【備忘録】2022年7月 8月 9月に観た演劇
7月
①蜂巣和紀プロデュース公演 B級グルメ祭(コント劇 7/7~7/10 7/8マチネ観賞
ここ、
ステージカフェ下北沢亭での、蜂巣さんのコント劇で、文字通り、寿司屋でのアイドルNo.1をめぐる、アイドルとをヲタクとのドタバタを描いた「寿司ドル総選挙」。間違って超安い値段でタンタン麺を販売すると宣伝してしまったために繰り広げられる騒動を描いた「タンタン麺が冷めないうちに」。ヲタク気質なのだがそれを無理に隠そうとして空回りするの男3人と、ヲタク気質な3人に一見がっかりしているようで実は自分たちもそれほどスマートではないことを自認している女3人との合コンを描いた「俺たちの青春焼肉大作戦」の3本。
コントを、筋とか笑える場面とかを書くのはなかなか苦手だし、そもそも、好みの蜂巣さんの公演とはいえ、さすがに記憶も薄れているので、細かいことは割愛も、柳瀬晴日さん、羽根川洗太さん、福原英樹さんら、一般人らしさを表現しつつ笑わせる技や、比嘉ニッコさんのような、旧来の仕草とか言い方で笑わせる技など充分堪能。
その中で、昨年10月から2回、我らが平瀬美里・みぃちゃんと共演の花澤歩さんも出演していて、タンタン麺で比嘉ニッコさんらを相手に奮闘。小生の受けた感じでは、アドリブとかをかますというよりは、蜂巣さんの台本をしっかりとしていこう、と見えたかな。彼女からしたら先輩たちでもあるし、公演参加回数などもあるだろうしで、なかなか弾けるのも難しいけど、ニッコさんの導きで動きとかも面白くなっていったね。
②野に咲く花なら(7/27〜7/31 小生7/27初日観賞)
我らが3Bjunior出身で舞台演劇に出演する者たちの何人もが、共演させていただきお世話になっている、
長谷川麻由・はせまゆさんが、
筋ジストロフィーに冒されて、常に死と向き合わざるをえない毎日を生きる女性患者を、テアトルBONBONで熱演。
原作は、あの「コント赤信号」の、待たせたなあ〜!でお馴染みのリーダー・渡辺正行氏で、40年前の実話を元に20年前に舞台化したもの。筋ジストロフィーの若い子供達が、言葉は悪いが次々と「収容」されてくる医療施設に、保母として派遣された女性(演じたのは山下聖良さん)が、何もしないで良い、鳥籠の掃除でもしておいて、と言う看護婦(当時は看護師ではなかったよね)、それを諾々と受け入れるだけの保母仲間、死を受け入れざるを得ない環境で、半ば悟ったように毎日を無為に生きる若い子供達。
そんな彼らに対して、それでも、生きてゆく意味はあるということを伝えたいがために孤軍奮闘。自分はもちろんときには家庭をも犠牲にしながら、紆余曲折の末に患者の今を記した詩集や、音楽発表会開催までに結びつける、という感じの、約2時間のもの。
40年前といえば小生も小学校高学年で、世の中のことには無知だったんだけど、そんな小生でも、障害については、あの時代は、腫れ物に触るかのようだったり、無かったことにされていたり、そんな扱いだったと記憶している。
いや、もっとはっきり言えば、難病や障害は差別と偏見に満ちていたと思う。自分たち小学生なんかは、まわりの空気に合わせて、彼らを、○んちゃん呼ばわりしていたことを懺悔します。この作品では、そうした世間からの迫害みたいなものは、直接的には描かれてはいないけど、山下さん演じる敬子が病気を理解したつもりでも、本質的に死から逃げられないということに、決定的に理解できていなかったという部分は、理知的な子供であるほど偽善に映り、直接的な差別偏見を投げかける者よりも、悪人に見えてしまうのかもしれない、なんてことを想像させられたね。
そうしたことを端的に言っている患者・理佐子を、はせまゆさんが素晴らしい演技で表現。敬子のすることなすことに、ことごとく反発する理佐子は、演劇内ではいわゆるヒールにあたるけど、こと、この作品では、小生は、
敬子含めた世間、そして客席に対してまでも、
あんたらは死なない前提で色々言うけど、
所詮私らは死ぬんだよ
って気持ちはストレートに伝わってきて、敬子こそ偽善ではないか、って思わせられたほどの「ベビーフェイス(善玉)」だった。勿論、理佐子の同年代の感情達には、死を前提としても敬子の呼びかけに応じる者のほうが多いし、それもまた咎められるはずのない事だけども、あの理佐子の説得力には圧倒されたね。
最終的には、敬子も自身の離婚など自身をさらけ出したり、自分はまだ死なないからわからないことを話すなどの姿から、理佐子の心も少し解れて、最後の、患者達の歌唱発表会で幕を閉じることになるが、理佐子の死は描かれなかったね。そこには、医療も進み治療法は向上しているという現在での希望があるから、と小生は解釈してみたけどどうだろう?ほか、池澤汐音さん、長月翠さん、羽野花奏さん、また、スタダの人が多くww出演。
※記事書いている時期に、追加の京都公演の、はせまゆさん降板の報。病気系でないので事情が気になるが、彼女は11月も別芝居で活動なので、それを応援しよう。代役は、我らがスタダの羽野瑠華さんとは!
