Episode 081 「音楽をめぐる冒険(上)」
アデレードハイスクール時代、図書館(Episode080参照)の他に通っていた(つまり、たまに行く程度ではなく、意図的に、まるで朝起きて歯を磨くように定期的に、また日常的に行っていた)場所と言えば、CDショップである。
もっとも頻繁に通った一つとして、本屋が一階にあり、二階にCDが置いてあるタイプのお店があった。その名前をBordersといった。アメリカ発祥のお店だ。このお店では、並んでいる数々のCDの棚から好きなものを手に取り、その場で聴く事が出来た。ヘッドホンは、CDが陳列されている棚に、数メートル間隔で設置されており、そこにはバーコーを読み取る機会が設置されてあった。CDについているバーコードをスキャンすると音楽が聴けるのだった。
Bordersに行くと、常にワクワクとした。まるで、身体に埋め込まれている、感情を司る機械の「喜び」のツマミを、スピーカーのボリュームを上げるよう時計回りに捻ったみたいに、私のテンションは上がった(もちろん、そんな機械は身体に埋め込まれてはいないけど)。
もちろんハイスクールの学生であった為、欲しいCDがあったとしても、あれもこれも全部購入する、という事はできずにいた。いや、あれもこれもというより、(CDを)一枚買うのも簡単ではなかった。従って、何度も足を運び何度も色々と聴いて、それから満を持して購入する、という具合であった。そう、まるでその選択(つまりどのCDを購入するか)で今後の人生が、あたかも大きく左右されてしまうのを恐れている様に(もちろん、実際にはそんな訳はないのだが)。
このお店で、MXPXというアメリカのバンドのライブアルバムを購入したのを今でも憶えている。他には、Unwritten Law(アンリテン・ロウ)というサンディエゴ(アメリカ)出身のバンドのアコースティックアルバム(Music In High Places)が欲しくて何度も聴きに行った。
CDに囲まれた空間にいると、なんとも言えぬ興奮を覚えた。先ずは、自分が好きなバンドのCDを数々と手に取り、一枚ずつ聴いていく。その際、CDのジャケットから、歌詞カードもしっかりと隅から隅まで目を通す。まるで、陶芸教室の先生が生徒の作った湯飲みの形を、わざわざ老眼鏡を掛けて念入りに確認する様に。
充分に満足するまで様々なCDを聴き終えた後は、そこまで好きではないが名前は聞いた事がある、という程度のバンドまたはアーティストのCDをピックアップし聴いていく。そう、予選通過も確定し、あくまでも消化試合をこなすサッカーチームの監督の様な心境(「普段は起用しない選手を起用してみよう」や、「普段とは違うポジションでプレーさせてみよう」と言った具合に)かもしれない。
この様な聴き方をしていく中で、たまに、思いがけないCDに出会ったりするのである(まるで、普段は通らない道を通って帰宅する際に、100円玉を拾ったようなラッキーな気持ちに似ていなくもないかもしれない)。つまり、自分の普段のレーダーでは探知できないような作品(つまりCD)に出くわす事があるのである。正に、でEpisode080にて述べたSerendipity(偶然性)である。
尚、現在の多くの音楽の聴き方では、この様な現象が起こることはあまりない。例えばYouTubeでは、自分の好みを勝手にYouTube側でアルゴリズムを組んでオススメをしてくるので、もちろん、便利であり助かる事は確かなのだが、全く新しいジャンルの音楽に出会うという確率は極めて少なくなってきているのかもしれない。そう、まるで優等生すぎる人と一緒に仕事をしている時の感覚に似ている。つまり、間違いは起こさないので安心は安心なのだが、いかんせん仕事以外の話が退屈過ぎる、という様に。
物事、便利性だけを追求すると、きっとその裏では何か失っていることも少なくないのかもしれない。きっと、そういう事だろう。(良い悪い、という事ではないが)例えば、毎日決まったルーティン、つまり規格通りに物事をこなしている人達は、Serendipityが起きても気づかなかったりするらしい。因みに、このSerendipityとは我々の周りで日々、しょっちゅう起きているのだけれども、それに気づくかどうかが重要、との事である。
つまり、例えば、何かに集中する事はもちろん重要なのだが、時には、ふとフォーカスを調整すると、パターン意識(ie: パターン認識とはあるパターン信号が示されたとき、それがどのクラスに属するかを決定すること。通常はパターンが決定されるべきパターンクラスの数は有限個である)が生じ、いままで見えなかった部分などが見えるようになる時がある、との事だ。即ち、ここで重要な点は、この様に、時にはフォーカス調整し物事をみるという感覚である。つまりSerendipityに気づく為に必要な姿勢および環境づくりなどに努める事が、必要とされているのかもしれない。
