「電球が切れた時、ASD者は1年かけて暗闇の中で生活する方法を学ぶだろう」
「電球が切れた時、ASD者は1年かけて暗闇の中で生活する方法を学ぶだろう(要約)」という面白い文を読んだ。
ピート・ワームビー氏の【世界は私たちのために作られていない】の中に出てくる。
確かに分かる。
社会の刺激やストレスに晒され日常に割く電池なんて残っていない。
根本的な解決より苦行を選ばざるを得ない。
自分が要領良く出来ない事に慣れすぎて頓珍漢なリカバリーだけが上手くなっていく…。
「オーブンが壊れたら、オーブンを使わない料理のレパートリーが増えていく」だけだ。
これを書いている私はASD当事者だ。
「ギターは弾けるけど靴紐を結べない。」
私の場合だと、料理は出来るけど体には身に覚えのない痣だらけだったり。
ASD者はそんなチグハグな凹凸を抱えて生きている。
ASDの診断後のASD者に対する支援はほぼないと言って良いだろう。
ASD者の失業率、ホームレス率、自殺率は非常に高い。なんとか暮らせていても、沢山の刺激やストレスに晒され自己のメンテナンスや生活に手が回らなくなる。
刺激やストレスに晒される中で「ASD者は自分の抱える困難に対して、自分なりの回避策やコツを編み出す。しかしこれらはほんの少し奇妙である事が多い」定型者に見つかると何か企みがあるのかと怪しまれたり、不審者として扱われかねない。全く気が抜けない。
そんな中でも「特別な興味」というものは癒しだ。
「特別な興味」は、ストレス解消法にもなるし、コミュニティへ繋がったり、仕事になる事もある。
私の場合はオカルトと動物に異常に興味がある。
ストレスに晒された時に犬の事を考えれば落ち着きを取り戻せる。
犬の鼻息…犬の唇の裏…素敵だ。
ASD者の興味はとてもマニアックである事が多い。
本の中には、ペストマスクマニアや腕時計のベルトマニアの話が出てくる。
ASD者はモノトロピズム(単一志向性)によって細部を愛する。
「多くの人が常に複数の処理経路を動いたり、一度に複数の興味を寄せたり出来るのに対して、ASD者はいついかなるときも注意が少数の関心対象で占められている。」
「私達はレーザー光線の様に世界にアプローチしている。」
大きな分野の小さなカテゴリーに興味を示し研究する。ただ安らぐからそうする。
それは時々ビジネスになったり、はたまた社会貢献に繋がったりなんかする。
【世界は私たちのために作られていない】を半分まで読んだ。思わずうなづく事ばかり書かれている。海外のASD者の言葉を聴くと、ASDは国境を越えた種族の様に感じる。
より大きなASDコミュニティと繋がる為に英語を勉強しようかなとすら思っている。