②TOMOIKEプロデュース 追憶ベイベー(7/27〜7/31 7/28観賞)
みぃちゃんが何度もお世話になっている、松竹芸能の友池さん(一彦)が,演劇仲間4人とユニットを結成して(このうち吉田爽香さんは今年加入)不定期的に公演をしている、TOMOIKEプロデュースの第8回公演作品で、
ここ、
下北沢の駅前劇場で上演。
ヲサダコージさん演じる、過去に一度だけ賞を取ったという栄光を引きづったまま、現在は場末のアトリエ所属の冴えない画家・ヒサオ。ある日近所に隕石が飛来すると、画家仲間の今井(根岸可蓮、れんれん友池さん作品に初参加)が、居なくなったと思ったらまったく違う場所から現れるという、不思議な挙動を見せ愛せたり、見知らぬ女の子・カノン(速瀬愛、小生知らなんだ、スタダ3部の田口組長傘下の人!)が姿を見せたり消えたりと異変を知る。おまけに、カノンは自分を「パパ!」と呼ぶなど心当たりがないヒサオだが、たまたま今井の持っていた小さな石をこすり合わせると、今度は自分も突然知らない場所に移動してしまい、しかもそれは前に経験済のデジャヴー現象で、どうやらこの石は隕石の欠片であり、タイムスリップすることが可能となるようだ。
事情が理解できたヒサオに、カノンは、今のヒサオが完成途上で残している絵が、博覧会のイメージデザインとほとんど変わらぬくらいに似ているので、しっかりすれば、未来では危険な状況にあるパパ自身を救えるのだから頑張ってほしいと請う。
その博覧会デザインの監修が、かつて賞を取ったときの選考委員でもある岡崎(安田ユーシ)だと知ったヒサオは、岡崎がアトリエを見に来た折に昔のことを引き合いにアピールするが、岡崎は覚えがなく、むしろ過去にすがるヒサオを嘲る。さらに、岡崎の妻が、どうやらかつての自分の恋人だった雫であることを知り、やるせなさを覚えたヒサオだが、もしかしたら岡崎のデザインは自分の作成途上のものを何らかで知り得て加工したものでは?と考えるが確証はない。また雫との別れに後悔もあるヒサオは、隕石の力を蓄えて、その別れた直後にタイムスリップして、その時の雫ともう一度会い雫の幸せを願うことを告げて、しっかりと別れることをし終える。
そして現代に戻り、いよいよ未来に戻るというカノンを泣かせないためにと、ついに完成途上だった自分のデザインを完成すべく再び筆を取ったところで終劇。
友池さんの作品に共通の、主人公は割とダメな人で(男が多い。また、出演者総じてダメな人が多いね)最後まで空回りしながらも、その筋を通した形で自分の問題に決着をつけるべく動く、というところは今作も健在。それと今作の最後は、とくに観てる側の我々に自由に解釈して、と投げかけた気がする。カノンの言う未来は、ふどうやら他国との戦争間近でヒサオが徴兵寸前で、それを博覧会のデザイン者となり成功することで回避できると思い過去にやってきたのがカノンの動機だと記憶してるけど違ってたらごめんなさい。そのカノンを泣かせない、と言って絵画再開だから、おそらくヒサオは岡崎がパクれないものを描いたものと解釈するけど、そこが不器用なひとだから、結局は岡崎にいいようにパクられてしまったかも、とも思えるという楽しさがあったかな。
速瀬さんは、なんだろう、ルッキズムとか怒られるけど、可愛い美人という、ある意味スタダの女性タレントさんは総じてそんなイメージを小生は持ってるけど、彼女もその典型。でも田口組長傘下で芝居の素養は身についているのがうかがえるね。そして根岸さんも、隕石でのタイムスリップにハマった今井を好演で、とくに、ちょっとイッてる感じの目線なんかは、アニメ好きという彼女の本質を見たようだった。
