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東北という独特な文化背景 〜戸嶋靖昌に思う縄文エネルギー〜


わたしが愛読する執行草舟氏。
大変影響を受けた。


人生論では質疑応答のやり取りで肚に落ちた「現代の考察」

はじめ多数著書がある。





その執行草舟氏の愛した
戸嶋靖昌 という男

秋田県立博物館での
戸嶋靖昌展



執行氏の思いがほとばしるインタビューがあり、
何度もYouTubeで見て
何度も文章を読んだ。


そこから
わたしの思う
東北という土地の
矛盾をはらんだ美しさを語ってみたい。


1 東北という土地 違和感から

何というか
関東は埼玉から
福島県川内村に
移住した私には
違和感ばかりだった。

・山で採ったものを食う文化
・どんどん人にくれる文化
・(本心では)お金には執着しない
・炭焼きをやりたいに答える人がいる
・仕事と遊びの境界がはっきりしない
・個性が際立っている。
・会社や行政の権威さえなければ、フラットな関係性
・会釈に気づいてくれることが多い

上はいい言葉を並べ過ぎたかもしれない。
逆に、悪いことも書いてみる。

・本音をなかなか言わない。
・飲みニケーションでは、本音を語る
・よそ者への警戒心が異常に強い
・言行不一致
・対面のコミュニケーションを重視
(Non Verbal Communication、非言語コミュニケーションの方が大切。)
・聞いてもちゃんと答えてくれない人が多い(察してねの文化)
・会社・行政では、上下関係がはっきりし過ぎている(これは福島だけではないかという人もいる)


愚痴にも近いことを書いたが、
私の偽らざる感想。

以下
いくつか分けて考えてみる


2 里山という巨大な文化

春は山菜
秋はきのこ
冬は炭焼きとものづくり

その大元は 
里山という巨大な文化
自然の恩恵を最大限享受してきた背景がある。

生きていくことは食べること

だとしたら
食べ物をどうまかなうかは
最大の関心事となる。

今でも
里山から採れるものを食べて
生活するこの土地の豊かさを
実感する。

もちろん
お店ではお金で買えるものはたくさんある。

でも
お金では買えない
里山の恵みを享受する
この土地の
強さもまた感じる。

お金で何でも買えるというのはやはり傲慢だ。

山菜・きのこなど
採った人がいなければ
売る人がいなければ
絶対に買えない。

人間の住む場所と
全く人の手が入らない山と
その中間に
人の手が入った里山があることで
境界が生まれる。

その境界に位置する里山から
山菜・きのこといった
恩恵を受けるとともに
イノシシなどの野生生物との住み分けを行ってきた。

間伐は
里山を作る大事な要素で
そのことで
自然のバランスを生み
多様性を保証するととともに
境界も作ってきた。

このことは
東日本大震災で
実際に人が住めないことで
多くの人が実感したことだった。

報道では
里山の利便性に対して理解が薄いため
経済原理で行ったら
限界集落や消滅部落といった言葉でしか評価できない。

東北の本源は実はそこにあって
稲作をきっかけとした
弥生文化の対極をなす
縄文文化を保持し続けられたのは
東北の一つの存在意義だとさえ感じる。

ここで押さえておきたいのは
縄文文化は
自然が森が生み出す
自然の恩恵
山菜やキノコなどを
享受する文化であったこと。

それに対して
弥生文化は
稲作でコメという主食を大量に作ることができた。

平たく言えば
縄文文化はあくまで自然の力を利用するので
大量生産はできない。
まして計算できない。

一方の弥生文化は
稲作なので
一反でだいたい一人一年の食い扶持になる・・・と
計算できる。

どのくらい人が増えてもいいか大まか計算できるというわけだ。

それだって
自然災害があれば全て作物はとれなくなるから
はっきりはしないながらも
ある程度の計算ができるところが
大きく異なる。


3 歴史から考察する

稲作が弥生文化の最大の特徴だ。

米作りには
水を引く必要があり
田んぼ作りのために
その土砂を整理する必要があった。

最近
ようやく認知され始めたこと。

各地の古墳は
天皇をはじめ権力者の地位を誇示するためのものと教わる。

しかし、
本当は新田開発のために
不要になった土砂を
積み上げた場所が
古墳だった。


逆に言うと
あの頃
具体的には5、6世紀だろうか
古墳のない地域では
稲作は行われていない。

古墳の北限は岩手。
福島では南相馬にあるくらいで
その当時はまだまだ
寒い東北で稲作ができる地域は少なかった。

事実
そば文化の会津地方は
稲作はずっと後の話だ。

私見ながら
五穀豊穣という言葉がある。
蕎麦は五穀ではない。
今でこそ、蕎麦をありがたがるが
昔は五穀の一つ下の作物と思っていたと考える。

事実
川内村はそば作りに適していると
ここ10〜20年で作りはじめているが
それまでは
うどんの文化だったと聞く。

逆に
会津では
稲作ができなかった分
工夫の末に
蕎麦文化が実ったと
いう方がいて
私はその通りだと思う。

余談だが、
文化はないところを工夫していくことから生まれるのだ。
川内村は山になるが、
海にも近いので
大正くらいには鯨肉を食べられたから
良くも悪くも豊かな場所で
会津のそば文化を作るような土壌ではなかったとも
いう方がいる。

