大日本国という国号の2つの解釈
1つは「Great Japan」的な解釈ができます。日本の明治時代から昭和はじめまでの国号は「大日本帝國」でしたが、英国の正式名称が「The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」でグレート(大きい)ブリテンであるように、大きい日本すなわち大日本という解釈ができます。
大日本があるなら小日本はあるのかと言われると謎ですが、「大日本帝國」では美称として「大」が使われていたと見ることができます。戦前の日本は多民族国家としての要素も強く持っていましたので、「大きさ」を強調する国号はちょうどよいものだったのではないかと思います。
(明治~昭和初期の日本は、台湾と朝鮮半島や満州やミクロネシアの一部が日本帝国領だったので、日本語ネイティブではない人たちが国の人口の数割を占めていました。人口比率からすると現代日本より多様性があったと言えます。)
一方で、大日本という言葉には別解釈もありまして「大日本」=「大日如来の本国」という「日本は大日如来の国土だ」とする現代ではとてもマニアックになった解読もあります。
これは中世仏教であった考え方で、こうした世界観にそって中世の天皇の即位儀礼においては「大日如来の儀礼」が入っていました。即位灌頂という儀礼です。(天皇と大日如来の力が一体化する儀礼とでも言えばよいでしょうか、神仏習合的には「大日=天照」という設定もあるので筋は通ります)
後醍醐天皇が袈裟や法具を持って仏像的なポーズをとってる肖像画はわりと有名だと思いますが、御醍醐に限らずあの時代は仏法王法は実はかなり近かったわけです。
鎌倉時代以降、新興の武家勢力がだんだん力をつけてきたのに対して、もともと権力をもっていた京都の朝廷側は第三勢力の寺社勢力との一体化を強めることで対抗する道をえらんだという解釈もできるでしょう。
上の絵などは、寺社勢力と王権の統合の象徴として後醍醐帝を描くなら非常によくできている画像だと思います。(天子の冠、神祇の神名、仏教の法具、と3拍子そろってる。)
なお、即位灌頂の儀礼は鎌倉時代から江戸時代まで続いていたようです。が、明治天皇の即位儀礼以降は神仏習合的な世界観に批判的な勢力が政権を取った結果、宮中儀礼から仏教要素を抜く方向になったのでこの儀礼は行われなくなっています。
明治政府の政策には功も罪もあるとおもいますが、こと神仏習合的な世界観の破壊という政策に関してはただの蛮勇だったのではないかと私は考えています。