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コツ塾で学んだことを実践してみた

昨日の続きを書いてみる。


具体的には

遊びを求めていたことにたどり着いた過程について。


1 方法

瞑想をベースにしたNVC + コツ塾で学んだことのごちゃ混ぜのやり方

瞑想で足の痛みを感じ続ける。
その痛みを十分感じたら、その痛みに名前をつける。
「シャア」と名付けた。(アシの音を反対にした感じ)

そのシャアと話をする
時に相手が語ってくれることを待ちながら。
私の頭が勝手に私の思考を伝えていく時もあるから
シャアの言葉か見極めながら。

脚を横から押しつぶしてくる感覚。
苦しい。苦しすぎる。
それでも感じ続けると、自己否定してきた過去が一つ一つ思い出される。

改めてそれらを見返すと同じパターンだった。

自分はできないを否定するために
もっともっとと頑張り続けて自己否定を深める。
燃え尽きてしまう。
または、取り返しのつかないミスをする。

おっと
今回もそうなりそうだった。

感情の先のニーズは
尊厳
自由
遊び

まず自己受容
さらに遊び

まず無意識に自己否定してたこと一つ一つ受容。
信念(思い込み)の書き換えもする。

さらに
遊んでなかったことに気づいた。

遊ぶ

仕事も遊べばいい。

真剣になりすぎてたね(苦笑)

大変さばかりにフォーカスして楽しめてなかった。
その時の気づきが実はこちら

お客さんと遊ぼう。

この原点を忘れていた。

もちろん礼節を持ってだけどね。


2 過去の嫌なこと


スッキリした気分になった。

ホントネガティブな自分に気づく反面、
体は大切なことを教えてくれる。

そこに気づくための途中の苦痛を避けなければ。


3 見て見ぬふり


見て見ぬ振りが多いことにも気づく。

弱いなあとも思う。

けど、大事なことはいつもそこにあった。

苦しいことは大抵大事なことを教えてくれる。

自分の弱さを受け入れながらも
その都度やっていこうとまた思った。


4 答えは内にある


常にそうなのだ。

自分が納得してうまくいかなかったら
失敗してもそれで納得できる。

昭和の経済成長時までは違ったのかもしれない。

けど、今は長いものに巻かれる時代じゃないかもしれない。


例えばこちら

子供の頃、加藤諦三氏の本をさんざん読んだから、
今も活躍されているのはうれしい。

でも、この人の言うことを受け入れるかどうかは自分で決めることだ。

うがった見方をすると
回答者の人生を肯定するための答えに感じてならない。

組織上、服従や献身は必要な時もあるけど、
自分の人生は自分で決めるしかない。

自分の感性を信じていいのだ。


ちなみにこのお二人は自分の感性を信じている。

今日もありがとうございました!

ご縁に感謝です。サポート頂いたら、今後の学習投資に使わせて頂きます。