谷松さん、岡田竜二さんらプロデュース仲間、国崎恵美さん、えなえさんら友池さん作品の常連も変わらず脇を怪演・好演。なかでもえないさんは、直前に本来の演者さんが新コロなどで降板で、数日で代役を務めて対応したということで、えなえんさんもそうだけど、友池さんもあきらめずに今作の公演をするという思いが、座の結束を強めたんだろうな、とも思えたね。
③劇団6番シード 12人の私と路地裏のセナ(8/10~8/16 8/11観賞。中野のテアトルBONBON)
6Cさんの、昨年新コロじゃなくて主演の樋口さんの骨折負傷で延期となったものの公演。
これについては、実は、小生が非常に失礼な観賞態度となってしまい、後半でもう一度観ておわびしたいと思っていたら、新コロの濃厚〇触者となってしまい、ついにしっかりとした観賞をできずじまい。失礼な観賞態度って、スマホ音とか前のめりとか、他には直接迷惑かけるものでないことは宣言できるけど、自分との闘いに負けるとでもいおうか、とにかく失礼極まりないので申し訳ありませんでした。
④リベルテvol.21(8/14マチネ観賞)
ここ、
本所松坂亭劇場で上演のシリーズもので小生は初観賞。コントにもシリアスにもいかようにもなりうるという、即興劇のようで、ただし観客が事前に、キーワードや言わせたいセリフなどを紙で書いて、適宜それを即興劇中に拾っていって、それを必ず演者は言ってから回収しないといけないという縛りがあるのね。センスだけではなく、カバーする力とかも試されるだろうけど、こういうのも演劇のワークショップでは行われるんだろうか?それを6人ずつだったかな、2チーム対抗戦として、それぞれ20~30分前後で、場所とか感情とかいくつかのテーマを決めて、その筋を演じるのだけど、それはくじ引きで決める。この時はA組は、川の世界での人間のラブコメディ的なものwで、B組は学園で血をみるホラー的なものだったと記憶。
内容は、記憶も確かに薄れてるけど、それ以上に、これは生で観劇をして楽しむ、歌手のコンサートみたいなものだなと体感。とにかく小生は初見だったので、何回かこの企画を見たら余裕もできて内容を書けそう。また、これは出演者が、主催の遠藤巧磨さんや藍澤慶子さん(堀有里さんの同志的な人w)を除いて、ほぼ日替わりなので、この出演者の即興が見たい、と選んでいくのがお薦め。小生の時は、
蜂巣和紀・堀有里・窪田美沙・宇敷浩志・遠藤三貴・野崎絵里菜(敬称略)
という知っている面々が集っていた回で、かなり楽しかった。なかでも、遠藤さんは、初めて観たのが「純血の女王」で、葉月智子・ちょもとダブルキャストだった世話人役を、世話人らしく毅然と演じていたもので、その遠藤さんが、でも、即興劇でも受け身ではなく、自分から〇〇だったワカメwww(ワカメになっちゃったのよ)とか修飾語をつけて笑いに持ってゆくという芸を見せてもらえたね。
⑤MALFUNCTION(8/25~8/28 8/25マチネ観賞)
小演劇の聖地・ここ、
池袋のシアターKASSAIで。MAULFANCTION・・・語源 機能不動・誤作動・異常・故障・・・と、malの頭部分が「悪い」という意味があるごとく、また、パンフレットにもあるごとく、悪意・暗い内容だったけど、その悪い芝居の中で数少ない、普通、という一般人らしい自然体で登場していたのが、
ソラ豆琴美さん
で、今作はまさにソラ豆さん応援で観に来た次第。
この「悪い」作品は、作演出の佐藤信也さんが、過去の自身の作品でも訴えているという「人間の魂は循環していて、それを制御しているシステムがあり、魂を根源へと還元することで調和を保っている」との考えを引き続き主張したもので、どうやら「死」の形が、普通の人間が全うする、「寿命」を迎える、というようなものではない、事故や自死など不慮の死は、いわばシステムの誤作動なので、そのままでは魂の還元がされないものを復元する過程を描いている模様、と小生は解釈したけど、いやあなかなか難しい世界だったな。
