【グッドプラン・フロム・イメージスペース】Episode.5 「今から数年後・・・」第10章 まとめ記事(未完結)



 新しい政府は、人々がマスコミの様な嘘偽りをバラまき続ける組織を何故そこまで信じて来たのかが分かりませんでした。


とっくにネットでいくらでも正しい情報が簡単にタダ同然で瞬時に手に入るのに、ずっと嘘偽りで人々を混乱される幼稚で愚かなマスコミが長く居座りました。


新しい政府はマスコミへの追求や研究と同時に、人々が騙されて来た理由も調べました。


そしてその原因のひとつが学校である事が分かりました。


新しい政府はこの事実にとても驚きガッカリしました。


本来は人々を、子供達を清く賢くする社会組織である筈の学校こそが、無知で愚かな人々を作る為の洗脳機関になっていたのです。


それは元々なのか、徐々にそうなったのか、或いは乗っ取られたのかまではわかりませんでしたが、現在の学校のシステムは子供達に知恵を授ける機関ではなく、無知にして未来を奪い、自分では何も考えられない存在に仕立て上げる為にあらゆる虐待レベルの悪なる行いを続ける、不幸に満ち満ちた場所に成り果てていました。


新しい政府は様々な学生たちに直接会い、話を聞きました。


やはり多くの子が恐ろしい程に頭が悪く、キチンと挨拶も話を出来ない子達でした。


酷いところになると、この話し合いの為に学校側が新しい政府向けの模範回答を用意し、それを学生達に暗記させ返答の練習までさせていたところもありました。


この事実は新しい政府を深く悲しませました。


もちろん教員達も個別で面接しました。


これも残念な事にマトモな大人はいませんでした。常識も知性も無い人ばかりでした。
よくよく調べると前科のある者もおりました。その土地の有力者と近い為に優遇されていたのです。


新しい政府は見つけ次第、すぐにその学校を徹底的に調べ上げ責任を取らせましたし、余罪も追求しました。


しかし学校は調べれば調べるほどに、どんどんと問題が見つかり続けました。


この学校という、闇を抱えた組織の膿を全て出そうとして、シラミつぶしに調べ、掘り下げ、追求していきましたが、全く底が見えませんでした。


生徒への人権侵害や虐待はもちろん、土地有力者とのコネ、賄賂、警察や地元名士名家との癒着、サボタージュ、ボイコット、不正行為、暴力事件、校内犯罪の隠蔽または加担、売買春の元締め、麻薬売買、自殺の隠蔽、強姦や殺人の疑いも抱えきれない程ありました。


新しい政府は深い絶望を味わいました。
今まで聖域の様に扱われ不可侵な場所であった学校は、悪なる大人達の温床だったのです。


しかし考えてみれば当たり前の話でした。


学校をお店に例えるなら、子供たちはお客さんなのです。
しかも普通のビジネスと違いお客さんより店員やお店の方が偉いのです。
何しろ相手は無垢で幼く世の中を知らない子供なのです。疑うことも知りませんし、積極的にそんなことをしたがる子供もおりません。


ですから仮に何かミスやトラブルがあっても、それを発見し指摘するものなどゼロなのです。
だから改善はありえませんし、騙そうと思えば幾らでも可能な状況なのです。


たとえその子供たちが大学生であったとしても、立場や経験、技術を使えば赤子の手をひねるように言い負かし屈服させるのは容易なのです。


結果、学校側に何かの問題があったとしても改善なんて考えず隠蔽を考えることが定石になってしまうのでした。


 しかし、そもそもはるか以前から教師という職業自体、大変過酷なものでした。


責任が重大なだけでなく、その責任の幅も深度もきりがないほど求められますし、日々の作業量も多く、かと言って給与なども決して良くありませんでした。


また現在では、かつてのように親や子供達や世間から尊敬される事もなくなってしまったし、年を追うごとに教育内容も方法も何もかもが上からの押し付けで決められてしまい現場の声は届きづらくなっていった為に、教師達もやる気や自尊心が削がれ、子供達に愛を注ぐ気持ちが芽生えず、またそうしたくてもその時間すら日々取ることもかないませんでした。


新しい政府はこれらの事を調べ、学校という機関は子供達だけでなく教師達も苦しめ混乱されて来たという事を知りました。


新しい政府はこの問題の根本はどこなのかを調べました。


やはりどこから掘っても問題だらけでした。


細かく見ているときりがないと気づきましたので、思い切って視野を広げてみることで漸く本質が良く分かるようになりました。


学校はただの奴隷育成機関でした。


学校は子供達に物事の意味を教えずにただ手段だけを教えていました。教わった子供達はやはり意味も分からずに言われた通り動いていました。


この学校教育が参考にしているスタイルは、調べるまでもなく明らかに軍隊でした。


トイレ1つするのに手を上げさせ、許可を取らせるなんて振る舞いは軍隊と刑務所の合わせ技でした。
友人同士、仲間同士を争わせ競争を促し、弱肉強食という狂った思想を植え付けました。


スタイルは軍隊、扱いは刑務所、内容はカルト宗教、そして出来上がりは奴隷でした。


どの教育科目も一切根本を教えず、ひたすらに手段や単語を暗記させました。


何度考えても納得いかない事ですが、この学校という機関は教育機関の筈なのに、頭を使わせませんでした。


新しい政府は何度考えてもその意味が分かりませんでしたが、過去の政府は「わざと」このような教育をしていると気が付き、その汚らわしい事実に激しく落胆し、そして激怒しました。


教える側も頭を使わないので、子供達の素朴な質問にもまるで答えられず、適当にはぐらかしたり、何故か怒鳴りつけたりしていました。


そのような姿を見つける度に新しい政府はすぐに捕まえて厳しく処分しました。


大人である教師達の日々の仕事ぶりも、まさに奴隷でありロボットでした。


過去の政府は、教える側である教師たちにもそれなりに教育の意味を書き記し伝えていましたが、それも的はずれな説明であったり嘘偽りがありました。
しかしそこに疑問を持ち、追求出来る教師は殆どいませんでした。