4 弥生文化による人口爆発

稲作がはじまれば
当然食べ物が多くとれて
人口も増える。

悪く言えば
ごくつぶしを増やすことができた。
だから
この時から移住もしやすくなった。

一方で
一反で一人を養う量ならば
どこまで
その土地に人を入れていいかはわかる。


稲作ができてから数世紀で、
土地の価値も上がることで
墾田永年私財法等の法律もできる。
また
戸籍を管理する律令の政治も生まれる。


ここから完全に私見ながら
東北という土地の利用価値があったのだと思う。

それは
大和朝廷からすれば
東北は蝦夷地
つまり平たく言えば、野蛮人の住む場所とすることで、
そこに多くの移住民を入れることができた。

具体的には
現在の満州や蒙古の地にいた
騎馬民族を入れてきた。

アイヌが
騎馬民族であるかのように言われるが
それは
騎馬民族とアイヌが混じり合って
そうなったと考える。

そのことで
8世紀だったか蝦夷討伐の坂上田村麻呂の話や
11世紀の鎌倉時代につながる武士の平氏と源氏が生まれたことなど
納得がいく。

さらに
明治維新に連なる
会津藩・松平容保が京都守護職になり
戊辰戦争につながる歴史も
東北の一つの極としての会津がある。

これらは
落合莞爾氏の歴史観に依拠していることを付言する。

5 東北の精神性の醸成

話があちこち行ったが
縄文時代に
三内丸山遺跡に見られるように
数千人の集落があったと言われるほど
縄文時代には東北が栄えていた。

だから
住む場所はただの住む場所でなく
食べる場所であり
人とつながる場所
さらに
雪に閉ざされる世界を知れば
孤独も必然となる。

土地への愛着が深まるのだ。


さらに
弥生時代以降
他地域の権力者の元に屈従する形で
生き延びる術を覚えた。

それが
今の東北の人間関係に
端的に表れている
(と推察する)。

良くも悪くも議論・公論できないのは
長い歴史背景があるので
簡単ではない。

一方で
武士を生む背景には
縄文の精神性もあったに違いないから
その武士道精神に連なる形で
芸術家も多かった
と考える。

上記の
戸嶋靖昌

有名なところで
棟方志功

私の住む地に縁した
草野心平

その心平が見出した
宮澤賢治

同じ相双地域・南相馬の文学者
埴谷雄高
(写真は相馬市ながら同じ相馬軍ということで引用)

等々
枚挙にいとまがない。


インタビューでも何度も語られている
戸嶋のいう
「不器用さ」は
一つキーワードになる。

残念ながら
と行っていいほど
器用な人は少ない。

器用さは
むしろ
要領の良さや
生き方をコロコロ変えるといった
マイナスの側面さえ帯びている。

私にしっくりする言葉として

愚であり
狂であること

二二六事件で
愚も狂も
一つのキーワードになる

この二字が
東北の精神性を
深く表している。

これは
面白くない話にとられかねないが
私は
最大の敬意を込めて
申し上げたい。


6 絶望の先にある希望

執行氏の話にもあったが
希望には
絶望が不可欠だ。

以前こんなことも書いた。


我々は
絶望的なことは
ただの嫌なことだが
そうではない。

絶望こそが
希望を生み出す源であったのは
文明の初発からそうであった。

具体例を一つ出そう。

日本が敗戦した
第二次世界大戦。

元々は
大東亜戦争と呼んだ。

それは
欧米に植民地化され尽くした
アジアを解放することが目的でもあった。

先の戦争には
敗れたものの、
戦後
植民地支配を受けたアジア・アフリカ地域は
それぞれ独立を果たした。

ベトナム戦争も戦後あったが、
独立を果たしている。
ここに旧日本兵が関わったという説もあり、
実は戦後も戦った人々もいたことに想いをはせる。

日本の戦争の目的が
植民地解放だとしたら
戦には敗れても
目的は達したのだ。

真の意味で
大東亜戦争の終わりは
今後の
朝鮮の独立(統一)であり
日本の真の自立だろう。

その頃には
縄文エネルギーが充満する
里山の暮らしが
背景とする
縄文時代のような時代が来ることを願う。

高村光太郎が
山林の詩の中で語った
日本国の骨格が山林にあることを
体現する時代になることを望む。



7 出会いの不思議

最後に、
ここにたどり着く不可思議について
蛇足ながら書いてみる。

私が
戸嶋靖昌氏との出会いは
執行草舟氏無くして考えられなかった。

執行氏を知るきっかけは
読書のすすめ・清水克衛店長だった。
読書の素晴らしさを教えてくれた。


読書のすすめ


今は逆のものさし講でもお世話になっている。
逆のものさし講


清水店長との出会いは
池間哲郎氏の音声配信だった。

今はこちらを新たに購入はできないかもしれない。

その音声配信の発行元は
リアルインサイト

こちらでは
政治経済のことを学び、

何より
歴史研究家の
落合莞爾氏との邂逅もあった。

さらに
西敏夫氏
ダイレクト出版さん

水口清一氏が西敏夫氏を紹介くださった。

その水口清一氏は
たくちゃんこと
野澤卓央氏から師匠のお一人として教えて頂いた。

今後もたくちゃんの
フォレストガーデンの活動は
私も注目していきたい。

それもこれも悩んで
コツ塾の門を叩いたことからだった。


今日もありがとうございました!

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Nayanderthals  ナヤンデルタール
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