短編小説『虹色の神様』
1
中村聖一は、幼いころから離れの土蔵に押し込められて暮らした。
聖一の家は昔からの富農で、土地の名士である父親は県議会の議長を何期も勤めていた。母親は病弱で床に伏せていることが多く、細かいことまで全てを取り仕切る夫に逆らえなかった。
誠一には三才違いの二郎という弟がいた。父親は聖一の分の愛情の一切を二郎に向けた。母親は、二郎が健やかに育つのを喜びながらも、聖一の不憫に涙を流した。
聖一が土蔵に隠されたのは、まだ六歳の誕生日を迎える前のことだった。
二才になっても聖一は言葉を発しなかった。三才を過ぎて始めて口をついて出た言葉が「バッチ」だった。四歳になっても出る言葉は「バッチ」と「チレイ」だけだった。五歳になって、その二つの言葉の意味が「きたない」と「きれい」だろうと周りにわかっただけで、それ以外には話せなかった。
聖一の変わった様子は言葉だけではなかった。誰でも相手の顔をじっと見るだけで、何を話しかけても反応がなかった。時々人の顔を見つめたまま「バッチ」とか「チレイ」と言うだけだった。
聖一は歩けるようになるのも遅かった。二郎が一歳の誕生日の前によちよち歩く頃、四歳を過ぎた誠一はまだベビーベッドの中にいた。
普通なら幼児検診などで医学的な診断が下されて、それに応じた対応を指導されるのだが、世間体を重んじた父親は誠一を世間から隠そうとした。予防接種はおろか、法律で決められた全ての検診を拒否した。
あろうことか、父親は誠一を病死したことにして役所に届け出て、土蔵の二階に閉じ込めてしまった。聖一の身の回りの世話は母親に任せたきり、父親は誠一の顔を見ることはなかった。
薄暗くかび臭い土蔵の二階で、誠一は母親の愛情だけで育った。
2
誠一を土蔵に閉じ込めていることは、近所のものにはわかっていた。誰もそのことを表沙汰にするものはいなかった。それほど誠一の父親と、中村家の地域での威厳は大きなものだった。
子供は大人たちのように周りを思いやる遠慮はなかった。小学校に上がった二郎は、兄の誠一のことでよくからかわれた。
「お前のにいちゃん、くるくるぱー!」
「お前のにいちゃん、頭が変!」
下校途中の帰り道で、二郎はこう囃し立てる同級生たちに取り囲まれても何も言い返すことができなかった。言葉のいじめだけでなく、聖一にかこつけて殴られることもあった。
二郎がからかわれたり、いじめられて帰った日は、こっそり土蔵に入り込んで、無抵抗の聖一を足でけとばして腹いせをした。二郎に比べると成長の遅い聖一の体は、蹴飛ばされる度に大きく揺れた。
聖一は蹴り続ける弟を見上げながら「バッチ、バッチ」と言うだけだった。いくら蹴飛ばされても聖一は泣かなかった。
二郎もこんなことをする自分が嫌だったが、悔しい気持ちを沈める方法が他になかった。暫く誠一を蹴ると二郎は、憐れむように見上げる聖一から顔をそむけると、急いで土蔵を出た。
二郎は学校の成績が良かった。担任の教師からも信頼されていた。二郎は表と裏の顔のある自分を自覚していた。自覚しながら兄をいじめることを止められなかった。
「どうして自分の兄はあんななんだろう?」
二郎は自分がいじめられる原因を兄のせいにしたように、自分が兄をいじめる原因も兄のせいにした。
「どうして普通の人が兄じゃないんだ」
二郎は自分の人生の行く手に、兄の聖一が障害物として横たわるのをいつも感じていた。
3
二郎は父親の期待と中村家の名誉を一身に背負って成長した。二郎は、父親の愛情の中に、兄の聖一への落胆の反動を感じていた。
「出来損ないの兄の分まで頑張ってくれ」
という父親の気持ちを重荷にして、二郎は障害物である兄の存在を打ち消すようにして成長した。
二郎が大学を卒業して、一流企業に入った年、父親が他界した。病弱であった母親の方が長く生きたのは、聖一の行く末を案じた母親の執念だったかもしれない。
その母親も、二郎の結婚話が具体的になった頃、静かに息を引き取った。選挙演説中に公衆の面前で倒れた父親に比べて、母親の死に際は、聖一に添い寝したままのひっそりとしたものだった。
二郎が冷たくなった母親を発見した時、聖一は母親の顔を覗き込んで「チレイ、チレイ」と涙を流していた。
二郎の結婚相手は、勤め先の重役の一人娘で器量も良かった。二郎の優秀さに将来性を見込んだ重役の方からもちかけられた縁談だった。
喜んだ二郎だが、兄のことが気がかりだった。聖一のことは秘密にするしかなかった。そんな時、母親が亡くなった。
聖一の面倒を見るものもいない。自分の結婚の障害になる聖一。二郎は聖一を精神病院に入れることに決めた。聖一を永久的に隔離してしまいたかったからだ。
母親が亡くなって数日後、長く伸びた髪に無精髭で、汚れたパジャマを着たままの聖一は、青白い顔に澄んだ瞳を迎えの人たちに無邪気に向けながら車に乗せられた。
出て行く病院の車を見送りながら二郎は、兄とはもう二度と会わないだろうと思った。
4
世界は核兵器を保持するだけで使えない時代を迎えた。