結局教える側も幼い頃からこの様な教育を施されてきたので、疑問を持てないのです。


こうして奴隷が奴隷に奴隷の教育を施すという、悪夢の連鎖が綿々と繋がっていったのでした。


つまりは洗脳でした。


結局マスコミと同様だったのです。


都合の良い情報だけを流して人々を洗脳していたのです。人々はその嘘の情報を鵜呑みにして梅雨でも夏でも老いも若きも幼子までマスクをさせられていました。しない人を悪人として苛めたり通報したりガラスを割ったり嫌がらせをしたりもしました。


酸素が行き届かなくて脳に障害を与えるリスクもある上に、マスクに長時間付着したウイルスやバクテリアが呼吸器や皮膚など健康に被害を与える事も指摘されていても、これらの事を報道もしないし、学校も教えませんでした。


子供達は、マスクやシールドをさせられた挙げ句に今まで以上に貧弱な給食を出されるという、虐待同然の扱いをされていましたが、これらの行動や指示の全てを科学的に説明出来る人間はただの一人もいませんでした。


新しい政府もこんな狂った事を何故しているのか余りにも不思議であった為に、親や教員、教育委員会や官僚を呼びだして尋ねましたが誰一人として意味を理解しておらず全く説明出来ませんでした。


これ程までに人々は無知で愚かになっていました。


しかし、いくら頭が悪く愚かにさせられているからといっても、それだけでは説明がつかない事もあり、前述したような自分達と相容れないものを排斥したり乱暴を働いたり嫌がらせをしたりする現象には、何か別の理由があるに違いないと考えました。


単に頭が悪いだけではない、邪悪さが染み付いていないと絶対に成立しない現象だと判断したのです。


この汚らわしい染みつきは、学校全体に、組織体型から教育内容から全てに渡り広がっています。それは魚が水を意識せずに生活するかのように、この学校という組織の中にいてはもはや認識が不可能なほど、狂った価値観だけで内部の世界が構築されていました。


そしてその中心に有るものはただのカルト宗教そのものでした。


 学校の抱える問題は昔からずっと言われ続けてきましたが、全く解決されないどころか日を追うごとに、不自然で意味不明な状況が生み出されていきました。


学校では宗教を教えてはいけないことになっていましたが、「道徳」なる科目では過去の政府にとって極めて都合の良いお話や情報を押し付け、議題のフレームをコントロールしたうえに、生徒たちの出す「解答」を教師が上からの指示通りの方向へ誘導し、都合の良い思想に子供たちを洗脳するという、うっかりすれば大人でさえも飲み込まれてしまいかねない悪質な情報工作が、あどけなさの残る幼子たちに日々行われておりました。


その姿をビデオで確認した新しい政府は、


ーーこんな邪悪な事をなぜ誰も止めなかったのか?


と驚き、目の前の事実を簡単には受け入れられませんでした。


また、当たり前のように整列させる姿も全く軍隊そのものですし、座らせる時も何故か「体育座り」なる、膝を抱えさせる統一した方法で座らせていたのも不自然で不気味でした。


新しい政府はこれは何かあると踏んで調べたところ、やはりこの座り方もかつては奴隷に対してやらせていた座らせ方だと判明しました。


この座り方自体が胸を圧迫し健康に悪いのですが、そのルーツが奴隷であったというのも衝撃でした。他国ではこの様な座らせ方を子供達にさせなかったのも頷けました。


このように徹底的に子供達を奴隷として「飼いならす」為に学校は存在していた事がはっきりと分かりました。


そして何よりも新しい政府が衝撃を受けたのは、「暴力」でした。


確かにこれ程までに日々、人間としての尊厳も愛も踏みにじられ続けているのですから、気が狂って暴力的になるのもわからなくなるはありませんが、それにしても酷いのです。


子供達はまるで獣のようでした。
言葉も気持ちも通じない気の狂ったケダモノのようでした。


または完全に心を蝕まれ無気力で死んだように黙りこくっている子供達ばかりでした。


新しい政府はこの惨状に涙しました。


何故、給食を残してはいけないのか?
人それぞれ好き嫌いもあるし身体に合う合わないもあるのです。
しかし学校は一切を認めず、酷い時には食べる迄家に帰しませんでした。
完全に虐待そのものでした。


いくら調べても、そのような事をする教師の中には、ただの一人もドクターの資格のある者はいませんでした。


では、一体この行動の根拠は何なのか?


それは結局、


ー上の者には絶対服従しなければならないー


という、悪魔のルールが根拠であると結論づけました。


大人や教師だから偉いという「肩書」や「地位」や「血縁」が何よりも大事で、これで人間の価値が決まるのだ、と考える悪しき者たちの洗脳技術の1つなのでした。


したがって子供達の間でも、年長や暴力などで「強い」者が「偉い」になり、同じ仲間同士で上下関係が生まれ支配構造が完成します。


こうなるともう「階層」が違うもの同士の交流も会話も成立しません。
支配者側も被支配者側もお互いへの理解は不必要になりますから、他者への理解や配慮が一切不要になるのです。


これがある意味で完成なのです。


どっちの層も必ず頭が悪くなります。
愚かになります。これはどちらの階層も同様でした。
他者を理解しなくて良いのですから考えなくなるのです。
ただ感じれば良いだけになるのです。


そして当然差別が発生します。
これは同じ階層同士でも発生するのです。
つまり、もう横に並んだ「同じ仲間同士」は一人として存在しなくなり、全ての人間関係は「上下関係」だけになるのです。


