教室

どうも、AOです。

題からして、今までの記事を読んでいただいている方々は、「中々行けなかった教室のことかな?」と思われるかもしれません。しかし、今回はそうではありません。

ある日気づいたことがあります。

教室は世界だということです。

よく、学校は小さな社会だと言われます。それは本当にそうだと思います。最早、国だとも思ったこともあります。複雑な人間関係、勢力図、カーストなんかはよく聞きます。ある意味自分第一主義。外から見えない子供の社会は、もしかすると普通の社会よりタチが悪いこともあるでしょう。

治外法権と化している学校という社会。

そういう社会が存在する一番身近な世界は、教室です。教室内に存在する、「国」のような勢力ごとに纏まった存在。それが集まった一つの世界。煩雑とした雰囲気、空気。普通のようで、実はテリトリーがあって。なんだか息苦しい世界。

しかし、それはやっぱりあくまで社会なんだと感じたことがありました。

高校2年の修学旅行に行かなかった自分は、数人の同じように行かなかった子と勉強していました。修学旅行の間は、一応学校に来て、決められた時間は自習しなければならないのです。
その日も自習があって学校に来ていました。終わって帰ろうとしたとき、ふと廊下の静けさが妙に気になりました。普段はあんなに声がして、忙しない空間が嘘のように静まり、覗いてみた自分の教室も空っぽ。

中に入ると、電気が消えているので太陽の日射しだけで、優しく照らされていました。自分の空っぽの机に座ってみると、いつもガチガチの身体が嘘みたいにリラックスして黒板を向いています。下の階から聞こえる下級生の声が違う世界線からのような気がしました。机の上にのせていた手に日射しが当たり、爪の下が余計赤みがかって「生きてるな。」と思いました。

元々、幻想的な絵やノスタルジックなものが好きでこういう空間にいることは苦ではありません。
その時、教室にいて初めて深く呼吸したことを覚えています。普段あんなに混沌とした教室が、本当はこんなに綺麗で優しくて。そして、タイミングは違うけれど教室に自ら進んで入って過ごせることが凄く嬉しかったです。

結局、その世界にある社会が息苦しいのだと思います。そこから伝染して世界もなんだか苦しいものに思えてくる。「ああ、教室に行きたくないな。」って追いつめられていく。
「そういうことか。」と素直にその時思いました。

これは自分自身についての1つの見解です。おそらくあの時は、それ以外にも色んなことがあって行けなかったのだと思います。
あの時いくら探してもわからなかったことが、いつかわかればいいかな、くらいに思っています。多分、わかってもあの時の自分にはどうしようもなかったのです。最終措置をとった自分はボロボロでした。そんな自分に、「こうしてたら良かったんだよ。」なんて、絶対に言いたくありません。必死にサバイバルしていたのです。「お気持ちちょうだいしておきます。」で返しときなさいとあの時の自分に言っておきます。

最後ちょっと荒くなりましたね。ここまで読んでいただいた方々ありがとうございました。初めてのかたは他の回も是非ご一読ください。
それと、前回「スキ」を押してくれた方々がいらっしゃいました。ありがとうございました。吃驚してしまいました。嬉しかったです。

じゃ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?