人が何人も飛び降りているというG県のある橋に訪れた主人公の女子高生・理矩(水崎綾)は、友人の「霊」や
歳の近い叔母の「霊」らしきと触れることができ、その真相をクラスメートの男子・鳥羽(土屋シオン)と探るうちに、ある学習塾が浮かんできて理矩は、鳥羽の叔父である新聞記者の支援で潜入する。その打ち合わせ等でよく利用している喫茶店で、そこに勤める姉・智潤(ソラ豆琴美)は心配する。
一方また新たに橋から落ちたであろうと心配されている真季(真白いぶ)は、さまよううちに犬(阿部昇介)や黒蝶(青井美文)という連中と出会い、どうやら自分は死んだことを知らされ、それは学習塾の講師・興梠(若宮亮)と経営者の富士華(平原ゆか)が関りをもっている。
やがて理矩と鳥羽は、級友の真季の死を知り、「霊」らしきとなった真季と出会い真相を聞き、いよいよ学習塾に乗り込むと、そこで富士華は「自分が興梠らを使って、悩む人間に自死を選ばせることで救ってあげていた」と関与を認め、最後は自分の死で美しく事件を終えると、飛び降りようとしたところを鳥羽らに抑えられる。そして一緒に駆け付けた智潤は理矩を優しく抱き留めて喜ぶ。さらには真季も「成仏」して理矩もついにその姿を見ることはできなくなる。
しかし実行犯である興梠は捕まっておらず、また、犬や黒蝶も、これからもシステムの誤作動に備えないといけない、とでもいうように警戒を緩めない感じで立ち去り、果たして事件の真の黒幕は興梠ではないのか?と謎が残る、という感じで終幕。
本当は登場人物ももう少しいるんだけど、記憶の薄れももちろんのこと、深く書いていくと字数がとんでもなく膨大となるのでこの辺で。とにかく、ソラ豆さんの喫茶店のシーンは、コメディ的なギャグもコント的な芝居もないけれど、全体的に死とか暗さがある「悪さ」で、一種の一息ホッとできる、本当に喫茶店みたいで、かつソラ豆さんの、自然な感じの演技もマッチしていたのね。他は、平原ゆかさんもある程度飛んでいた塾経営者で、最後恍惚として飛び降りようとしるなど、やはり怪演担当のひとが、怪演ぶりがエスカレートしているほど、基本的には劇の印象は自分にはよく残るのね。「純血の女王」での、優柔不断なマーゴット市長でも苛立たせられるには十分な演技でしたしね。
ただ、敢えて書くと、高校生の話なんだけど、水崎さんにしろ他の方にしろ、やはり年齢は30歳前後で、そこは、ある程度の芝居が求められるとはいえ、もう少し若い役者さんで良いのでは?とはと思う。あるいは、設定をせめて大学生が20代中盤の社会人にするとか。まあ、何歳であっても表現するのが役者さんだとは理解できるけどもね。
⑥劇団骸骨ストリッパー ごみ溜めの中のジュリエッタ(表)(8/29観賞)
ここ、
三鷹の武蔵野芸能劇場で。目当ては、主演の羽柴なつみさん。というよりほとんど羽柴さん以外に出演していた方々は全員全くの初見の方。しかも芝居を見に来た動機が、9月11日の自身の生誕イベントに、アリスインスクールで共演以来意気投合して友人となった、ちょもがゲストで来るので、その話のタネとして観ておこうというものなので不純なのだけど、でも、芝居は、あのシェークスピアのロミジュリをそのままベースにして、敵対する両家の関係が、最後ジュリエット、もといアンドロイドのジュリエッタが、自分の機能を停止することで地球爆破を阻止できるということで、一種の「死」をもって両家の和解をもたらすという内容はが分かりやすく観られたね。