このように上下関係とは、つまり「別のルールで生きている」事が定義となるのです。


ですから絶対に会話は成立しないのです。


人は、気持ちや言葉が通じない時に、唯一取れるコミュニケーションが「暴力」なのです。


親であろうと子供達同士であろうと、教師と生徒であろうと全ての人間関係が暴力になるのです。


子は親の鏡の言葉どおり、子供達の気狂いぶりは全て親や社会構造の狂いが原因だったのです。


 新しい政府はこの狂ったカルト宗教の思想が「常識」となっていることに深く悲しみました。


学校で教わることの根本が、カルト宗教そのものの内容であるということは、大人になって社会に広まる風習が全てカルト化してしまうことを意味していました。


種のうちから毒を混ぜることで、育った後につける実も毒入りということになるのです。


これで社会は毒まみれとなります。
その社会の中で、毒をばら撒いている一部の上級国民と言われる支配者層だけが「まとも」でいられるのです。


彼らが毒を撒いているということは、つまり「嘘偽り」と「真実」の違いを知っているわけです。


自分たちだけがこの毒に騙されずに生きていくことが出来るわけです。


こうして過去の政府にすがり従うかつての支配者層たちは、多くの人々を愚かにして相対的に自分たちを優秀で賢くする方法を取り続け、社会のイニシアチブを獲得し続けたのです。


本当に愚かで汚らわしい考えでした。


賢くなるのなら自分たちが努力すれば良いのです。
それなのに周りのレベルを下げることで自分たちの力を高めたのです。


新しい政府はこの悪魔達の考えを永遠に忘れないことを誓いました。


こんなことはもう二度と、絶対に認めず許さないことを誓いました。


人々を愚かにする事は「犯罪」であると、彼らは強く認識しました。


そしてここから新しい政府は一気に攻勢に出たのです。
学校をきれいにするように動き出しました。


古い教員たちを徹底的に排除し、教材も指導要領も廃棄しました。


新しい政府は優秀でまっすぐな人々を、現役教員からも一般の中からも募集し選抜しました。


驚いたのが、現役の教員たちにもたくさんの優秀でまっすぐな方たちがいたことでした。


彼らの中には老いた者もいましたが、涙ながらに学校での屈辱的な教育方針と、それによって苦しめてしまった生徒たちへの懺悔を語り、明確なアイデアを持って新しい正しい教育に努めたいと熱を持って話すものもいました。


新しい政府は、やはりこの状況は子供にも大人にも毒であったと再認識しました。
引退した方たちも正しく優秀ならば採用しました。


こうして集めた人達で教科書や教育方針、その方法から就学の期間やクラス編成、時間割まで、完全にゼロベースで話し合い決めていきました。


一体どうすれば子どもたちに負担が少ないだけでなく、まっすぐで正しく賢く幸福になれるのかを話し合いました。


連日大変な時間を燃え上がるような熱量で彼らは話し合い、また個人個人が研究しました。


新しい政府は、ここにこそ今後の未来がかかっていると確信していました。


彼らには何一つ心配すること無く人々の未来を作り出せるように手厚くサポートしました。


同時に現在の毒に塗れた状況も徹底的に改善していきました。


嘘偽りをばらまく事をすぐに辞めさせました。


現場の人員も、選抜した優秀な者たちに取り替えました。


人数が足りない部分は、威圧感を与えない優秀でまっすぐな警備員や警官で埋めました。
何しろ学校は暴力の渦です。それを正しい力で食い止める必要がありました。


新しい教育方針がまだ決まらない間は、大胆にも授業をストップしました。
毒をばらまく位ならお休みにしてあげようと決めたのです。


さらに、校舎も校庭も警備員の見回りを前提に開放してあげました。
また自然に触れ合うことや身体を使って遊ぶことを促すために、自然の多い場所へ連日遠足や旅行に連れて行くように手配をしました。


同時に軍隊のようにならないために暴力的なサバイバルや組織体型を叩き込むことは決してしませんでした。
あくまでのびのびとハイキングの楽しさを大切にするように常に注意しました。


新しい政府は、彼らから毒を出させたかったのです。
毎日2食も3食も給食や飯盒炊飯をしてあげました。


子どもたちは大変喜びました。連日の経験であっという間に料理も道具の扱いも、裸火の扱いもうまくなりました。


子どもたちの瞳にだんだんとまっすぐな輝きが蘇ってきました。


子どもたちはどんどんと元気になっていきました。


自然の中で身体を使って遊ぶことだけでなく、そのときに大人が教えてくれる事を何でも喜んで集中して聞き、学んでいました。


それはキャンプだけでなく、普段通ってきた学校の中や近くの公園や通学路でもそうでした。


新しい教師たちは子どもたちに何も特殊な事を教えることはしませんでした。
とにかく身近なものから教えてあげました。


彼らに自分の足の大きさや指の長さの計測といったことから始まり、自分たちの家の周りに生えている木や草の種類や大きさをひとつひとつ実地でたっぷりと時間を掛けて調べたり測ったりしました。


このような一見無駄に見える教育も意味がありました。


ただの雑草一本だって、次の日もそこにあるのです。


彼ら子どもたちは今までずっと、テレビやゲームやネットなどの目まぐるしく変化し続け、自分たちではコントロールできないものに翻弄され続けてきていました。


それにより自分たちの人生に全く実感や手応えが無かったのです。それが投げやりな人生観や自暴自棄につながっていました。


新しい教師たちは子どもたちに本当の事を教えてあげ、嘘に惑わされる生活を捨てさせてあげようとしました。


ですから当たり前にある一本の木や、道路の裂け目から顔を出している、誰も見向きもしない雑草などを教材にしました。


教師は定規や図鑑、スケッチブックなどをみんなに使わせて、雑草をしっかりと調べさせてあげました。


葉は何枚?茎は何本?どんな匂いがする?根本から測って何センチ?虫はついている?なんて種類?なんて名前?何に似てる? etc…


こういう授業は嫌がられるのでは無いか?と、教師たちは始める前に少し不安を覚えていました。
しかし、いざ始めると子どもたちはとても真剣に様々な意見や発見を続けました。


朝に始めた一本の草についての授業は、気づいたら夕方まで続いてしまった事もありました。
しまいにはその草を植木鉢に入れて学校で育てようと言い出す始末でした。
勝手に名前をつけてしまう子もいました。


彼らは一生懸命にスケッチブックに何枚も何枚も一本の他愛ない草を描きました。
色んな特徴を見つけ出しました。
たった一本の草でさえ、このように子どもたちには良い学習になるのでした。


