本との暮らしの可能性 〜フルハウス〜
ぶらり訪問。
作家・柳美里さん経営の本屋
フルハウス
写真はそこで購入した本。
私の住む福島県川内村
車で1時間以上かけて
都会まで行かないと本屋はない。
もちろん近隣の
中程度の田舎でもない。
特に私の住む
ド田舎では
その価値も認識されにくい。
本との暮らしの可能性について考えた。
1 きっかけ
小規模で
本の販売をする方達の対談
こちらの動画を見た。
昨日の記事も参照まで
今は一冊から卸販売もしてくれるという。
美容室で本を販売している事例も紹介されている。
驚きの事実!
本屋のあり方も変わっていいのかもしれない。
私の住む人口2000人ほどの村では本屋は
どう考えてもできない。
ネット通販でも買える時代なのだから
需要はない。
でも
本屋があることの文化的意義は大きい。
本を通して
全く違う世界を知る機会は得られる。
大きく商売できなくても
個人レベルでなら
たとえ
田舎でも
できる可能性はあるかもしれない。
ネットでは本はいわゆるジャケ買い。
表紙・書評を見て選ぶ。
でも、実物を見て選ぶことはこだわりたい。
2 フルハウスにて
南相馬市小高区で本屋を経営されている
フルハウス
最近では
柳美里さんが
全米図書賞受賞で
来ていたお客さんが
「おめでとうございます」なんて声をかけていた。
一般的な書店とは
全く異なる本の並べ方!
秀逸だ。
震災や原発事故関連の本もあり、
昔からの文学もあり、
絵本もある。
写真に載せた
「フクシマ・抵抗者たちの近現代史」柴田哲雄・著
この地域はお上に従順だと私も感じていたが
その地域にも抵抗者がいたこと知り
驚いて購入した一冊。
正直
こういう本は売れないはずだ。
でも
本屋にあるというのが価値があること。
そのことを大切にしている本屋であることを感じた。
また、
確実に売れる
「鬼滅の刃」はじめ漫画の類はない。
私個人的には
その心意気がまたうれしい。
小松理虔氏の「新復興論」
の近くに
高村光太郎の詩集や
アランの幸福論を置かれていたりするのは
思いが見え隠れする。
3 柳美里さんとの出会い
現在45歳の私が
20歳頃のこと。
柳美里さんの「自殺」を読んで
衝撃を受ける。
完全自殺マニュアルが出たり
阪神大震災や地下鉄サリン事件等
バブル崩壊の余波を受けた
時代背景や
ノストラダムスの大予言の世紀末・終末論も強かった。
内容は
全て忘れているが
何か暗い重苦しい感情だけが
残っている。
バブルに浮かれ
どんどん上に上がっていくと幻想があったものの
途端に
それが打ち砕かれた
悲壮感も強かった。
印象的な曲として
「黄昏’95」Tokyo No.1 Soul Set
・・・落ちていくほうがずっと自然で・・・
なんて歌詞が
やけにこびりついていた。
過去記事参照
そういった時代背景の中での作品だった。
今思えば
三島由紀夫の自死にどこか接触するものもあったかもしれない
なんて思ったけど
多分そういう中身ではなかったはず。
現在にもつながる
生きることにリアルさを感じられないことが主題だったはず。
阪神大震災直後の出版で
筆者の苦悩も語られていて
一時代を反映する書でもあった。
その後
作家活動を続けながら
東日本大震災の地・南相馬市との縁から
本屋を始めている。
地元の高校生とのつながりもあり、
劇作にも参加。
綺麗事を言う若者が多い中
有名人が多数講師で来る学校の生徒が
「(そんな有名人)俺読んでねーし」
みたいなセリフが出てくる。
震災後
復興のためにがんばることことが
10代の若者に課せられた義務のような風潮を
見抜いていた氏の慧眼にも驚く。
文学含めた芸術家の感性は
きっと研ぎ澄まされている方と拝察する。
4 本屋の可能性
1章「きっかけ」でも論じた通り、
本屋があるという文化的意義が大きい。
文学の衰退した時代だ。
神話も含めた文学のない民族は滅びる
著名な歴史家・トインビーだけでなく
柳美里氏もそんな本を出しているのを
フルハウスで置いていて
また思い出した。
これからの時代変化で
本というものも無くなるのかもしれない。
電子書籍がすでにネット上で売買されている。
確かにそれもいいが
本屋もあって欲しいと願う。
前述の
「フクシマ・抵抗者たちの近現代史」柴田哲雄・著
こちらに元双葉町長の話が出てくる。
もともと反原発だったが県議に落選を続け、
町長選出馬前に社会党離党、
反原発も改めた。
町財政も逼迫しており
町民の要望もあって
原発増設を持ち出した。
造反とかなんとかでは片付けられない話だ。
移住して7年
このことは知らなかったし、
どう捉えていいかは
簡単ではない。
あえて言えば
民主主義の弊害をまた思い出す。
人間のために生み出されたものが
人間のためにならなくなっているのではないか?
原発も民主主義も資本主義も
グローバル経済も
人間のために生み出されたものが
人間のためにならなくなっているのではないか?
そんなことを考えた。
だいぶ簡単に書いてしまったが
考えるための材料がいるし
自分と全く違う生き方を知ることで
考えも生き方も広がる。
インターネットや人との出会いもそうだけど
本という媒体も
世界を広げてくれる大切なものであって欲しい。
新たな世界の可能性を感じる機会になった。
その昔私は
本屋をやりたいって思ったことも思い出した。
本日も
ありがとうございました!