多くの国が核兵器を備えた今、抑止力としての機能しか持たなくなくなってしまった。使えば、それは人類の滅亡、地球の破壊を意味するようになった。
そこで脚光を集めるようになったのがロボット兵器である。各国は科学の粋を集めてロボット兵器の研究と開発を急いだ。しかし、国際連合の安全保障理事会はこの動きを警戒した。
安全保障理事会は、行き過ぎたロボット兵器の開発は、国際紛争を致命的な結果に導く恐れがあるとして、ロボット兵器に制限を設けることを課した。
特に厳しい条件を付けたのは、ロボット兵士の開発だった。主力兵器であるロボット兵士の比率が必要以上に高まると、人間の生命の損失の恐れがないために、戦争が拡大し過ぎてしまうというのが安全保障理事会の危惧する点だった。
ロボット兵士は、操縦を必ず人間がロボットの中に入って行わなければならないという条件が設けられた。人間の生命が戦闘の拡大にブレーキをかけるだろうという意図があった。
そこで各国の軍需産業は、ロボット兵士を操縦する人間をどう確保するかという課題に直面した。
ロボット兵器開発に遅れをとっていた日本は、官民あげてロボット兵士の実用化を急いでいた。
5
日本の軍需産業をリードする平和重工も、ロボット兵士の操縦士の選定に頭を悩ませていた。
東京本社の会議室ではロボット兵士の開発会議が行われていた。テーブルの片側に各部の部長、課長、反対側に重役が、両側合わせて四十名ほどが緊張した面持ちで座っている。正面中央に座る社長の堂島が、険しい顔をして口を開いた。
「今日はいい報告が聞けるんだろうな?もう時間がないぞ。それじゃ開発部長、始めたまえ」
ロボット兵士開発部長が書類の束を抱えて前に進み、正面の大きなスクリーンの横に設けられた発表台のマイクの位置を調整した。その横のテーブルでは部下の課長がノートパソコンを操作している。
「それでは、ロボット兵士の現在の開発状況からご報告します」
スクリーンに、ロボット兵士の開発工程を示した図が映し出された。
「現在、ロボット兵士本体の開発はほぼ完成しておりまして、コントロール部分のソフトウエアの調整が残っているだけです。
問題は、ロボット兵士の中で操縦する人間の確保でありまして、中々思うような進展が見られず苦慮しているところです」
その時すかさず堂島が言葉を挟んだ。
「人間なんかいくらもいるだろう?」
開発部長は課長に指示して、スクリーンにロボット兵士の試作段階の映像を流させた。
「操縦士の選定でありますが、問題は国民の支持とコストの解決であります」
「どういうことだ?」
堂島が訊いた。開発部長は説明を続けた。
「当初、国防隊や警機隊の退職者を募りましたところ、優秀な人材の応募がありまして、戦闘シミュレーションでも良い結果が得られました」
「それでいいじゃないか?」
堂島はスクリーンに映るロボット兵士のシミュレーション映像をみながらつぶやいた。
「しかし、ロボット兵士操縦士の戦闘での致死率が高いことが、安全保障理事会の年次レポートで報告されますと、応募を辞退する者が続出しました」
「なんで致死率が高いんだ?」
堂島は開発部長に向かって訊いた。
「はい。本来ロボット兵士は、生身の兵士に代わる兵器でありまして、致死率が高くなるのは想定されておりました。最前線で戦う兵士の身代わりになる、言わば消耗品という位置づけであります。
更に悪いことに、人権団体の方からも反対声明が出されるなど、難しい状況になっております」
「それで、どうするんだ?」
堂島は指でテーブルを軽く叩いた。
「はい。それで、募集対象を死刑囚を含む長期服役中の受刑者に定めまして、シミュレーションを行いましたところ、残念ながら良い結果は得られませんでした」
スクリーンにその時のシミュレーションが流れる。
「シミュレーションによりますと、受刑者たちは戦闘の最中に逃亡しようとする心理的欲求が高まることがわかりました。それに囚人根性と申しますか、国家に対する反抗心がありまして」
「なるほどな。考えられんこともないが。あれはどうなんだ?外国の傭兵は?」
堂島は開発部長に質問した。
「はい。それも考えまして、いろいろ当たってみましたが、コストの面で条件が折り合いませんでした」
「あいつらそんなに高いのか?報酬が?」
「ええ、とても採算が合いません。コストのかからない人材でないと、この開発自体が成り立ちません」
開発部長は正面に向き直って説明をしめくくりにかかった。
「以上のような訳でありまして、まとめますと、ロボット兵士本体はほぼ完成しておりますが、操縦士の人材が確保できていません」
開発部長は軽く頭を下げて席に戻ろうとした。ひとまず下がって、みんなの意見を待とうと思った。
「おい、ちょっと待て! それじゃ駄目だろ。何を悠長なことを言ってるんだ。これまでどれだけ開発費をかけたと思ってるんだ。なんとかしろよ!」
「・・・」
開発部長は答えに困って立っている。
その時、重役の一人が片手を上げると発言した。
「確認したいんだが、ロボット兵士は自動でも働くんだよな?自動操縦だったか、操縦士なしでも戦えるんだよな?」