他にも、自分たちの家の周りの地理についても調べることを教えてあげました。
測量用に巻き尺などを使い、道路や壁や公園などをたくさん測りました。
地図を描いたりもしました。それらを作っている材料も教えてあげました。


こういう授業をひとコマの単位や1日の単位では決して区切りませんでした。
時間なんて関係なく、徹底的に調べたり考えたりし続けました。


かつては授業は組織上の都合が優先し、子供の成長を無視してきましたが、そんなことはもう二度としないとみんなで決めていました。ですからじっくりと納得行くまで満足するまで続けました。


ときには授業の内容が学校の周りを使って学習をする予定であったのに、一週間たっても校門から一歩も進まずに草や虫を調べ続けた時があったほど、時間よりも集中し学ぶ経験を重視しました。


こうして自分たちの生活そのものを知ることを、極めて小さい部分からはじめて行きました。


これは何も特殊なことではありませんし、科目で分けられるようなご立派なものでもありませんでした。


しかし、草一本調べるのであっても、話し合ったり図鑑などを読んで調べたり分かったことを書いたり記録したり、サイズを測ったりするこれらの作業は、科目としては国語や理科や算数などに当たりました。子どもたちは自然と文字や数字に触れ、操り理解する力が付いていくのでした。


幼い子どもたちも、生活の中に有るものをどんどんと知り詳しくなることで、親しみや生の現実感が強くなりました。
わからないものは不安を覚えますが、理解が深ければ安心感も生まれます。
自分の家の中でなら、暗闇でも不安が無いようなものです。


このシンプルな授業は子どもたちの足を地にしっかりと立たせ、心も安定させ簡単には揺るがない真の知性と人格を獲得させていきました。


 このような学習生活をたっぷりと時間をかけ、一人として置き去りにせずにじっくりと行う授業。
毎朝早くに集まり、集まった場所からすぐ目の前にある路地や公園や街路樹などを使って1日中みんなで話し合ったり探し合ったり絵を書いたり調べたりを続けていました。


今まで素通りしてきた何の変哲のない場所なのに、いざ立ち止まって調べだすと何週間かかっても切りないほど、新しい発見が次々に子どもたちの中に生まれてきました。


また、歩きまわり立ったりしゃがんだりして動き回っているし日光にもたくさん当たっているので子どもたちは身体もとても健康でした。
無理にスポーツなどをすること無く元気が芽生えました。


この授業スタイルによって、子どもたちは自分たちの住んでいる町、というよりも町内や通りに対して、大変詳しくなり明らかに愛情を持つようになっていました。


枯れてしまったり踏まれてしまった雑草に対しても、昨日までの思い出を友達同士で話しながら悲しんだり、植え替えてあげればよかった、などと意見を交換しあったりしていました。


その町内に住み着いている野良猫など、もはや飼い猫同然に子どもたちに愛され、またふてぶてしい野良猫もこの子らを愛していました。
中には子を産んだ野良猫が子どもたちを住処に案内し子猫と引き合わせた事もありました。


もう子どもたちにはこの町内は外ではなく、自分たちの家の延長に位置するほどに心から安心しきれる愛しい場所に生まれ変わっていたのでした。
それは心の中と外の世界が1つになるような感覚でした。


落ちている小石1つにだって、彼らは敏感に反応出来ました。


そうしてとても具体的で、過去の時代から見たら幼稚で無意味に見えるこの授業は、まだそう長い時間進めたわけでも無いのに、子供達の成長が伺えるようになりました。


それまでは自分達の身体や道や公園の草や砂利や遊具など、初めからある極めて具体的なものを対象にして、毎日戯れるように進めていた授業でしたが、子どもたちが成長するにつれて、徐々にまだ存在しないものや曖昧なもの、抽象的であったり仮定のものを扱うようになっていきました。


それは決して引率の教師たちが指揮したり指示したから起きた事ではありませんでした。


これは自然に起きた事でした。


正しく成長すれば、歪んだ妨害が無ければ、自然とこの様に子供達は成長していくのです。
しかしこの現象は幼い子達でも、もっと歳を重ねた子達でも同様に起こりました。


とは言っても内容自体は決して大人びた訳ではありませんでした。


中学生くらいの子供達は、


「この道は見通しが悪く危険だから手を加える必要がある」 
「ここにはガードレールがすぐに必要だ」
「この公園に水場やトイレがあればもっと快適に過ごせる」


などですが、もっと幼い子らは、


「雑草がたくさん生えているからウサギが飼える」
「近くに海があれば泳いだり釣りしたり出来る」
「車を辞めて馬にすればキレイで安全だし乗りたい」


などと、意見と言うよりも願望に近い年齢に沿った内容の話をするようになったくらいのことでした。しかしこれは大切なことだと感じられました。
興味や関心があるからこそ、このような反応をみせるのだと思うからです。


もはやこの子供達には、今目の前にある具体的なもの以外の、とても抽象的であり、まだこの世に存在していないものまでが見えたり感じたりしているのでした。


それはやがてこの子達が作ってゆく、明るい未来の姿でした。


新しい教師たちは、何か特別な事を子供たちに教えたりはしていませんが、しかしそれはもちろん手を抜いているというわけではありませんでした。


過去の教師や学校では、正しいことであっても教えすぎていました。


教えたら出来るものという風に、人の認識を非常に乱暴に解釈していたのです。
教える内容が食べ物だとしたら、食べても消化したり吸収したりする時間も必要なのですが、それを認めることはしませんでした。
そうやって子供たちを全部同一のものとして、まるで工場のように取り扱っていました。


その残酷な扱いが結局は自分たち教師にも返ってくる事に気づいても続けていました。


子供たちも教師も同じ人間なのですが、しかし教師たち自身や親達や教育委員会や役人官僚たちは、子供を人間として考えてはおらず、自分たちや社会組織に都合の良い存在に仕立てあげることしか頭にありませんでした。


