自分の原点を探す旅 Vol.1
Instagram( @strain_racing )
STRAIN Racingを創り出した思い出のクルマ達Vol.9 の続きにあたる記事になります。
ワザワザお越し頂き感謝致します🙇♂️それでは続きです。
“気が進まないまま” 購入したAE86
実は、購入してから手放すまでの間、一度たりとも良いクルマだと思えなかった。
それには勿論理由がある。
その原因は?
そう、KP61スターレットという存在
(以下 KP61スターレットをKP、AE86をハチロクと表記していきます)
KPに乗っていなければ、間違いなくハチロク サイコー‼️と言っていたでしょう。
しかし、私はハチロクより先にKPを知ってしまい、本格的なドリフト(現在のドリフトはテールから進入するので別物)もKPで覚えた。
ハチロクのホイールベースは2400mm に対し KPは2300mmと100mm短く
重量に至っては、ハチロクGTV 940kg に対しKPは710kgと230kgも軽い
ハチロクは1600ccで、あの4AGユニットを積んでいるから速いと思うことはあったが、動きが鈍感という印象が常に付きまとう。
当時、ハチロク乗りのドリフター達にKPでドリフトしてもらったことがある。
“動きが速すぎてドリフトできない”と、スピンばかりしていたことを今も思い出す。
それ程、KPはテールスライドが始まるとコマのように回る難しいクルマだった。
それが故に、乗りこなした時の充足感がハチロクとは比べ物にならない
ここで1つ捉え方の違い☝️
重いクルマからハチロクに乗り換えた方なら、“軽量で俊敏”なクルマというイメージになるでしょう。
一方、私のようにハチロクより200kg以上軽量で小さなFRから乗り換えたのなら、当然“鈍感”に感じる。
人それぞれ経験してきたことが違う訳だから、イメージが違ってしまうのは当然。少し乱暴な言い方になるが、KPに4AGユニット、ハチロクのミッション&デフキャリア、前後ブレーキを付けてしまえば、車重900以下の、ハチロクを超えるFRが出来てしまう。
それを現実の物とすべく挑んだのが
ADVANカラーのレーシングKP
ただ、この計画もコストが掛かりすぎてしまい今も尚、走ることは叶わない
現在では更に軽量なアルトバン(車重610kg)を見つけてしまった....
それから、勧められた通りレースにも参戦した
出場クラスはノーマルクラス
当時、まだ競争ごとが大好きだった私は、改造範囲が非常に狭く純粋にウデだけの勝負ができると信じてノーマルクラスに出場
(ノーマルクラスの改造範囲・・・タイヤは14インチ以下のラジアルタイヤのみ、エンジンは完全ノーマル、LSDは装着していいがファイナルは変更不可、サスはノーマル形状スプリングとショックアブソーバーのみ変更可能、ただしストラットケースは加工不可、マフラー交換は自由、車輌の軽量化は不可...などなど)
最高順位は2000年10月に開催された第3戦の4位だったが、いつも上位3台(レース屋さんの車両)が異常に速く、私のハチロクのエンジンは組みに実績のある師匠にフルオーバーホール&基準値内でフル調整していただき抜群のコンディション、にもかかわらず前車(3位)に最終コーナー脱出でピタリと張りついても、1コーナーまでのストレート区間で2台分は離される異様な加速力。更に加工不可のノーマル形状サスではあり得ない車高の低さと異常なキャンバー角.....
直接確認したわけでは無く推測でしかないが、その3台を見ていて“本職なのに勝つ為なら何でもアリか“と、正直思ってしまった。
当時は考える頭を持ち合わせていなかったが、今なら理解できる。要するにレギュレーションの“加工不可“この部分の解釈の違い☝️
・人為的に手を加えれば、それは”加工“という解釈と
・例えば、ノーマルパーツのあるポイントを炙り、パーツを曲げキャンバーなどをつけた場合、それはあくまで“ノウハウ“であり、ノーマルパーツの切断や、溶接はしていないから”加工ではない“という解釈。(現在でも、縁石に引っ掛けた時アームが曲がりキャンバーが勝手についただけだから問題ない...なんて話も聞く)
要するに”グレーゾーン“を徹底的に攻めるやり方だ。
当然、私は前者(この考えの人は、きっと競争事に向いていない)
後者のように、手段を選ばず勝つ為ならなんでもする。そういう生き方を私は否定しない。実際、今の社会でもそんなことはよく目にする。
でも、そんな勝ち方をしても、心にわだかまりがずっと残ってしまい、100%勝利に浸ることはできないから、私の選ぶ道は、当然そのフィールドから立ち去ること
シーズン途中にも関わらず、この第3戦を最後にレースとサーキットの世界を降り、レギュレーションの無い峠に戻る
皆さんにとって良いイメージのハチロクでも、私にとっては苦い経験の方が多い残念なクルマになってしまった。
そもそも“気が進まないまま購入”した時点で、答えは見えていた。いろんな意味で、思い出に残るラストを飾るクルマ
その後、結婚を機にハチロクは手放し、休日ドライブの為だけに3台目のジムニーを購入。改造は一切無し、綺麗に所有しているだけのクルマ人生を送ってしまったから、思い出なんてものは無い。
本心では走ることを強く求めながらも、チューニングの世界からも抜け、一般整備の世界へ職を変える
”自分が我慢し、いつも周りを優先する“
そんな生き方を、更に続けてしまう
それから14年後の2019年、突然パニック症状を起こし、自殺しそうになるほど自分を追い詰めることさえ気付かずに.....
最後までお読みいただき有難うございます。
自分の原点を振り返る旅はまだ続きます。
引き続きInstagram(@strain_racing )も宜しくお願いします。
STRAIN Racing
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