「あ、はい。それはそうなんですが、人間が中で操縦しませんと安全保障理事会の方が・・・」
開発部長が最後まで答えない内に、また重役が質問を続けた。
「だったら、操縦する人間は誰でもいいんだよな?つまり知的レベルが低くても?」
開発部長は重役の質問の真意がつかめず黙っている。
「こういうのはどうかな?精神障害者を使ったら?それも重症患者を。家族も扱いに困っているような者を使ったら、コストもかからないんじゃないか?」
テーブルを囲んだ一同がどよめいた。
「おお」
「いい考えだ」
堂島もうなずいている。
「どうなんだ?今の意見は?」
堂島は発言した重役の方を親指で指して開発部長に訊いた。
「あ、はい。その線は我々も検討してみました。やはり、いくら家族が見放したような精神障害者であってもですね、世論の同意は得にくいとのリサーチ結果が出まして。それに人権団体も黙っていないだろうと・・・」
開発部長は、ズボンのポケットから出したハンカチで汗を拭きながら答えていたが、堂島が遮った。
「そっちの心配はどうにでもなる。世論なんてものはだな君、なんとでも操作できるんだよ。人権団体の方も心配ない。どうだろう?その線で進めてみては?」
堂島の言葉に、開発部長は従順にうなずいている。
「どうだみんなの意見は?」
堂島は重役や部長たちを見回した。全員がうなずいている。
「よし!その線で検討してもらおう。いい結果を期待しているぞ、開発部長」
「は、はい。わかりました。それでは直ぐに検討に入りたいと思います」
開発部長は緊張が溶けて席に戻ると、側にいる課長になにか指示を出した。
堂島はニンマリとして、深々とした椅子の背にもたれた。
6
経済界の重鎮でもある平和重工の社長の堂島の働きかけもあり、保健省は迅速に操縦士候補を精神病院から選出する計画を進めた。
数多い精神病院の中から、極力、改善見込みの薄い患者を扱う病院や、家族から見放された患者を扱う病院が選ばれた。その中に中村聖一が入院している病院もあった。
「それでは次の患者を連れて来てくれ」
病院長を始めとして、平和重工の開発部長やロボット兵士技術責任者、軍事顧問、保健省の事務次官の並ぶテーブル席の前に候補の患者が連れて来られた。
「この患者は、ちょっと反抗履歴があるな。最近は大人しいようだが。どうかね開発部長?」
堂島が開発部長の方を向いて尋ねた。
「はい。そうですね。その点がやはり気になりますね」
「軍事顧問の意見はどうかね?」
堂島は軍事顧問の意見を求めた。
「そうですね。教育次第で矯正は可能とも考えられますが、今回は初めての試みですので慎重に選考した方が良いかと」
「よし、この患者は却下だ」
次に呼ばれたのは聖一だった。聖一は静かに微笑むようにも見える表情で部屋に連れられてきた。
「なかなかいい顔つきをしているじゃないか。なあ、開発部長」
「はい。そうですね。病院長、この患者はどういった患者ですか?」
病院長はカルテのようなノートを見ながら、横に付いた主治医から耳打ちされた。
「そうですね、この患者は至っておとなしく、一度も問題行動を起こしたことはありません。言語能力、特に言語による表現能力は著しく乏しいですが、理解力は人並にあるようです。はい」
「ほほう。いいじゃないか。従順なロボット兵士向きじゃないのか?軍事顧問、どうだね?」
堂島は軍事顧問に訊いた。
「ええ。私も同感です。理解力が正常なら申し分ないでしょう」
「よし。この患者は操縦士候補合格だ!」
このようにして、この病院から三名の操縦士候補が選ばれた。
「事務次官、いい病院を紹介してくれて感謝します。くれぐれも患者の方から操縦士候補に志願したという形でお願いしますよ」
堂島は保健省の事務次官に礼を言った。肥満体で色白の事務次官は恐縮した。
「お役に立ててなによりです。勿論承知しております。どうとでもなりますので。他に何かありましたら、何でも仰ってください」
「ありがとう。近く政民党から出るという噂を聞いてますが。その時は力になりますよ」
「何を仰る。それは噂ですよ。まったく。ははは」
「そうですかな、ははは」
二人の笑い声が病院の廊下まで聞こえた。
7
数箇所の精神病院での操縦士の選考を終えてから数日後、平和重工の川崎工場ではロボット兵士の最終シミュレーションが行われていた。
川崎工場は三つの棟に分かれていて、第一棟では研究を、第二棟では製造、第三棟ではシミュレーションが行われる。
第三等は東京ドーム四つ分の広さの空間に、戦場を模した塹壕や沼地、廃墟の建物などが配置されている。
第三棟の二階の司令室には、社長を始め重役、部長、更には国防省と保険省の次官、精神医療連合会の会長らが集まり、壁一面に組み込まれた大きなモニターを注目していた。モニターには、これから始まる戦闘シミュレーションのロボット兵士が映っている。
開発部長が腕時計を確認しながら立ち上がった。
「それでは、これからロボット兵士の最終シミュレーションを始めます」
開発部長は無線機のスイッチを入れた。
「準備はいいか?うん。よし、じゃ始めてくれ」
開発部長は緊張しながら席に付き、モニターを見つめた。