そうして全ての人が不幸になったのでした。


このあまりにも苦い負の歴史を、新しい教師たちは永久に忘れないことを固く誓いました。


子供も人間であることは当然ですし、人間は教えたら出来るというほど安直でもないのです。


たしかにある程度は成長するでしょうが、しかしその成長のプロセスやそれにかかる時間などは、その子供によって違うのです。
こんな当たり前の事を過去の教師を含めた、あらゆる大人たちは一人として知らなかったのです。


または知っていても認めなかったのです。


これを認めてしまうと、将来的に言いなりにさせて都合よく利用するべき『奴隷』が " うっかり " 人間になってしまうので、教育に関わる大人たち誰一人として、過去の政府が決めた学校のサイクルから子供たちが外れる事を認めませんでした。


教えた授業内容が出来ようが出来まいが知ったことありませんでした。


とにかく学校はノルマの達成を重視し、子供たちの中身は一切気にせずに無視してどんな方法を使ってでも卒業させ、自分たちの責任を断ちきりました。


こうして放り出された子供たちは頭も心も混乱し傷つき、しかも大切な時間だけは奪われて、何も出来ないしやりたくもないのに、義務だ責任だと言われ嫌々単純労働に従事させられ、税金や生活のために労働させられるのでした。


しかし、新しい教師たちは、ひとりひとり子供は違うものであると理解していました。


少々大きい言葉ですが、それぞれに才能があり、それはひとりひとり様々なものを持っているのです。
その子供ひとりひとりの才能を見つけたり探したりは決して簡単なことではありませんでした。


そのことも新しい教師たちは皆自覚していました。
それが解るなんて考えるのは傲慢であると理解していたのです。


才能が有ることも認めましたが、無いことも、少ないことも認めました。
才能は言ってみれば旅行のようなものでした。


北海道に行くのに、自転車で行くのと飛行機で行くのでは労力も時間もまるで違います。
自転車で行く人は途中で辛くて諦めたりもするでしょう。
しかし飛行機で行く人が必ず幸せとは限らず、簡単すぎて途中で飽きて投げ出したりすることもあるのです。


自転車だからこそ、日々の手応えや道中での様々な経験や出会いに刺激を受け、故障やトラブルさえも思い出にして目的地に到着したりもするのです。


ただ早く到着すれば良いなんて言うことは、こと人生に関しては当てはめてはいけないのだ、ましてや教育に携わる者たちが結果だけを求めて子供を育てるなんて許されないのだと、教師たちは熱く語り合い新しい方針を考えていったのでした。


教師たちの熱情も影響してか、子供たちはこの新しい学校のスタイルをすぐに受け入れました。


今まで学校が嫌いであったり勉強が苦手であった子供たちも、理不尽を押し付けられもせず、むしろ理不尽から自分を守ってくれる新しい教師たちを信頼しました。


新しい教師たちは尋ねたことにどこまでもしっかりと答えてくれました。


わからないことを隠したりもしませんでした。偉そうにもしませんでした。


丁寧な言葉遣いで話してくれました。


誠実な態度で接してくれました。


嘘をつきませんでした。


褒めてくれました。


助けてくれました。


微笑んでくれました。


愛がありました。


驚くほど子供たちは愛に敏感でした。新しい教師たちもこの今の時代になって、やっと人への、子供たちへの愛に気づいたのですが、それにしても気持ちを込めることがこれほど子供たちに、人々に大きな影響を与えるのかと感嘆しました。


そしてそれまで如何に愛を軽んじ冷たい心で人生を送り、子どもと接してきたのかと振り返り、苦しさと真実を知った喜びで泣き崩れたのでした。


ただ、毎朝子供たちが来る前に公園の端っこやベンチで待ち、やってくる子供の姿が朝日も差し切らない薄明かりの中に見えただけでも、新しい教師たちは表情を崩し落涙することがありました。


とりわけ過去の政府が崩壊し、現在の新しい政府から始まった清い世の中が動き出した当初は、あらゆる場所で大人たちは喜びや開放感や安らぎから落涙する姿が見られたのです。


かつて教員であったヒデオは発足当初に開かれた会合で、その感動の経験をみんなの前で熱く話しました。


「私は定年間近の教員でした。若い頃、世の中の為に人生を捧げようと決め、教師の道を進んだ者です。
しかしここに居られる方々は良くご存知でしょうが、教育の現場はそんな若造の夢を砕くのに充分過ぎるほど悪の考えと力に満ちた世界でした。
若さを武器に随分と抵抗し闘ったつもりでしたが、結局は心が折れ周りの教師同様に、長いものに巻かれ悪の力に屈服してしまいました。
苦しいながらに僅かでも、自分の預かる子供達だけでも助けたいと思いささやかな抵抗を見せたときもありますが、同時に思い出すだけで自分の行いに震えが起きるほど、悪に従ってしまった時もありました。
世界中の子供達を救いたいと願った若き私は、これまでの長い教員生活でも結局この二本の手で足りる程度の子供しか助けられず、その他の殆どの子供達は私の目の前で悪に苦しめられ、染められていったのです。」


会合に集まったこれからの教員候補者達は、この細い初老の先輩の言葉に耳を向け聴き入っていました。


「悪に苦しむ子供達が救いの眼差しを私へ向けていたのを忘れません。しかし私は彼らを助けられなかったのです。
ああ、この罪。私は思い出す度に自分が嫌いになり許せなくなります。しかし私はそれでも何もせず何も出来ませんでした。
やがて助ける相手は子供達ではなく自分自身に変わりました。
罪の意識から逃れる事だけを願うようになり、保身に走るようになったのです。
かつての燃え上がる魂はロウソクのようになったのです。」


ヒデオは落涙を抑える事が出来ませんでした。
それは聴く者たちも同じでした。


「しかし、今時代が変わりました。正しい事を真っ直ぐに信じて行える時代になったのです。私は教員人生も最後という時になって、この大変な時代の変革に出会いました。
この老眼を迎えた私の両目がはっきりと希望の未来を見たのです。その時、死にかけていた私の魂に、ロウソクのようなか細い灯火に燃料が注がれました。」


