【獣人処方箋】 Case.21 「獣人大戦:前編」(No.0243)
獣人を代表するような存在であるヤクザを描いた映画「アウトレイジ」は『争い』の本質がとても良く描けている作品です。
3作あるどれを観ても、暴力シーンが一方的に描かれてます。
特に最高傑作の2作目ビヨンドはそこが徹底しています。
私達が思い描くアクションというものは、通常その行動によって何かが変化する事を言います。
特に主人公はその争いの行動で良い結果を出し、事態も好転します。
しかしあの映画の銃撃アクションなどは、どれもこれも全て一方的です。
何だか虚しいほどあっけなくて救いがありません。
銃撃シーンのどれもが『争って』いないのです。双方が同時にやり合わず、やる側が圧倒的な暴力で踏みにじっていくだけです。
つまり虐殺なのですが、これこそが『争い』や『戦い』の本当の姿です。
本当の戦闘はやり合いません。その無情さがよく描けています。
しかし、そんなアウトレイジにもお互いがやり合う戦いもあります。
ただしそれは銃撃ではなく『口喧嘩』です。
そしてあれこそが私達の言う『戦い』のシーンなのです。
あそこではしっかりとお互いがやり合い、ぶつかり合っています。
そして決着もつきます。
あの口喧嘩という戦いで勝敗が決まる。それこそが本当の戦いなのです。
つまり私達の観たがっている銃撃アクションのシーンというのは、口喧嘩でついた決定事項を遂行するただの事務処理に過ぎないのです。
一方的で虐殺にしか映らないのは当然なのです。
何しろもう既に『決定』しているからです。
また、口喧嘩だけでなく根回しなどの政治、経済的なやり取りも戦いです。特に2作目ではシリーズで最も有名で素晴らしい、関西ヤクザとの初顔合わせで行われる口喧嘩シーンがあります。
あの戦いで良い決着を示したことで関西ヤクザは味方に付いてくれます。
そしてその時点で勝敗が決まったのです。
後は全部事務処理シーンが延々と続くだけです。
決定された路線を進めるだけです。
同じヤクザ映画『アイリッシュマン』で、殺し屋の主人公に業界の大物である友人が、気に入らない男の殺人を依頼をしますが主人公に断られてしまいます。
何故なら主人公の上司がその男を殺すことを許可しないからです。
これも要はまだ勝負が決着していない、もしくは決着の結果、彼を始末しない事が決定しているからです。
主人公であろうが腕の立つ殺し屋であろうが、その会議の決定に従うしかありません。そここそが戦いの真の姿だからです。
政治や経済、根回しこそが戦いの本当の姿であって、我々の言う戦いというのはただの虐殺行為であり、事務処理なのです。
もう既定路線をひたすらに進めているだけなのです。
つまり、我々の言う戦いというものは、実は仕掛けてくる側が圧倒的な力で行うただの処理なだけです。
だから、戦いを仕掛けてくるものは「絶対に勝てる」ことを前提にやってきます。
ところがそれは、戦いの中心にいて、なおかつその戦いに勝利した上で事務処理を実行しようとするものたち、つまりやる側の理屈です。
しかしやられる側、決定権も無く一方的にただ仕掛けられる側にはそんな事は関係ありません。突然に攻撃される方はたまったものではありません。
やられる側は必死です。
たとえそれが自分の知らないところで既定路線を敷かれていようと関係ありません。
何であれ、自分を守る必要があります。
だから、戦う必要が生まれるのです。
そしてこの『戦い』こそが、私達の思い描く戦いの姿です。
戦い、争いとは攻撃を『仕掛けられる側の抵抗』、もしくは弱者からの反撃のことです。
私達は、特のこの日本においてはある強力な洗脳が施されています。
それは『戦うことは悪である』という洗脳です。
何しろ一方的に踏みにじる側からすれば抵抗されるのは面倒ですし、逆に仕掛けられたり反撃されては困るので、幼い頃からそのような洗脳処理を施すのです。
しかし、言うまでもなく当然ながらそんなものは嘘です。
唯々諾々と従って戦わなければどうなるかなんて言うまでもありません。
徹底的に奪われ虐げられ、支配され殺されるだけです。
先に書いたとおり『戦い、争い』というものは、本質的に私達の思い描くものとは違って、基本は口喧嘩や政治、根回しなどの『情報戦』なのです。
獣人たちはその本質をよく理解しています。だから先に回って洗脳という形の『情報戦』を仕掛けているというわけです。
認識されていないだけで、この情報戦は意外なほど頻繁に発生しています。
何しろテレビをつければそこはまさに仕掛ける側の都合の良い情報という『弾丸』が飛び交い、私達を常に攻撃し続けています。
スマホを開いても同じだし、街を行けばどこもかしこも誰も彼もがやり合っているのです。会社でも学校でも自治会でもPTAでも。
