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【世界は私たちのために作られていない】を読んで
『ASD者にとってこの世界は敵対的で恐ろしい場所だ。』生きていく上での刺激やストレスは計り知れない。
『平均寿命の短さ、生涯所得の低さ、機会の少なさ、家庭を築く可能性の低さ、自分に合った生活を送ることの難しさ…』
あらゆる困難が待ち受けている。
本書の前半は「あるある」と読み進んでいった。深く共感でき、根本的な特性も分かりやすく読み易い文章だ。
ネットなどに転がるASD者についての記述には分かり易い「結果」ばかりが書いてある様に思える。
何故ASD者がそうするのか、そう考えるのか…という大事な部分が抜けている。
その大事な部分が本書には散りばめられている。
私は是非定型者にもこの本を読んでほしいと思うが、何故だか定型者は定型者の書いたASD像を読んだり観たりするのが好きだ。
ASD者の登場する映画やドラマの脚本家や俳優にASD者がいなかったり
ASDの慈善団体と言いながら団体内にASD者が存在しなかったり。
本当のASD者は無視されている。
定型者の語るASDにはいつも「レインマン」のようなステレオタイプばかりが出てくる。
色々な人達に出来るだけ多くのASD者の内から出る言葉に耳を傾けて欲しい。その中には発語のないASD者もいるだろう。
ASDには『世界は一貫して筋が通っていて、原因と結果はあくまで一対でなければならず、真実と理性は常に嘘と空想に打ち勝つという期待』がある。何度も打ち砕かれる期待だが…。
どうかASD者の実直さをそのまま受け止めて欲しい。悪意のあるASD者は少ない(と私は思っている)。このユーモラスな世界を覗いて欲しいと思う。
ASDの特性の中でも定型者が共感し易いものはあって、例えば自己刺激行動なんかも「貧乏ゆすり」や「ボールペンのボタンカチャカチャ」を例に挙げれば分かりやすかったり、他にも細長い蛍光灯の光のチラつきが気になる定型者もいるだろう。
しかし、その共感によって何故かASD者の事を「些細な事で大袈裟に騒ぐ奴」と誤解してしまう事がある。
そんなことを言われ続けると、「実は自分は本当は健常者でただの怠け者なんじゃないか」と思い込んで落ち込んでしまったりする。
もしも、ASD者の言葉に共感したなら思っているよりずっと重く受け止めて欲しい。
想像している何倍も大きな苦痛だと受け取って欲しい
マイノリティに対し「面倒臭い」「関係ない」「私の周りにはいない」と思っている人も多いだろう。
だが、オープンにしていなだけでマイノリティ者は必ず貴方の近くにいる。
『何の為でもなく、ただ存在している。』
どうせなら理解し合って仲良くした方が良いとは思わないだろうか?
この本を読んで、純粋に私は嬉しかった。
私達について語れる相手と出会った喜びだ。
そして私達について世界に向けて語ってくれている喜びでもある。
何度も読み返したい「仲間」であり「お守り」だ。