ヒデオは強く声を張り上げました。


「ここにいる若い人達、これからの人達、どうか聞いてください、聞いてください、わかってください。あなた達はこれからこの真っ直ぐに敷かれた道を幼い子供達と共に何処までも進まれる事でしょう。
しかしその中でも悪が混じり、時にあなた達の燃える魂がかつての私のようになるかも知れません。ああ、どうか聞いてください。そのような時、いえどんな時であっても、その燃える魂は絶やさないで欲しいのです。燃え上がる時もあります、か細く消え入るような時もあるでしょう。しかし絶やさなければいつかまた熱を取り戻し、あなたの中や外にある悪を燃やし尽くす力を取り戻すはずです。か細さを恥じるが故に諦める事だけはどうかしないで下さい。」


ヒデオは白く薄い頭を必死に下げ、懇願するように言葉を吐き出しました。


彼の言葉に耳も心も向け続けている者たちは、ヒデオの真っ直ぐな思いに全力で応えるように立ち上がり、いつまでも拍手を送り祝福したのでした。


 新しい教師たちの燃える魂は決して勢いや怒声に使われる事はありませんでした。


彼らの熱は正しさと知性に変換されました。
あらゆる横やりからの妨害や邪魔だてから、何処までもしぶとく愛や知性を貫き、子どもたちを守る事に使われました。


そしてこの事を誰よりも理解していたのは、他ならぬ子供達でした。


あどけない幼子から、もう少しで大人になるような子達までが、説明されたとしても大人でさえも簡単には理解出来ない、難解な人の心根を全身であっさりと理解し、昔とはまるで違う態度を見せたのでした。


賢く誠実な新しい教師たちでさえも、自分たちの熱意を受け入れてくれる子供達の、この理解力と速さにはおもわず首をひねりましたが、これは子供達の側から見れば何も不思議なことはなく、疑問を挟む余地など無いことでした。


子供達は、ちょっと前までは何故毎日学校に通うのかすら知りませんでした。
今教わっている教科をどうして学ばなければならないのか知りませんでした。
何故頭ごなしに怒鳴られるのか、何故偉そうに毎日よく知らない大人たちに心を傷つけられるのか知りませんでした。


どうして友達もいて家からも近くにあって楽しい事もあるはずの学校が、こんなにも苦しいのか分かりませんでした。


しかし、そんな暗闇に包まれていた学校が、突然に変わったのです。


自分達が通う理由はもちろんのこと、靴紐の結び方も解き方も丁寧に教えてくれました。
何時までも教えてくれました。出来なくても怒鳴られず、苛立ったり急かされる事は無くなりました。


子供達は解ったフリも、出来ないのに出来る嘘もしなくてよくなりました。
子供達は嘘をつかず本当の気持ちを表現して良い事に気づいたのでした。
子供達の心の道が真っ直ぐに整えられたのでした。


ですから子供達からしたら、過去の教師達と今の教師たちがまるで違う事くらい一瞬で理解出来たのです。


新しい教師達も子供達への理解や愛は抱えられないほどありましたが、それでも全てを理解していた訳ではありません。
それは日々彼らと接し交流する事で少しづつ増えていくものでした。


かつて子供達を自分達の元に集める事に苦労していた教師達も、今では約束の時刻よりずっと早くに子供達の方から寄って来てくれました。


ひと度歩き出せば、それは春のカルガモ親子のように何処までも真っ直ぐに信じ付いて来てくれました。


新しい教師達にはたくさんの仕事や責任がありましたが、これは過去の時代とは意味も扱いも違いました。


ノルマのように義務を外から押し付ける事はしませんでした。
一人ひとりの子供達それぞれに、必要な内容と速度を教師達が判断し、果たしていったのでした。


しかしそれは決して簡単なことではありませんでした。とりわけ発足当初は大変なものでした。
特に問題だったのは、この新しい時代になっても過去の時代を経験しその悪習に染まってきた子供達の親が問題でした。


彼らは家庭で自分達の子供に対してろくに教育を施さないで、学校に子育ての全責任を押し付けて来たのです。
学校での学習と、家庭での子育てや教育は全く別物ですが彼らは理解できませんでした。


過去の時代に赤子の頃から染まり、大人になっても自分自身で世の中の嘘に立ち向かおうとしなかった人達ですから、子供は玩具やペットとしか考えておらず、将来の姿を一切考えず、幼少時代の見た目だけを理由に名前を付けたりしていたのでした。


その親たちに代わり、新しい教師達は子育てや教育も請け負い施したのです。
それこそ靴紐の結び方だって、歯の磨き方だって、電車の乗り方だって、犬や猫の撫で方だって教えてあげました。


しかし結局はこれも大切な事でした。


過去の時代、それもかなり古くから学校はカルト宗教そのものの教育を学校内で子供たちに押し付けてきたのです。


それは道徳科目に限らず、あらゆる科目から学校内での振る舞いや風習や行事、挙げ句は校歌にまで染み渡っていました。
そうして育った子供達がやがて大人として世の中を作ったのです。歪んで愚かな世界になるのは必然でした。


世の中の格言や金言なんて、何の論理性も倫理観も無いものばかりですが、世の中では口々に語られ生きる基準として扱われていました。「1日1善」なんてどう考えても頭の狂った言葉を、皆が有難がるほど世の中は無知で愚かでした。
ただ全ての行いを善にすれば良いだけなのに、それを1日にただの1度で良いと区切りをつける意味なんて無い筈で、ならば残りは全て悪で良いのだと、むしろ生活の殆どを悪行で振る舞いなさいとしか受けられない言葉を、過去の時代は学校やあらゆる組織で推し進めていたのです。


誰も頭が働かなかったのです。
嘘偽りや暴力は人を何処までも愚かに、ケモノにするものでした。


新しい教師たちの教育方針にとって特に大切な部分は、


「考える事が出来るようになること」


でした。


過去の時代は、考える力は殆ど誰も持ち合わせていませんでした。


ひとりひとりには極めて優れた美しい頭脳も才能も与えられていたにも関わらず、その力の使い方どころか、その存在すら教えてもらえずに一生を奴隷労働で終えていく人ばかりだったのです。


