部博士課程の話(前編)

          また別の自称ヘッドハンターからダイレクトメール。ケアミックス病院の脳神経内科部長にならないかと。別に興味なし。こういうの年齢的にもう来ないかと思っていたが人手足りないんだね。

          また別の自称ヘッドハンターからダイレクトメール。ケアミックス病院の脳神経内科部長にならないかと。別に興味なし。こういうの年齢的にもう来ないかと思っていたが人手足りないんだね。

          救急病院に勤めているとゴールデンウイークや年末年始って一番忙しい。救急から離れてやっと休めるようになった。

          救急病院に勤めているとゴールデンウイークや年末年始って一番忙しい。救急から離れてやっと休めるようになった。

          勤務医か開業医か、みたいに言うけど病院だってデカい開業医に過ぎないので勤務医は開業医の下で働いているようなもの。 それより病院勤務か診療所勤務か、公立か民間か、の区分のほうがより問題だと思うのだがそういう話はあまり出ない。

          勤務医か開業医か、みたいに言うけど病院だってデカい開業医に過ぎないので勤務医は開業医の下で働いているようなもの。 それより病院勤務か診療所勤務か、公立か民間か、の区分のほうがより問題だと思うのだがそういう話はあまり出ない。

          大阪大学医学部学士入学試験「不」合格体験記

          私が受けたのはもう35年以上も前の話になる。今でも学士入学試験はあるが、制度、科目が全然違う。 だから今の人には参考にならないだろう。 まあ不合格体験記だからもともと大して参考にならないだろうが昔の雰囲気を書き残しておこうと思う。 当時は医学部の学士入学試験は大阪大学だけであった。 定員は20人 通常の大学入試の後の3月半ば頃に試験があった。 試験は、というと 一次試験 英語 第二外国語(フランス語またはドイツ語) 数学 物理 化学 生物(大学1-2年レベル)  小論文

          大阪大学医学部学士入学試験「不」合格体験記

          医者になるのにどんな適性が必要か

          適性なんていらないかもしれないです。 まあ、中には犯罪を犯して医師免許をはく奪されるような人もいますから、そういうのは当然論外ですが。 なぜかというと、医者の世界って進む科によって全然違うのです。 なのでどんな人でも大抵は自分に合っている科というものがあります。合っているところに入ってそこそこ給料もらって地道に生きるだけなら医師免許さえあればだれでもできます。 逆に言うと合わない科もあるので、そういうところには現実問題として続けられません。 例えば美容外科に行けば年収が高

          医者になるのにどんな適性が必要か

          旧制高等工業学校と旧制工業大学

          日本では大学に工学部があるのは当たり前だが、明治のころは世界的にも珍しく、日本でも大学ではなく高等工業学校での教育も盛んであった。 日本では工学はおそらく明治時代には最も輸入したい学問であったろうから真っ先に帝国大学にも設置されたのだろう。 しかし、帝国大学工学部の方は国土経営、理論家の養成が目的で、製造現場および工業教育の指導者養成を目的とした学校もまた別に必要であった。これが高等工業学校である。 東京帝国大学に対し、高等工業学校として初めに東京高等工業学校が設立された

          旧制高等工業学校と旧制工業大学

          昔の学歴フィルター

          昔は学歴フィルターどころか指定校制度があったのだ。 みんな忘れてしまったのか今は話題にもならないが、1970年代は学歴フィルターどころか大企業は堂々と求人する大学名を指定し公表していたのである。指定校制度と言っていた。 だから志望する会社のリストに自分の大学の名前がなければエントリーできずにそれで終わりであった。白黒はっきりしてわかりやすいといえばわかりやすいが、今よりも卒業校が就職にもろに影響していた。 いい会社に入るにはいい大学に入れ、と当時は親が子供によく言っていた。

          昔の学歴フィルター

          博士の就職は大変だが

          かつては博士になったにも関わらず研究者として就職ができない人をオーバードクターと呼んでいた。 当時もオーバードクターが多量に発生し問題になっていた。今も昔も変わらない。 私が高校のとき(1980年頃)学校にオーバードクターの理科の先生がいた。 その先生は 都内有名進学校→東大理1首席→東大理学部 →大学院、英米大学留学→博士号→就職なし →いまいちな中高一貫校の理科教師 という経歴であった。 実際、昔から文学部、理学部の卒業生は一般企業の就職はなく、卒業後中学高校の教

          博士の就職は大変だが