あと、前説で主宰の佐藤さんが、劇中の日替わり即興芝居の題材を客席に求めて、それを、偵察しに行く道中という、芝居の筋を損ねない部分に導入していたのも、全通近く観に来る観客には絶妙な演出だなと感心。よくある、日替わりゲストが、そのシーンだけを盛り上げるべく出演して遊んでゆく、というのがあるけど、前に観た「愛を無くした男」という、娘の死の真相を追う父親の話で、図師光博さん熱演の好芝居があったけど、それでゲストのウチクリ内倉さんが、まあ、やりたい放題wwwってのも、それはアリだとは思うけど、さすがに元のシリアスに入るのに時間を要した、ってこともあったのでね、その点この芝居は、遊びの部分の構成が良かったなと思った。
羽柴さんは、アンドロイド的な口調と動作だったのを自分で切り替えて人間的なそれに代わるところの前後が絶妙で良かった。でも、人間的とはなっても、どこかアンドロイドの宿命的なものを宿しているように、感情や表情は抑えめなのも、設定どおりとはいえ良く全うされていたかな。問題は、彼女の登場までが意外と長くて、30分か40分後に、満を持して、というには長いかな、となったかな。
⑦マルガリータ企画 夏に舞う雪のように(8/31~9/4 9/2マチネ観賞)
またまたシアターKASSAIでの、蜂巣さんプロデュースの、今度は本格⁉www芝居を観賞。
こちら出演者が、主役の雪役に池澤汐音さんを迎え、共演も、高宗歩未・真野未華・藤野あさひ・柏木佑太・野崎絵里菜・花崎那奈(敬称略)と、過去、蜂巣さんの作品を観だしてからながら、これだけ知っている人も多くなったというほどたくさんいたけど、これも直前で、比嘉ニッコさんが新コロ関連だと思うが降板で、急遽振付で関わっていた堀有里さんが出演というハプニングもあったのね。そうした蜂巣常連者の中に、今作は池澤さんの相手役の準主演に、「アサルトリリィ」でお馴染みの(もっとも小生はそこまで知らないけどww)の柴田茉莉さんが迎えられて、池澤さんとは初めましてとのことだったらしいけど、こちらも周囲と打ち解けられない園芸部員の雫役を好演(ちなみにこれも、池澤さん含め年齢は高校生ww)。
雪という名前であるがために、夏は必ず馬鹿にされ、冬など無くなれ!と頑なな雪と、野の花に水をあげるときが一番好きな雫が、学校の裏の里山で出会い、お互いのそうした性格からであろう、打ち解けあうが、ほどなく橘先生(堀)や生徒会長・真実(吉田菜都実)や園芸部長・美咲(花崎)たちから、里山を取り壊して新たに公園を西整備するという計画が決まったことを聞く。その話を絶望をする雪。学校では決して出会えない友達の、ユウ(蜂巣)、カナ(高宗)、クロ(真野)、チビ(藤野)、そして一番の仲良しであるダイ(守上慶人)たちはどれほど残念がるだろう、と里山改修を防ぐことはできないのかと悩む。その雪に、当初は里山改修で新たに緑が増えるのならば、と喜んだ雫だったが、雪の落ち込みようと、何もわかってないと責められたことで、イツキ(柏木)に相談すると、雫の思うことを後押しするだけと、イツキに背中を押された雫は、橘や会長、部長らに里山改修撤回を求めて動き出す。
雪に、道で倒れているところを声かけられて生きながらえたユウ、生物部の明生(田中克哉)になぜか追いかけられていたところをユウに助けられたカナ、家で雪が遊び相手になってくれたクロとチビは、そしてダイ雪を助けるために、決まったことだとして動かない橘、会長、部長らを脅かしておびえさせると、3人は一様に「きゃあ、何なのこの虫たちは!」と叫び逃げ惑う。