繰り返しますが、戦いの本質は『情報』であって、暴力というものは決着後の『事務処理』です。
この戦いというものは恐ろしいことに、自分たちの手の届かないところで勝手に行われる事が多く、そのために全容が見えづらいです。
しかしそのくせ決着後の事務処理の際には、最も過酷な結果だけが問答無用で私達に押し付けられます。
だが、その事務処理時であろうが、その前の情報戦であろうが関係ありません。私達はきちんと戦うべきときには戦わないといけません。
こんな当たり前の事を大仰に語らないといけないほどに、争いや戦いを批判する洗脳は強いです。
しかしだからといって滅多矢鱈と戦えばいいのではありません。
当然ですが、それはそれでやり方というものがあります。
そして何よりも、戦うためには武器が必要です。
間違っても素手で戦って勝てるわけはありません。
事前に武器や防具を準備し練習する必要があります。
その武器も別にアウトレイジなものでもなく、ブルース・リーなものでもありません。
何しろ戦いの本質は情報戦なのだから、使う武器も防具も情報です。
ここに、簡潔ながらその武器の使用法を紹介します。
戦いでもトラブルでも、机上の問題であっても、いざそれに挑む前に必ずしなければならないことが3つあり、それは共通しています。
まずは身に降り掛かった問題を、肉体、感情、身体ではなく、頭で受け入れることです。
そうすることで問題を分析し、本質に迫ることが出来ます。
絶対にしてはいけないことは、感情的になることです。
感情、つまりは肉体ですが、そこで問題を受け止めてはいけません。
必ず頭を経由させることです。
つまり問題を情報として分解し頭の中で再構成することです。
そしてそれが出来るように訓練をすることです。
この対処は、実は仕掛ける側にとっては一番嫌なことです。
それ故に、獣人たちは相手が頭を経由させない行動をしてきます。
それが『感情に訴えかける』という作業です。
攻撃を仕掛ける獣人たちは必ずこれを実行します。
わざと感情を逆なでする。
または同情を誘う、共感を覚えさせようとする。
これを絶対にやってきます。
感情や肉体を想起させる行動をとるのです。
ですからそれに引っかからないように、問題は必ず頭を使って知性のミットで受け止める必要があります。そしてそれが出来るように訓練が要ります。
次に、その仕掛けられた戦いやトラブルや机上の問題には、必ず『意図』が隠されているので、それを読むことです。
ものを読むことは大切だ、と幼い頃から教えられていますが、そこで教わることは全て本などの「書かれている」ものについてです。
しかし、本当に大切な読むものとは、「書かれていないもの」です。
そしてそれを読む力が大切なのです。
戦いのように見える事務処理とは、既に勝利が決定しているから行われます。ですが、攻撃を仕掛けられた側にはそれが見えません。
だからまず最初に、その仕掛けてきた側の「意図」を読む必要があります。
目の前のアクションではなく、そのアクションがどういう理由で行われているのかを読みます。
これは学校のテストなども同様で、いい加減な理由で問題を出すことは決してありません。
その問題を出すときには必ず、その問題を出した理由があります。
「〜の歴史をきちんと覚えていてほしい」
「〜の計算方法はしっかりと熟知しているか」
「〜の文法は活用できるか」
など、どこにも書かれていない『意図』が必ずあります。
戦いも同様で、相手は攻撃を仕掛けることで、理由や目的など、
相手に『伝えたいメッセージ』を含ませています。
それを読みます。
これを読むためには、やはり頭、知性と訓練が必要です。
そして最後に、その仕掛けた側が持っている「知られたくないこと」を読みます。
これを読むためにも、事前に戦いの「意図やメッセージ」を読む必要があります。
攻撃されると人は感情的な恐怖を覚えたり相手の風貌や言動に恐れを感じてしまい、冷静になれず受け身になってしまいます。
そしてそうなると相手が絶対無敵な存在にさえ見えるようになって、戦う気力が奪われてしまいます。
しかし、それはきちんと頭を経由する事で回避が可能です。
そして、実は相手には自分へ攻撃するだけの正当な理屈なんて一切無いことが認識出来たりもします。
攻撃をする時、人は防御が疎かになります。
ボクサーが殴る時は、必ずガードが一瞬失われるように、攻撃行動と自らの弱点というのはとても近しい関係にあります。
たとえば、街なかで恐ろしい風貌の獣人があなたに喧嘩を売ってきたとします。
まだ何もされていない状況ですが、しかしこの時点でもう既に相手は弱点を露呈しています。
何故なら、その獣人はあなたを『攻撃出来ない』という弱点を見せているからです。
もし本当に、彼らの風貌や言動のとおりに、あなたに強力な危害を加えようと考えているのであれば、本来どうしているでしょうか?