司令室の下の一階には五機のロボット兵士が整列している。ロボット兵士の前には、元国防隊参謀長の軍事顧問と平和重工の担当技術者が数名立っている。軍事顧問がロボット兵士にシミュレーションの説明を始めた。
「いいか、これから敵陣に向かって突撃するが絶対に後戻りしてはならないぞ、わかったか?」
ロボット兵士たちからは何も返答はない。
モニターを見ていた社長の堂島が開発部長の方に訊いた。
「開発部長、彼らに説明なんかする意味があるのか?理解できるのか?」
開発部長は直ぐに立ち上がった。
「はい。彼らには理解できません。これは国民は勿論、安全保障理事会や人権団体に見せるためのものでありまして、人権に配慮しているという・・・」
「わかった。もういい」
開発部長は物足りなそうに腰を下ろした。
軍事顧問の説明は続いた。
「君たちが突撃すると、敵のロボット兵士や戦車が出てくる。君たちはとにかく向かっていけばいい。そうすればロボットの体が勝手に戦ってくれる。君たちはロボットの中でゲームでも見ているつもりでいてくれ」
「おい、開発部長!」
また堂島の質問が出た。
「はい」
開発部長が飛び上がった。
「敵のロボット兵士にも操縦士が入ってるのか?」
「はい。入っています。こちらは、法憲省の協力を得まして、重罪の受刑者に入ってもらっています」
「受刑者が?大丈夫か?」
「ええ。やはり敵のロボット兵士は悪辣な方が良いかと・・・」
「わかった。もういい」
軍事顧問の説明が終わりかけた時、中央のロボット兵士が突然声を発した。このロボット兵士の中には聖一が入っていた。
「バッチ、バッチ、バッチ」
その声を聞いた軍事顧問は、後ろの技術者の方に振り向いた。
「おい、どうなってる?何か言ってるぞ」
技術者の一人がは軍事顧問の耳元で囁いた。
「適当に答えてください。自分の言ってる意味もわからない連中ですから。適当に」
「そうか」
軍事顧問は聖一のロボット兵士に近づいた。
「悪い奴をやっつけろ」
「バッチ、バッチ、バッチ」
軍事顧問は面倒だなという顔をした。
「うん、そうだな、バッチイ奴らをやっつけろ!」
「バッチ、バッチ、バッチ」
軍事顧問は首を傾けた。
「わかったのか?」
「バッチ、バッチ、バッチ」
「そうか。とにかく、頑張れ!」
軍事顧問は後ろへ下がって、技術者に話しかけた。
「おい、あのロボット兵士の中の奴はまともじゃないよな?」
技術者は軍事顧問の耳の方に口を近づけた。
「まともなのは一人もいませんから」
「そうか」
軍事顧問は腕時計を見た。
「よし。そうれでは、これから戦闘を開始する。敵陣めがけて突撃せよ!それ!」
軍事顧問の合図で五機のロボット兵士は走りだした。
銀色に輝くロボット兵士たちが戦場の中央近くまで進むと、敵陣から体を黒く塗られたロボット兵士が五機現れた。その後ろから二台の戦車も続いている。
司令室のモニターにも、色々の角度からの映像が分割されて映っていた。
8
シミュレーション用戦場の中央で戦闘が始まった。
二階の司令室でも一同がスクリーンに前のめりになった。社長の堂島が、後ろに座る開発部長に振り向いて質問した。
「敵も同じ型のロボット兵士だろ?自動操縦じゃ、互角の戦いになるのか?」
開発部長は横に座る部下に確認して答えた。
「いえ、今回のシミュレーションでは、どちら側も半自動操縦に設定しております」
「半自動操縦?」
「ええ、精神障害者と囚人とでの個体差と申しますか、操縦士の性質による能力の違いのデータも得ようと、半自動操縦にしています。半自動にしますと操縦士の性質が多少ですが加味されると思います。ただし、囚人の方は性質が悪辣ですので半自動率十パーセントに押さえています。精神障害者側の半自動率は五十パーセントです。はい」
「ほう。それじゃ囚人の方が分(ぶ)が良いとも言えんな。あいつらは悪賢そうだからあまり自由にしたらまずいからな。おっ、ぶつかったぞ!」
戦闘を走っていた精神障害者側のロボット兵士が、迎え撃つ囚人の操縦するロボットに一撃を受けた。倒れたロボット兵士は立ち上がろうとしなかった。囚人のロボット兵士は精神障害者のロボット兵士を踏みつけて攻撃を続けた。
「おい、開発部長、どうしてあいつは反撃しないんだ?」
堂島は開発部長に質問した。開発部長は手元の資料を確認している。
「ええと。あれは、三番のロボット兵士ですので・・・そうか。ええとですね、やはり、操縦士の性質が出ていますね。あの三番のロボット兵士を操縦しているのは対人恐怖症を患っておりまして、性格はおとなしく人に危害を加えるようなことも苦手のようですね。反対に、攻撃している七番のロボット兵士には粗暴な連続強盗犯が入っていますので、半自動率を押さえてもやはり戦闘は強いかと」
堂島はうなずいてから、更に質問をした。
「そうすると、全自動操縦でないと精神障害者は軟弱で使えないかな?」
「そうですね。囚人ですと、半自動率を下げても悪知恵が働いて戦場から逃亡するリスクがあります。全自動でも囚人を使うのは不安があります。今のところ、精神障害者を使うしか候補が見つかりませんので、なんとか全自動操縦でと考えております。はい」