過去の時代から教員として現場を知るものはとりわけこの重要性を強く強調しました。


確かにこれからの新しい時代はこれまでと違って、正しさが求められる時代になることは約束されていましたが、しかしそれもこれも人々が、ひとりひとりが強く清く賢くなり正しい行動を起こすことではじめて成立するのです。


ですからこれからこそ知恵や才能が大切になるのです。何よりもそれが求められる時代なのです。血縁や縁故や社会的地位や財産なんてゴミそのものとなる時代なのです。
そんなものをひけらかした矢先に、軽蔑され弾かれ恥とみなされる時代なのです。


新しい教師たちは、この子供達一人ひとりが自分自身の頭で考えられ、仮に自分達教師や正しさを重んじる政府がいなくなったとしても、成長した彼らの力で1から立て直せるだけの能力を育てたいと望んでいました。


新しい教師たちは子供達に嘘偽りはもちろんですが、無駄な事も教えませんでした。
やっとこうして正しく教育を実行出来る時代になったのです。
これからの世界に必要な知性を持たせる事を重視しました。


特に視野を広いままで維持出来る力をつけさせる事を意識しました。
そのためにまずは自分達教師が広い視野を維持する事を皆で話し合い決めました。


広い視野を維持する事は姿勢を常に真っ直ぐに保つ事によく似てました。不安定な足場の山道やぬかるんだ泥道、または疲れ切ったときなどに姿勢が崩れ易いように、人は興奮や恐怖などで思考のバランスを崩してしまいます。その時に間違いや悪が入り込み、苦しみが生み出されてきたのです。


広い視野を維持出来る力と、何よりもその概念や大切さを幼い頃から学ばせて訓練させてあげれば、かつての政府や大人達のような論理性の欠片もない妄想や思い込みで暴走する事も無いと考えたのです。


このような危機感は、彼ら新しい教師達にとってまだ生々しい記憶として残っていました。


少し前まで大の大人たちまでがイカサマのウイルス騒動によって震え恐怖し、何の意味も効果も無いマスクを手に入れる為に奪い合い、金にモノを言わせる無様な姿を晒していたのです。闇社会はそこにつけ込み過去の政府と手を組んで、その紙っペラ1枚のマスクを法外な価格で売り捌き富を独占していました。
税金も横流しされ莫大な金額が悪しき者達に奪われていきました。
そうしてますます人々は苦しめられたのです。


しかし愚かで無知な大人が、自分達の愚かさ故に苦しむのは自業自得ですからある意味で仕方ない事として理解出来ますが、その大人達の愚かさのせいで子供達が苦しむ事は絶対に容認出来ない事態でした。
しかし何時だってまず苦しむのは幼いものたちなのは世の常でした。


大人でも息苦しいマスクを、幼い子供達がどんな時でも付けさせられ、声を出す事も歌う事も許されない状況に、以前から教師として学校に勤めていた者たちは目の前で起こったこのあまりの恐ろしい事態に震えました。


かつて10代の子供達が人殺しビジネスに徴用されたのと全く同じ状況でした。この状況を歴史の本や映画でしか知らなかったこの教師達は、あんな馬鹿げた戦争時の雰囲気なんて現代では起きようもないとタカをくくっていたのに、それが目の前で起きたのです。


のちに新しい教師として働く事になるこの教師達が、その時に感じた最も恐ろしい事は、自分達にはこの愚かな行動を止める力が無いことを思い知ったことでした。


この眼の前で起きている科学的裏付けの全く無い、虐待同然の無知な状況をただ呆然と見守ることしか出来ない、そんな自分たちの無力さに愕然としたのです。


しかしこうして時代が変わり、過去の研究が進むとその理由も判明しました。


世の万物は階層構造をしており、僅かなものを多くが支える事が基本になっています。
この構造自体は現在の新しい時代でも確かに変わりませんが、過去で問題だったのはその多くの人たちが支えてきた存在が、悪そのものであったことでした。


始めから悪を支える人達などいないはずですから、恐らくは歴史の何処かで入れ替わったり、少しずつ乗っ取られたりしてきたのでしょう。


これは悲しいことに、支えるものが真面目であるほど、この構造は強固で確実になります。


真面目であっても賢いとは限らないということでした。自分たちの支えているものが、支える価値の有るものかどうかを判断する知性や、話し合うべき仲間との横の連携に極めて乏しかったと考えられます。


過去の政府を構成していた支配者たちは、自分たちの血縁者とそれに従う資産家以外は全てをこの縦社会を支えるための土台に使ってきました。


とても長い時間人々は、自分たちをただただ苦しめるだけの悪の存在を命がけで支え続けてきたのです。


悲しいことに、それに気づくことも気づく方法も誰一人知らなかったのです。
そのような教育はとっくに支配者によって禁止され封じられてきました。


ですから人々はみんなして、この無知や搾取から起きる貧しさや、抱え続けなければならない病気、怪我、障害などに、ただひたすら苦しめられる事が人生であると、まるで生まれてきた事自体が不幸と苦しみであるかのように受け取り覚悟して生きていたのです。


当たり前ですが、本当はそんなことはないのです。
誰だって命を受けて世に生まれた以上は幸福に生きる事が出来るはずなのです。
もしそうなれないのなら、必ず何処かにそのチャンスを奪う何かがあるはずなのです。


