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足るを知る 〜道具の修理から〜

おはようございます!
関孝男です。
昨日は道具の修理を行った。その時の気づきを記す。
結局足るを知るってこと
そして、それは人に社会に求めることではないこと。


1 道具修理
2 昨日の反省
3 「急ぎすぎた世界の過ちを取り戻そう」
4 「社会」の変化の前に「私」の変化



1 道具修理

写真(2020-06-02 15.24)

やり方がわからず後回しにしてた。

平日も忙しくてなかなか手が回らなかったのも事実。

ちょうどその手のことが上手な方がいらして聞いてみた。

うむ。
やはり、簡単ではなかった。

でも、道具も普段から持ってるその方がいて直すことができた。

すがすがしい。


2 昨日の反省

これって

足るを知る

だなあ。


昨日書いた記事

冒頭の福島民報の社説の話にもつながる。

複雑に考えすぎて、なんか話の筋が変わっちゃったなあと反省。
足るを知る と 恐れか愛か とをごっちゃになった。
結局ひとつながりだけど、それを表現しきれなかったから。

とはいえ、
やらないとわからないことだし、
アウトプットしてわかることも多いからね。

失敗多いに結構!

余談ながら、
最近若者と話していて、
案外私の失敗談を聞きたい
あるいは
そこからわかることに興味を持つ人もいて
驚いた。

失敗は知恵の宝庫だ。


3 「急ぎすぎた世界の過ちを取り戻そう」

足るを知るの話に戻そう。

またこんなニュース記事を見つける。

尾崎豊の「Cookie」という曲の歌詞

「急ぎすぎた世界の過ちを取り戻そう」と。


現代社会に対してこう問いかける高橋博之氏。

確かにその通り!

と思う反面、社会に引きづられて一人一人も急ぎすぎていたのではないか。

また、社会への批判は、時に自分の不満の隠れ蓑になりがちなことも
よく見てきた。

時に人のせいにしてもいいと思う。

ただ、あまり解決につながらないと感じる。

どこまでも自分の主体性を組み込まないといけない気がするから。


4 「社会」の変化の前に「私」の変化


社会が 
社会を構成する一人一人が 
というより

私が 

急ぎすぎてた!
ようにも感じた。


まず私が
足るを知る
ことからはじめたい。

スピードが速くなる現代社会で
知らず知らずに
「自分が」
急ぎすぎてた!

「ある」「ない」の話を聞いたこともあった。
「ある」からは「ある」が生まれ、「ない」からは「ない」が生まれる。
簡単に書くとそういうことかな。

まだまだ私には足りないという欠乏感は強い。

でも、十分あるのかもしれない。

なくても
急ぎすぎる理由などなかった。

足るを知る

これを社会に 他人に 求められない。

変化は自分一人ではじめるしかない。

そして、それを訴えるのもいいだろう。

でも、
つまるところ

感化

しかない。

一呼吸置いてみる

まずはそこから

はじめてみっぺ。

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Nayanderthals  ナヤンデルタール
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