Bordersの他には、Big Star Records(ビッグスターレコーズ)、Sanity(サニティー)、b#(ビーシャープ)、Uni records(ユニ・レコーズ)とその他に三つ(その内の一つは中古のCDショップ。お店の名前はどうしても思い出せないが、Hi-StandardのセカンドアルバムであるAngry FistというCDを購入した(Episode025参照)、メタル系の音楽をメインにしたお店。
もう一つのお店はMyer(マイヤー)というデパートの反対側に位置していた。もう一つのお店はRundleストリートに位置する、パンクロックの音楽をメインにしたお店だった(「All Ages Records」という名前だったかなぁ・・・思い出せない)。そこで、No Use For A NameというアメリカのパンクロックバンドのVHS(ビデオ)を確か$30ほどで購入した。パッケージも白黒で明らかにブートレッグであったが、気にしなかった。
これら(計7か所)のCDショップが街の中心部(ショッピングモールやレストランなどがあるエリア)にあり、併せて幾つかのCDショップがチャイナタウン(中華街)周辺にあった。また、街の中心部時から少し離れた場所にもCDショップが3店あった。これら3つのお店は全て、Norwood(ノーウッド)というサバーブ(地域、エリア)にあり、その内の一つはパレード(道の名前)通りに位置していた。もう一つの店は街中にあるBig Star Recordsの支店、であった。そしてもう一つに関しては、本屋の中にCDコーナーが設けられている、という具合のお店であった。
この様に、アデレードという街(あくまでも、「当時自分が行動できた範囲での領域において」ということではあるが)におけるCDショップの場所は把握していた。音楽をめぐる冒険に出ていたのだ。
街の中心部に位置するランドルモールというショッピングモールにはBoarders、Sanity、名前の思い出せないCDショップ(2店)、計4店が存在した。尚、この内(4つの内)3店はメインストリームの音楽のCDを扱っているお店であり、残りの1店は中古のCDショップで、取り扱っているCDはハードな音楽(メタル、ハードコア、ハードロックなど)であった。
チャイナタウン周辺にあったCDショップに関しては、3つの内一つ(そう、セントラルマーケットという市場に隣接していた)はメインストリームの音楽を扱うCDショップ、2つは中華系の雑貨屋さん内に存在するCDコーナー、という具合であった。
ノーウッドにあるお店の一つ(アデレードのCBDにあるBig Star Recordsの支店)で、海外のCDに混じって、なぜか一枚だけ日本のCDが中古コーナーに紛れ込んでいた事があった。そのCDは、まるで、体育の時間に体育着を忘れた小学生が、(体育着に身を包む)クラスメイトと並んだ際に(普段着のため)目立ってしまっている生徒の様に見えた。ちなみにその一枚とはB’zのLoose(ルーズ)(1995年発売)というアルバムだった。なぜ日本のCDが紛れ込んでいたのかは全く不明(ただ、中古のCDを取り扱っているお店なので、誰かしらがそのCDをお店に売ったのだろう)だが、なぜかあったのだ。
パレード(ノーウッドという地域に位置する通りの名前)のCDショップでは、最終的に購入するには至っていないが、確かNOFXのWolves in Wolves’ Clothingという、黄色いジャケットのアルバムを試聴した覚えがある。
Big Star Recordsとb#に関しては、街の中心部のランドルストリートという、いわゆるオシャレ通り(少なくとも、当時はそう感じていた)に位置するお店だった。b#に関しては、メインスリームではなく、音楽に詳しい人が好みそうなミュージシャンのCDを揃えている、そんなお店に見えた。例えば、レストランにて、普通の水ではなく、炭酸水(ガス入りの水)を注文しそうな、そんな人たちが好みそうな音楽のCDが揃っているCDショップだった。または、大衆向けの音楽(例えば、商業的なポップソングなど)を聴く事に対し、なんらかの恥じらいの様な感情(あるいは、軽蔑的な考えなど)を抱いている人達が好みそうなCDショップだったのかもしれない。
この様にして、私は音楽を求めアデレードという街の中心におけるCDショップを巡っていたのである。
「音楽をめぐる冒険(下)」につづく・・・