大抵は誰かが奪っているものなのです。


しかし、その命の大前提すら、支配者たちは教えることを許さず封印してきたのです。
生命の、人生の偉大なる大前提を、生まれて間もない幼子のときから奪われるのです。


あまりの不自然さに誰か気づきそうなものですが、誰も気づきませんでした。


何故なら、その幼子の親も、そのまた親も、そのまた親も、みんなしてそのように育てられたからです。


人間はただ貧しく苦しんで搾り取られて生きることが人生なのだと、みんなから言われ続ければ誰だってそのようにしか考えられなくなります。


実際にそういう子供の周りはその考えに染まりきった大人しかいないのです。
こうして悪を支える無知な人々が、世の不幸の元を命がけで守ってきたのでした。


新しい教師たちは二度とこんな愚かな社会を作らないために、全ての子供達に広い視野と自分で考える力を付けてあげようと決めたのです。


特に考える力をつける事を重要視しました。


新しい教師たちは具体的な情報を教えたり記憶させることにはあまり関心を示しませんでした。
過去の時代の学生たちは、当時の学校がやっていた暗記教育や詰め込み教育により、頭に情報が詰まっていましたが、それを自分で活用する事は誰も出来ませんでしたし、そもそもそのひとつひとつの情報の意味もまるで分かっていなかったのです。


お腹が破裂するほど食べ物を飲み込まされたようなものでした。
どれひとつとして消化出来ていなかったのです。
ですから自分の栄養として吸収できず、成長しなかったのです。


それよりも考える力、つまりしっかりと噛んで消化して吸収する力をつけさせれば、そのあと入ってくるどんな情報だって自分のものに出来るのです。新しい教師たちは、子供達をこのように育ててあげるべきだと考えました。


それに人間というのは必要なことは自然に覚えるものです。
家から駅までの道なども使っているうちに必ず覚えます。そんなに無理してやらせている時点で必要性に疑問が有るのです。


新しい教師たちは何よりも大切にしたことは僅か3つだけでした。


読むこと、書くこと、計算すること。


この3つだけをそれはそれは懇切丁寧に徹底的に教えてあげ続けました。
殆どこれだけを全ての子供達が出来るように教えてあげました。
これは昔で言う「読み書きソロバン」というやつでした。


新しい教師たちは、この3つがあらゆる知性にとっての基礎になると確信していました。


この基礎が出来ていれば、その後自分で何かを見つけたり調べたり鍛えたり出来ますから、この力だけば徹底的に鍛えてあげました。


そしてこの3つの力には底がありませんから筋肉トレーニングのように、健康維持のように永久に続ける必要性も教えてあげました。


読む力をつけるために、必ずしも本が必要ではありませんでした。


本はこの世のものや人々が思考した事などがすでにまとめられているものですが、そのタネになるものは「この世」に無限というほど存在しています。


新しい教師たちは子供達が自分で、どんなに幼い頃であろうと関係なく、一人ひとりが「本」を書くことが出来ることを目指していました。


それはこの世を文字にすることですから、まず幼い頃には特にですが、文字を読むのではなく世界を読むことを望みました。


また、この今の時代にも過去の時代から引き継がれた本が無数にあり、このあたりに関してはまだ新しい政府も手を加えていないために、害になるような悪しき本なども普通に存在し販売もされておりました。ですから子供達にはなおのこと本ではなく世の中を読んでもらい、それを自分で言葉にする力を付けるために色々教えてあげました。


世の中という本は様々な言語で語られており、また作られています。それを読むには同様に多数の言語に精通する必要がありました。
全てを理解する必要は無いでしょうし、どのみちそこまで考えるのは杞憂でしょうが、やはり出来る限りは読めるようにしてあげたいと考えていました。


新しい教師たちが子供達に力をつけてほしいと強く考え、一生懸命に教え続けている「読む力」は、本当に一生の時間をかけても決して完成することはないほどに大切なものです。
それほどに深い深い人生の根幹をなすほどの力ですが、過去の時代はこの力を全く育てずにいました。


調べるほどに、その理由は怠慢というよりも意図的であるとしか思えないものでした。


やはり彼ら過去の政府やそれに付き従うものたちは、子供達に賢くなってもらいたくなかったという意思がはっきりとあったのです。


どこまでも「自分達に」都合が良い人間に仕立て上げることを、学校という洗脳機関だけでなくマスコミなど様々な部門で手を取り合い、協力しあってこの体制を実現させてきたのです。


新しい教師たちはその事実を調べ上げるたびに情報の共有を行い、新しい政府にも伝えました。
新しい政府もこうして上がってくる研究結果を、教育機関以外の様々な部門にも通達し、今後のより良い社会の実現のために活用しました。


嬉しいことに新しい教師たちが日夜、子供達に読む力を丁寧に教えていることで、その子たちの親までが、時折新しい教師たちの元を訪れ教えを乞いに来ることがありました。


意外にもその親たちには老若男女の違いも、また学歴や社会的立場の違いもなかったのです。


ある教師がそうして訪れた親に理由を聞いてみたことがあります。
どうやら自分達の子供が日を追うごとにみるみる賢くなり清くなっていき、自分達親に話す内容が変化したことが気になったからだそうでした。


その親は、過去の政府の頃から学校でも社会でも随分と苦労をした人だったようです。


学歴もなくまた勉強も大の苦手であったようで、決してやりたくもなかった肉体労働に従事し何とか今まで生計を立ててきたのだそうです。
そうした生活のなか子宝にも恵まれ、貧しいながらも大事に育てたいと望んでいたものの、本人である親自身が勉強が全く出来ずに来たために、子供に何をどう教えていいかもわからず結局学校に任せっきりにしていたのだそうです。


その子は幸いなことに心がねじれることなく、そつなく育っていたのですが、それがこうして政府が変わり学校が変わったことで、みるみるとその子の言動もはっきりと美しく変化していったのを感じたのだそうです。


決して親バカではなくその子は瞳が輝きを増し、言葉が力を持ち、行動の前にしっかりと建設的に考えを巡らし、微細なことをも取り逃がすことなく記憶するようになったというのです。


そしてその子の親は、やがて「羨ましい」と感じるようになり、恥を忍んで子供を通じてこうして教師に教えを乞いに伺ったのだと言いました。


新しい教師はその不器用ながらも誠実な親の言葉を、穏やかな笑顔で全て受け止めました。
そして少し話の腰を折るように教師は一度離席しました。
教室に残された親は少し居心地悪げに教師の帰りを待ちましたが、その間にこの教師は別室で魂を震わせるように泣き崩れていたのでした。


つづく

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