それは、名作「グッドフェローズ」で言っている通り、
『何も言わずに後ろから射殺』しています。
これが本来の姿です。
しかし、そうせずに正面から喧嘩を売ってきている時点で、相手は簡単には手が出せない状況にいる、という弱点を現しているのです。
もしその時、獣人が一人なのであれば、その攻撃は殆どやる気の無いものだと判断して良いです。
恐らくは気分や実験や練習でやっているだけでしょう。
嫌な話ですが、人に危害を加える獣人たちは、実は日々一生懸命に『悪の練習』をしています。
恐ろしい話ですがこれは事実です。
悪が商売である以上、それがきちんと実践で役立つように日々精進しています。
わざわざ努力して『悪』になっているのです。
狂っているとしか言えない行動ですが事実です。
微笑ましいヤクザ映画の『無頼』でも、中盤にテレビの天気予報に向かって必死に罵詈雑言を言い放っているチンピラが登場します。
あれは因縁をつけたり揚げ足を取ったりして相手を言い負かす為の『訓練』です。
ああやって日々、彼らは人を傷つけ悪を拡大するための修行を積んでいます。
業界用語で「掛け合い」と言います。
下っ端たちがこのような口喧嘩を練習する理由は簡単で、「手を出せない」からです。
罵詈雑言は法に触れませんが手を出したらすぐに逮捕となります。
だから、実際は手を出すように「見せかける」だけです。
その技術を彼ら獣人たちは豊富に持っています。
ちなみに、現在では街なかでの掛け合いの必要が減っており、彼らのメインはネット上になっています。
そこで彼らは所謂2ちゃんなどの「スレ」やTwitterでこの「掛け合い」の練習や実践を行っています。
ここでの戦いこそが現在は主戦場になっていて、テレビにもそういう連中が沢山いるのはご承知のとおりです。
攻撃というものは、その時点で何らかの相手の弱点を教えてくれています。その相手の弱点までしっかりと読むことが大切です。
そのためには知識や知性、そしてそれもまた訓練が必要になります。
先程、感情を逆撫でしてくると書きましたが、こうすること以外にも彼らの得意な手法があります。
それは『視野の操作』です。
彼らは相手に対して、自分たちの都合の良いものだけを見て、感じて、読んでほしいと望んでいます。
その為にそれ以外に目が行かないよう相手の視野を狭めようと工作します。
ここでいう「視野」というのは物理的な「眼」のことではなく「知識、思考回路」のことです。
自分たちの弱点に意識を向かせずに都合の良い思考回路に陥ってもらうための情報工作を巧みに仕掛けてきます。
これはよく営業の本などにもあるテクニックですが、例えば相手に厄介事を頼む際に、その問題よりも大きな問題解決を依頼する、そしてそれを断られた後に本来の頼み事を依頼すると相手は「それならば」といって引き受けてくれる。
または、相手に「はい」と肯定させたい時は、全然関係ない質問などで「はい」と何度も言わせ、その後に本題の質問をする。そうすると人はつい「はい」と答えてしまう、などなどです。
このようなことは、要するに人の思考回路をコントロールする為の獣のテクニックです。こうやって人の『知性の視野』を操るのです。
これらの攻撃から身を守るためには、知識として知っておくことも必要ですが、それだけではなくきちんとその都度知性を使って考え分析をすることが大事です。
しかし獣人はそれをされないように、焦らせたり急がせたりします。
それは相手からの攻撃です。
つまり相手の弱点です。
このように
『頭を経由して分析する・相手の意図を探る・相手の弱点を読む』
といった行動を身体に染み込ませることです。
目の前に問題が置かれた時、うっかりすぐにその問題である「中身」に触れようとしますが、それはしてはいけません。それが既に操作です。
子供の頃から紙のテストなどを用意された時、私達はまるで競馬馬のようにスタートを焦らされます。これもまた視野と知性の操作なのです。
その前にするべきこと、頭を巡らせて理解するべきことが沢山あるのです。
「なぜこれが置かれたのか」
「なぜ今なのか」
「なぜ彼が持ってきたのか」
「なぜ私に、なのか」
など、問題の「外側」まで広く知性の視野を広げてください。
そこには必ず相手が仕掛けた罠の「糸」が顔を見せているはずです。
そこを見出す力を持つことで、獣人の言いなりになる人生から外れることが出来ます。
後編へつづく