Episode 056 「カッコつけないカッコよさ」
さて、Episode 027より開始した「オーストラリアにいた時(1996〜2010年)によく聴いたアーティストおよびバンドの曲」(併せて、「よく聴いた訳では無いが印象が強く残っているアーティスト及び曲」も含む)、という括りで当時を振り返る試み、先ずはアルファベット順で紹介する内容をEpisode027〜Episode050にて終えた。続いては、あいうえお順(そう、日本のアーティスト)で振り返ってみる。今回は「さ」を見てみる。
斎藤和義(日本)
初めてこのミュージシャンを知ったのは、いつだっただろうか。恐らくだが、2000年代半ば頃だったかもしれない。小さい頃(小学校中学年ごろ)に(彼の曲を)耳にした(ポンキッキーズで流れていた)「歩いて帰ろう」(1994年)という曲が、斉藤和義によるものだと気づくのは、しっかりとこの人の音楽を聴き始めるまで(即ち、恐らく2000年代半ば頃)気づかなかった。尚、2018年には「カーリングシトーンズ」というバンドを、奥田民生、(ウルフルズ)トータス松本、(真心ブラザーズ)YO-KING、(元JUN SKY WALKERS)寺岡呼人、(FLYING KIDS)浜崎貴司と共に組んでいる。尚、斉藤和義の「歌うたいのバラッド」という曲を、人前で披露(アコースティックギターを弾きながら、歌って)した事もある。あれは、確か、2009年頃だったと思われる。日本に来る直前まで住んでいた家、の時である。尚、この「歌うたいのバラッド」という曲は、奥田民生やMr.Childrenなどの大御所ミュージシャンにもカバーされている。尚、奥田民生が中心となっているカーリングシトーンズに関してだが、「時代遅れのRock'n'Roll Band」という曲をリリースした、桑田佳祐や佐野元春、世良公則, Char, 野口五郎らで結成されたスーパーグループにも影響を与えた。つまり、カーリングシトーンズを見た桑田佳祐らが、「俺たちも!」ということで始まったらしい。恐るべし奥田民生。
坂本龍一(日本)
この人は、世界が認める真の大天才である。本物の天才である。初めて聴くようになったのはいつだっただろうか。おそらく、2000年頃だろうか。かれこれ約25年来のファンなのだが、相変わらずハイクオリティなクリエイティブを提供している。この人に関しては、YMOの作品もさる事ながら、ソロの作品もほぼ全て集め、聴き入った。この人が奏でる音楽の幅の広さは、圧倒的である。さすが、「世界のサカモト」である。また、音楽以外でも、書籍も読んだし、インタビューなども動画で相当な数を見た。また、2017年にはドキュメンタリー映画が発表されYouTube(CONVID-19の影響で、YouTubeにてこの映画が(2020年に)無料で配信されていた)で見た。この人の音楽は、死ぬまで聴き続けていくのだろうな、と、そう確信できる。一度、(六本木のサントリーホールで)ライブを観た事があるのだが(確か、2014年辺りだったと記憶する)圧巻であった。音楽関連の活動の他には、アクティビストとして長い年月の間活動をしており、例えば(地球温暖化含む)環境問題について、原子力について、世界平和について、など、地球規模で重要な事(問題、課題など)について多くを知るきっかけとなった人でもある。併せて、スニーカーはずっとNIKE派だったのだが、この人の影響でニューバランスも履く様になった。尚、この人の凄まじいところろは、(少なくとも個人的にはそう感じている)常に「ふざけることを忘れない」事だ。難しい事を、難しい顔をしてやるだけでなく、時には完全に振り切って、大真面目にアホみたいな事(例えば、「アホアホマン」然り)をできるかどうか。私は、そんな大人になりたいと、この人を見るたびに思うのであった。
サスケ (日本)
日本に遊びに来た時に流行っていており、至る所で掛かっていたので今でも憶えている。調べてみると、この曲の発売は2004年との事だ。