「そうだな、おとなしい精神障害者でも全自動操縦なら戦えるだろう。そっちの方のシミュレーションは終わってるんだな?」
「ええ、全自動操縦でしたら、もう、確認できています。後は、微妙な個体差を設定するかどうかの詰めの段階でありまして」
「みんな全自動操縦じゃだめなのか?」
「はい、それがですね、同じ精神障害者でもロボット兵士の操縦で優劣が出るのです。全自動であるはずなんですが、どういうわけか差が生じます。おそらく生きようとする意思の強弱の差ではないかと推測しております」
「生きようとする意思か?なるほど」
堂島はスクリーンを見つめた。
「全自動操縦とは申しても、操縦者の脳波を電池消費の軽減に利用しておりますので、おそらく何らかの影響があるのかと」
後ろから開発部長が説明を加えた。
「脳波をか?」
「はい、EV車やハイブリッド車でタイヤの回転で発生した電池を利用しているのと似ています。脳波を利用しますと、ロボット本体の電池寿命が大幅に延びますので」
「ほほう、なるほど」
堂島が感心してスクリーンに注目すると、囚人ロボット兵士に一方的に痛めつけられている障害者ロボット兵士を助けに来たロボット兵士が映し出された。
「おっ、こいつはすごいじゃないか!仲間を助けて相手をふっとばしたぞ。誰だ、こいつは?」
興奮した堂島はスクリーンに食い入ったまま開発部長に言った。開発部長はスクリーンと手元の資料を見比べている。
「あ、はい。一番のロボット兵士ですから・・・あ、ありました、操縦士はと・・・中村聖一ですね。この患者はちょっと変わっておりまして、何と申しますか・・・」
堂島がイライラしながら聞いていると、スクリーンの中では聖一の操縦するロボット兵士が残る囚人ロボット兵士を次々に倒していく。
「お、おい、開発部長!あいつはすごいじゃないか!囚人のロボット連中を片っ端からやっつけてるぞ!あ、また倒した!なんだ、あの囚人ロボットは逃げ出したぞ!あ、つかまった!ボコボコにされてる。全滅だ!敵のロボットは全滅だ!すごいぞあいつは!」
堂島は立ち上がると、スクリーンに向かって両手を上げてガッツポーズをして居並ぶ関係者の方に喜びの顔を向けた。
堂島が背にしたスクリーンでは、傷ついた仲間の精神障害者のロボット兵士たちを介抱する聖一のロボット兵士の姿が映っていた。
9
シミュレーションが行われた一週間後、平和重工の本社会議室では記者発表が行われていた。
正面の濃紺の布に覆われたテーブルには社長の堂島と開発部長、同課長と技術責任者が並び、その前には記者席が設けられている。
開発部長が目の前のマイクに向かって話しだした。
「えー、本日はこの様にたくさんの報道関係の皆様にお集まり頂きまして、誠に感謝申し上げます。
今回、私ども平和重工が満を持して発表させて頂きます新型のロボット兵士は、これからの国際紛争を解決に導く新時代のロボット兵器と言えるでしょう。
詳しいことは、お配りしたお手元の資料を見て頂くこととしまして、あ、細かい技術的なご質問は後ほどたっぷり時間を設けまして、担当の者が対応しますので。
先ず、本日私どもが皆様にお伝えしたいのは、この新兵器が国際紛争だけでなく、新しい人材活用と申しますか、今まで埋もれておりました人材の発掘に貢献できるということです。
これまで、兵士には頑健な体と健全な精神が求められておりました。少子高齢化が進みました現在、そういった理想の兵士の確保が難しくなりました。
我社の開発しました新型ロボット兵士は、半自動操縦および全自動操縦というシステムを採用いたしました。このシステムによって、体力のない者は勿論、精神力の強くない者でも立派な兵士になれるのです。
これによって、若者に限らず、広い世代に対しての失業者対策に貢献できるものと考えております」
開発部長がドアの前に立っていた部下に合図を送ると、一機のロボット兵士が入って来た。中には聖一が操縦士として入っている。
記者席から「おー」という大きな声が上がった。カメラのフラッシュが一斉に光る中を、誠一のロボット兵士が中央の席の前に進んだ。満面の笑みを浮かべた堂島社長が出迎えてロボット兵士と握手した。更に沢山のフラッシュが二人を照らした。
「皆さん、ご覧ください。これが我社の技術の粋を結集して完成させた新型ロボット兵士でございます。操縦しておりますのは精神障害者であります」
「おーっ!」
再び記者たちの声が起こった。連続したフラッシュの光が聖一の目にも眩しかった。
誠一は光の中に浮かび上がる記者たちの顔を見渡した。記者たちの心の色も見えた。薄いオレンジ色をした一人の女性記者以外はみな、灰色の暗い光しか見えなかった。
誠一は横にいた開発部長の方にロボット兵士の顔を向けた。
「バッチ、バッチ、バッチ」
「えっ?」
誠一の方に顔を向けた開発部長は慌てた。
「い、いや、駄目だ!駄目だ!」
開発部長は急いで胸ポケットから携帯電話を取り出すと、誠一のロボット制御ソフトを操作して、半自動操縦五十パーセントから完全な全自動操縦に切り替えた。
