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帰省中、故郷に思う

福島県のとある田舎に帰省しております。
相馬野馬追祭という夏祭りで有名な町です。
断じて南相馬市ではございません。
相馬市です。

インターネットで「相馬市」を検索すると
「南相馬市」が含まれるのに腹が立ちます(ガチ)
noteのハッシュタグで「#相馬市」と打つと
「南相馬市」が出てくる…あぁん⁉(# ゚Д゚)

私の出身地をうろ覚えの人は、時々
「南相馬だっけ?」と聞いてきますが、
なぜわざわざ南をつけるのですか。
なぜ単純に「相馬」と言ってくれないのですか。

南ってつけたら怒ります。
南をとってください。

でもそういう観点でいくと私のペンネームは
葦ミトになってしまいます。
うーん…
やっぱり南も大事にしなきゃダメかあ。

ごめんね、鹿島と原町と小高の人。
(↑南相馬市の旧行政区です)
みんなは悪くない。
南相馬市という名前だけがイヤなの…

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趣味で小説を書いていて、

いつか相馬を舞台に書きたいと思いつつ、
私の中の相馬は15年前のイメージで止まっている。

帰省する度に
新しい道ができたり
馴染みのお店がなくなったり
逆に新しい建物ができたり

通った小学校は建て替えられたし、
市民会館も市役所も移転新築してるし。

だんだん知らない街になっていく。

それでもこの街は私の故郷である。

帰れる場所がある。
この上なく幸せである。

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書きかけの長編小説(1/7時点)は、

帰る場所を失った人たちが
未来へ歩む方法をそれぞれ見つける話。

デリケートですが、
帰還困難区域を扱います。

同情してほしいんじゃない。
知っていてほしい。
忘れないで。

忘れないで。

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こんな記事もあります。

心が痛いけど、
目を逸らしちゃいけないなって思います。

どうかご一読くださいm(_ _)m

いろんな立場のいろんな意見があるけど、
当該住民の本当の幸せが
地域の復興と同義とは「限らない」と
私は思うのです。

断言はできません。

同じ浜通りでも、考えは大きく異なり、
原発に近づくにつれて厚く高い壁が
何層も立ちはだかるのです。

いわんや福島県内をや。
山を挟んで違う国が3つあるような県ですから。

悲しいけど、住民が本当に一致団結して
復興に対する価値観を分かり合うことは
無いと思います。
(そうでなくとも人を理解するって難しいですが)

それでも夢や理想を捨てたくない。
みんなが幸せになる未来を選びたい。
そう思って、小説を書きます。

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あとがき

うーん。
やっぱ綺麗事の良い子ちゃんになってしまう。
でもそれでもいい。
曲げたくない。

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予約投稿ストックが切れたので
実質の書き初めですw

暗いなっ。

でも夢を語らせてほしくて。

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とっ散らかってきたので、
今回はこのへんで。

応援してくださるそのお気持ちだけで、十分ありがたいのです^_^