サディスティック・ミカ・バンド(日本)
1973年にファーストアルバムを発表したが、当時はそんなに売れなかったとの事だが、イギリス(特にロンドン)で評判となり、逆輸入という形で評価されるようになった、日本が世界に誇るレジェンダリーなバンド。話は全く逸れるが、江戸時代初期(おおよそ1620年頃)に成立した「浮世絵」は、最初は全く評価されていなかった、との事。しかし、ヨーロッパでどうやら評価されているらしい、という情報を得た日本人が次第に、「ヨーロッパで認められているなら、良いに違いない」という形で逆輸入的な形で日本でも評価され始めた、と、2020年6月に読み始めた岡本太郎の本に書いてあった事を思い出した。尚、このファーストアルバムを聴いたクリス・トーマスというイギリス人のプロデューサー(当時ビートルズやピンク・フロイドを手がけた事で有名になっていた、との事)からプロデュースの話があり、セカンドアルバムの制作を行った、との事。このバンドの音楽は、もちろんリアルタイムで聴いてた訳ではないので、残念ながらその凄さを体感する事は出来なかった。しかしながら、奥田民生が(このバンドに)参加している、という事でこのバンドを知る事になったのは2007年頃だった。木村カエラ(このバンドにおける三代目ボーカル、との事)をボーカルに迎え、奥田民生もギターとして参加する「タイムマシンにおねがい」という曲が収録されているCDを上の姉夫婦がアデレードに遊びに来た時に買ってきてもらった。尚、初代ボーカル時代の映像(1975年にイギリスの音楽番組で演奏しているもの)をYouTubeでみたのだが、ボーカルの女性がカッコよかった。尚、この「タイムマシンにおねがい」という曲は、スウェーデンが誇るレジェンダリーなパンクロックバンドである「No Fun At All」もカバーしている。
サンボマスター (日本)
初めて聴いたこのバンドの曲は「青春狂想曲」(2004年)だった。恐らく、2000年代半ば。かれこれ約20年前。当時は、「なかなか良い曲だな」程度に受け止めていたのだが、「できっこないをやらなくちゃ」(2010年)という曲を聴いて、このバンドの魅力を再確認し(また、「この曲以上の応援歌は、ないのではないか?」と思う程、この曲を聴くと気持ちが鼓舞する)、2010年代終盤(おそらく2017~2019年辺り)で確信したのだった、このバンドは本物だ、と。ボーカルの山口隆が創り出す曲は、熱い。熱量が尋常ではない。「そのぬくもりに用がある」(2003年)という名曲中の名曲や、「美しき人間の日々」(2005年)、「光のロック」(2007年)、「世界をかえさせておくれよ」(2009年)などなど、このバンドの曲は圧倒的である。本物のロックである。また、山口隆が歴代の日本のミュージシャンと対談をする内容を収めた「叱り叱られ」(2008年発行)という本は抜群に面白かった。山下達郎や大瀧詠一、岡林信康、ムッシュかまやつ、佐野元春、奥田民生を相手に対談。尚、山口隆は奥田民生のソロ(確か10周年記念の番組だったので2005年)を祝う番組で圧倒的なまでの奥田民生マニアっぷりを発揮している様子の動画をYouTubeでみた。よく、大してファンでも無い(または、無かった)にもかかわらず、本人が目の前にいる手前(なのかどうか知らないが)、「ファンです!」や「ファンでした!」という発言をしておきながら、その後に続く発言が全くもって浅はかな場合など、(音楽番組などで)よく見かけたが、この人(山口隆)に至っては、その番組内で語っていた内容は本当に(彼が奥田民生の)ファンである旨が伝わってきたので(私自身も奥田民生の大ファンなので、偽りのファンの人は(その人の発言を聞くことである程度)見破ることができる)、非常に面白い内容のトークとなっていた。また、山口隆がみうらじゅんのラジオ番組に出演した動画(おそらく2008年頃の動画)もYouTubeでみたのだが、最高に面白かった。改めて、人間味のある、人間的に魅力的な人だと感じた。