「どうした、開発部長?」
堂島が開発部長に言った。
「あ、なんでもありません。はい」
開発部長は直ぐに携帯電話をポケットにしまった。
誠一のロボット兵士の周りには記者やカメラマンが取り囲んでいる。堂島は満足そうに眺めている。
「どうだ?大した注目のされようじゃないか?記者発表は大成功だよ、開発部長」
「ええ、そうですね、はい」
開発部長は取り出したハンカチで汗を拭いた。堂島は記者たちの質問に笑顔で答えている。
こうして平和重工のロボット兵士の記者発表は無事に終わった。
10
二郎の結婚は社内で羨望の的だった。
「あんな美人と結婚できて羨ましい」
「重役の娘だから出世間違いなしだ」
二郎は聞こえてくるそのような囁きに照れながらも嬉しかった。
「俺の人生は順調だ」
二郎は世界が自分を中心に回っているように思うことさえあった。
二郎の所属は本社の営業本部で、新規の顧客開拓を担当していた。対人的なコミュニケーションを苦手とする二郎は、先輩の夜の接待を得意としたやり方には批判的だった。
「おい、中村。今晩の鈴木商事の接待、お前もお供しろよ」
外回りから帰った先輩が二郎を見つけて言った。
「すみません。今晩は先約があっていけません」
二郎はいつものように見え透いた言い訳をして断った。先輩の方も最近では二郎が断ることに慣れて無理には誘わなくなっていた。
「あんな付き合いまでして仕事を取りたくない」
二郎は先輩たちの古い営業の仕方を軽蔑していた。二郎には自信があった。良い企画で良い提案を誠実に行えば顧客は必ず獲得できると信じていた。
二郎は社員同志の付き合いもなるべく避けていた。上司や顧客の悪口を言って不満を解消するだけの時間を無駄なことだと考えていた。
「中村、たまには付き合えよ」
同期の数人が二郎に声をかける。
「俺は遠慮するよ」
先輩のやり方を見習わず、同僚とは仕事以外では関わらない。二郎は社内で付き合いずらい人物に見られていった。
周りから見れば、二郎は出世だけしか目のない近づき難い奴という存在に思われていた。
二郎が同期の中でトップで主任から係長に昇進した頃、アメリカの一流大学から留学帰りの新鋭が入社して来た。
英語も堪能でMBAも取得している新鋭は、仕事も良く出来た。新鋭はハンサムな上にアメリカナイズされた陽気な性格で、直ぐに社内の人気者になった。
新鋭は自分の優秀さをひけらかすこともなく、先輩や同僚ともうまく付き合ったので誰からも好かれた。
二郎は新鋭みたいなタイプが一番苦手だった。
二郎のように冷たい裏の性格を隠して、表は真面目な男と思われようとする人間にとって、新鋭のような優れて明るいタイプはまぶし過ぎるのだ。
新鋭を意識して自分のペースが乱されることも二郎を苛立たせた。周りが二郎と新鋭を比べているようで、しかも新鋭の方を高く評価しているような気がして、二郎はますます憂鬱になった。
冷静で生真面目な仕事ぶりの二郎だったが、会社での気に入らない不満を妻にぶつけてしまうようになった。
成績でも新鋭が二郎を追い越すのに時間はかからなかった。社内での評価は二郎よりも新鋭の方が上になった。一年もすると、新鋭はとうとう二郎を追い越して昇級した。
プライドの高い二郎は、仕事も人望もたやすく得ていく新鋭に嫉妬して苛立ったが表に出すことはできなかった。その分の不満を妻に当てて解消するしかなかった。
益々陰気になっていく夫に妻は失望していった。裕福な家庭に育って、ベタベタした愛情表現を求めるような妻ではなかったが、病的にふさぎ込んでいく夫から心が離れていった。
二郎は会社での生真面目な顔を維持する孤独な苦痛と、新鋭への嫉妬に加えて、社内での評価が自分から新鋭に移っていく焦りによって、完全に鬱状態に陥ってしまった。
11
会社でも家庭でも孤立してしまった二郎は、うまく行かない原因は全て自分にあることはわかっていた。
それでも今の状況をどう解決すればいいかわからなかった。
「眼の前の状況は、全て俺がもたらした結果だ」
二郎は頭の中では理解していた。他人のせいにするほど単純な人間ではないと自分でも思っていた。
二郎はどこにも自分の居場所がないと思った。冷静な顔をして会社で仕事をしながら、心の中では自分の晴れない憂鬱な気持ちと戦っていた。家庭に帰っても、妻との気持ちの行き違いをどう解消すればいいかという悩みと戦っていた。
「俺は生まれつき自分勝手な人間だった」
二郎はそんな風にまで自分の思う通りにならない人生の原因を突き詰めていた。
「俺の心が醜いから、目の前の現実も醜い結果となって現れるんだ」
二郎は世界で一人ぼっちになったように感じた。
「兄に会いに行こうか?」
二郎は会社の帰りの電車の窓の外を流れる夜景を見つめながら思った。二度と会うことはないと思っていた二郎の胸に、兄の聖一の面影が懐かしく浮かんだ。
兄を精神病院に「捨てた」二郎だったが、その後ろめたさよりも、今の胸の中に開いた空洞を塞いでくれるのは兄しかいないと思えた。