彼らは、それぞれ、アブラゼミ・かげろう・ゴキブリ・メスのカブトムシ、そしてダイは3年の寿命のオオクワガタで、雪は虫と会話ができるという能力があったのだ。それと雫の奔走もあり里山改修は白紙に戻ると、雪はこれからは強く生きると宣言。この夏で寿命となるユウ・カナ・チビは雪に別れを告げ、クロも別の家に向かうのか姿を消す。そしてダイは、あと1年の寿命を縮めてでも冬眠しないで雪を見守るというが、必ず強くなるからまた来年の夏会おうと約束する雪。それからは学校のちゃらい級友(野崎、岡田千優季)や次期生徒会長の正し(山根悠)らとも積極的に語ってゆく。その姿を雫もイツキに報告すると、イツキも、俺もお前のひとしずくの涙だけでも生きていけるぜ、と笑いあう。イツキはサボテンだから。
うん、もう字数も無いので、もっと書きたいけど、とにかく蜂巣さんはこうした作品も描けるし、その世界を気心知れた仲間の役者が期待どおりに表現するという関係性も素晴らしく、病み上がりの自分にも心地よかった。
⑧最後は一週間前の9/22に、名タレント愛川欽也さんとうつみ宮土理さんの、ここ、
キンケロシアターで上演の、ENGプロデュース公演 S.O.S。
主役に、袴DE☆アンビシャスで、ちょもとの影芝居にお付き合いくださった、
松木わかはさんで、その時の勝手にお礼行脚、ということで観劇したんだけど、共演が、まあ小生の中小演劇歴での名だたる方々で、直近でも感動を貰った蜂巣さんや池澤さん、水崎綾さんの他、6Cで宇田川さんと双璧と思えるような怪演から普通の一般人までを自然に表現する椎名亜音さん、先述の図師光博さんや、昨年のBobjack Theaterの「ロンググッドバイ」で、2.5枚目なキザな探偵(まるで「俺たちは天使だ」の沖雅也を彷彿させたね小生的には)の高田淳さん、蜂巣さんのコントの相棒的な麻生金三さんなどが、無人島に漂流した中で、自分のこれまでの生き方を嫌うもの、他人を気遣うあまり迷惑を顧みず逆に迷惑をかけてしまう者、それぞれの葛藤を表現。もう少し個々の俳優さんの役のエピソードの時間を欲しかったくらい。図師さんがコメディリリーフ的に楽しんでいたし、蜂巣さんは抑えめって感じだったのも面白い。
そして松木さんは、冒頭目を開けた時の、ここはどこ?の表情、いや目の動きが、いわゆる目で芝居するテレビ的なものと遜色なくて素敵で、やはり規模関係なく、舞台演劇の役者さんが、テレビで絶対的に評価が高いってのは、見に来ている観客に見透かされまいという緊迫で芝居しているからなんだ、と思わせられた。全員とは言わないけど、最初からテレビドラマや映画で活動する人って、いっても芝居の先はカメラでしょ、ってことよね。って、テレビや映画の役者さんを腐しても字数がもったいない、とにかく松木さんとか椎名亜音さんとか、彼らの芝居が素敵でした。
概要は、この無人島への漂流から脱出不能の流れは、実は、松木さん演じる有野伊吹という中堅の脚本家が途中まで作っていた作品そのもので、伊吹こと本名何某(忘れちゃったT_T)が事故か何かだったっけ、意識を失っている間に自分が夢の中でその作品内に、有野伊吹として紛れ込んだしまったという劇中劇みたいなもので、自分のストーリーに概ね沿って進行しているんだが、唯一作品には登場していない人物も存在していて、それが息吹ではない、本名の方の父親・今岡想太(丸山正吾さん)で、彼が自分の作品と気づいた伊吹に、脱出するなら脚本のト書きを変えてしまえばよい、とアドバイスして、脱出に支障あるものをことごとくト書きでクリアにすると、本名としての彼女が目を覚まして現実に戻ると、現実世界では父・想太がぞの寿命を終えて別れを迎えた、ってものだったと思う(多分)。これも、解釈は観た人にゆだねるよ、系と思われ、脚本守山カオリさん、演出扇田賢さんというボブジャックシアターの二人からの宿題に、しばし帰りの電車内は時間が足りなかったね。