二郎は会社に休暇願いを出して暫く休むことにした。別居寸前にまで間がこじれてしまった妻との関係は直ぐには戻らなかったが、二郎はそれまでの態度を改めようと努力するつもりでいた。
12
始めて訪れる精神病院は、二郎が思っていたよりも辺鄙な山の中にあった。七月の蒸し暑い風のない日だったが、病院の周りは山の濃い緑の葉に囲まれて肌寒く感じられた。
二郎は病院の門のかなり手前でタクシーを降りた。捨てた兄のいる病院に直接乗り付けるのがはばかられた。二郎は歩きながら、病院の建物が近づくにつれて、少しずつ気持ちを落ち着かせた。
蔦に覆われた病院のコンクリートの壁は、薄い緑色が蔦の間からやっと判別できた。壁の色のくすみ具合から、建てられてからかなりの年月が経っていることがわかる。
二郎は門に書かれた病院の名前を確かめると、緊張した思いを吐き出すようにして敷地の中に足を踏み入れた。
玄関を入ると建物の中は昼間でも暗く感じられた。右手に下駄箱とスリッパがあるので、二郎は靴を脱いでスリッパに履き替えた。
左手に受付があり、覗くと白髪頭の老人の守衛が暇そうに座っていた。
「あの、こちらに中村聖一という患者が入院していると思いますが、あの、面会できますでしょうか?今」
守衛は銀縁の丸い眼鏡を下げ気味にして二郎を見上げた。
「面会?」
「ええ」
「患者さんの名前は?」
「あ、中村聖一です」
守衛は入院患者名簿らしきノートのページを、一枚ずつ確かめながら、指につばを付けてめくっている。
「ああ、これだ。中村聖一さん。三十四号室だ。三階だね。ええと、そこの面会用紙に書き込んでくれますか、そこの紙に」
二郎は言われた用紙に名前や患者との関係を書き込むと守衛に渡した。守衛は面会者用の色の付いた名札を差し出して、胸の辺りに付けるように言った。
二郎は名札をワイシャツの胸ポケットに付けると、廊下の奥の階段の方へ行きかけた。
「あっ、ちょっと待って!」
守衛が慌てて呼び止めた。守衛は眼鏡を外してノートに目を落としている。
「中村聖一さんは少し前に退院してますね」
「えっ、退院?退院ですか?」
二郎は受付の窓口に身をかがめて覗き込んだ。
「ええ、三週間前に退院してますよ。ほら、ここ」
守衛はノートの「退院」と書かれた部分を二郎に見せた。確かに中村聖一の名簿の箇所に三週間前の日付で「退院」と書かれている。
「あの、退院してどこへ行ったかわかりますか?」
「さあ、私にはわからないので。ちょっと待ってください」
守衛はどこかに電話をかけた。直ぐに聖一の主治医らしき医師がやって来た。まだ若い背の高い男の医師だった。
「中村聖一さんのご家族の方ですか?」
「はい、弟です」
「じろうさん、ですか?」
「はい、中村二郎です」
「そうですか。あの、こちらへどうぞ」
若い医師は二郎を三階の聖一のいた病室まで案内した。五階建てのこの病院にはエレベーターはなく、三階まで階段で行くしかなかった。二郎は若い医師の後ろに付いて登りながら悪い予感がした。
「お兄さんはこちらで暮らしていました」
若い医師は病室の入り口で二郎に言った。二郎は「暮らしていた」という言葉が気になった。
病室は四畳半程の個室で、二郎が想像していたような鉄格子も金網みたいなものはなかった。普通のドアがあるだけで、鍵もかけられているようには見えなかった。
壁の周りには聖一が描いたと思われる絵が何枚も貼ってあった。
「お兄さんは絵を描くのが好きで、よく描いてました」
二郎は聖一が絵を描くのが好きなどということは全く知らなかった。
「いや、知ろうとしなかっただけかもしれない」
若い医師は用意していたのか、白衣の胸ポケットから封筒を取り出して二郎に渡した。
「これはお兄さんから弟さんへの手紙です」
「えっ?兄は字が書けたんですか?」
二郎は封筒から手紙を出すと若い医師に訊いた。
「いえ、この手紙はお兄さんの代筆です。お兄さんが退院する時に話した言葉を書き留めたものです」
二郎は手紙を広げた。
『じろう あいたい じろう あいたい
じろう ちれい じろう ちれい』
「これだけですか?」
「ええ、それだけです。お兄さんは、普段はほとんど口を効かないのですが、退院することがわかると、その言葉だけを何度も話すので、気になって書き留めておいたのです」
二郎は聖一の手紙をもう一度見た。
『二郎 会いたい 二郎 会いたい
二郎 綺麗 二郎 綺麗』
「二郎さん、よろしいでしょうか?」
若い医師は真顔で二郎に説明し始めた。
「お兄さんは決して精神障害者なんかじゃないですよ。ほとんどのことは健常者と同じように理解できます。ただ、思いを言葉で表現する機能が極端に劣っているだけなのです。ここに入院してから話すようになった言葉はいくつもありませんが、その分、絵で表現する能力が優れていました。壁の絵をご覧ください」
若い医師は壁の絵の一枚を指さした。
「お兄さんは人の心を見抜くような能力がありました。お兄さんが『ちれい』とか『ばっち』とか言っていたのは、心の色のことだったと思われます。人の形をした真ん中に虹のような色がありますね、これは心が綺麗な人で、こっちの人の色は灰色で汚いという意味だと思います」
二郎は壁の絵を一枚一枚確かめた。どの絵も虹の色や灰色や黒い色が人の形の中に描かれていた。
「お兄さんは綺麗なものを愛していました。おそらく綺麗なものしか見ないようにして暮らしていたと思います、ここでは。
お兄さんは天使のような、いえ、神様のように感じることがありました。言葉はなくても」
「あの、兄は退院してどこへ行ったのでしょうか?」
二郎の言葉に若い医師はちょっと困った顔をした。
「実は、、、お兄さんは兵士に志願したんです」
「兵士?なんですか、兵士って?」
若い医師は答えに困っているようだった。
「私も詳しいことはわからないのですが。今度政府も進めているロボット兵士の操縦士候補に選ばれて、お兄さんも承知したと聞いています」
「『承知したって』・・・。どこへ行けば兄に会えますか?」
「ちょと待ってください」
若い医師は病室を出て行き、しばらくしてメモを片手に戻ってきた。
「ここです。この平和重工という会社の本社に問い合わせれば、お兄さんが今どこにいるかわかると思います」
二郎はそのメモを受け取ると、若い医師に礼を言って病院を出た。
完
精神病院を後にした二郎は、直ぐに平和重工の本社に電話をかけたが、今対応するものがいないと断られた。
「何だロボット兵士って?そんなものに兄が志願する訳がない。いいように騙されて連れていかれたに違いない」
二郎はとりあえず平和重工本社に押し掛けてみることにした。
その頃平和重工の本社では、ロボット兵士の初の海外派兵の壮行会が行われていた。中東紛争が悪化したため、アメリカ軍の後方支援の要請に応じた出兵であった。
我が国初めての紛争地域への出兵に加え、ロボット兵士の初めての実践への登用ということもあって、総理を始めとして政府の要人も駆けつけていた。
本社の広々とした玄関ロビーには、光り輝くロボット兵士十機が一列に立ち並び、その前に政府や経済界の要人と平和重工の社長の堂島や開発部長達が並んでいる。
「それでは、これから中東出兵の壮行会を行いたいと思います。まず、お手前のテープカットをお願いしたいと思います。皆様、ご用意の方はいかがですか?はい、それではお願いします」
司会の開発部の課長の音頭でテープカットが行われて、周りを囲んでいる関係者から拍手が起こり、一斉に報道陣のカメラのフラッシュに照らされた。
この時、開いていた玄関から二郎が様子を伺いながら入って来た。入り口にいた警備員も、盛り上がる会場の方に気を取られていて二郎が入ったことに気が付かなかった。
二郎は人混みの背後から会場の前の方へ潜り込んでいった。前方に居並ぶ厳(いかめ)しい鎧を着たようなロボット兵士の中に兄の聖一がいるかもしれないと二郎は思った。
二郎はロボット兵士の顔を一機ずつ見ていった。ロボット兵士の顔の窓の中に人間の顔が見えた。
「いた!あれは兄だ。間違いない」
列の一番左に立っているロボット兵士の中の顔は兄によく似ていた。
「それでは、先ず当社社長の堂島より挨拶を申し上げます」
壮行会は、社長の挨拶から来賓の挨拶へと続いた。二郎はただ見ているだけで、どうして良いかわからなかった。
「本日は誠にありがとうございました。お陰様で壮行会も無事に終了することができました。では、これよりロボット兵士は中東に向けて出発いたします。皆様、盛大な拍手をもってお送り下さい」
沸き起こる拍手の中、全自動操縦で操作された十機のロボット兵士は足踏みを始め、縦一列になって玄関から出て、迎えの大型トラックの荷台に乗り込む手はずに入った。
ロボット兵士の先頭は聖一だった。全自動操縦のロボット兵士は十機が全て同調した動きで統一されていた。
先頭の聖一のロボット兵士が玄関を出ようとした時、二郎が飛び出して行く手を塞いだ。
「兄さん!俺だよ、二郎だよ!わかるかい!二郎だよ!」
周囲は騒然となった。関係者は顔を見合わせ、報道陣は色めき立った。
「誰だ、あいつは!」
堂島は開発部長に怒鳴った。
「あ、はい。警備員!何してる!あいつを取り押さえろ!」
集まった何人もの警備員が二郎の体を押さえつけた。二郎は構わず叫び続けた。
「兄さん!行っちゃだめだ!兄さん!」
警備員たちは二郎を連れて行こうとする。二郎は引きずられながら叫び続ける。
「兄さん!俺はバッチだった!許してくれ兄さん!俺はバッチだった・・・」
二郎は泣きながら引きずられていく。
その時、聖一の目が見開いた。全自動操縦の間は仮睡眠状態におかれているはずだったが、二郎の言葉に反応したように聖一が覚醒した。
聖一のロボット兵士は隊列を離れ、二郎の方へ走り寄った。警備員たちを払い除けて二郎を抱き起こした。
「ジロウ チレイ ジロウ チレイ」
「兄さん!」
二郎は聖一のロボット兵士に抱きついた。
「兄さん、家に帰ろう。一緒に帰ろう」
「ジロウ チレイ」
周囲のものには何が起こったのか理解できなかった。抱き合う二人の周りを取り囲んで見つめるしかなかった。
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