推し活:メンヘラして推しを困らせるくらいなら私は泡となって海に消える人魚になる。
私が過去の最推しの推しマークを外したり、ある推しの配信に3ヶ月一回も顔を出さなかったのは嫌いになったのではなく、好き過ぎてメンヘラして推しを困らせる。とわかったから身を引いただけです。私がファンポチ外して去る時は相手に飽きただけじゃなく、私が暴走しそうで、どうにもならないと自分でわかった時。
いつも最後はそうです。距離感バグの、私の最期は。自分が推しを『独占欲』で自分ひとりのにしたい、と思った時、ああ、もう、ダメだ....…それを枠内でやるわけにはいかない。私が大好きな推しの配信を、空気感をめちゃくちゃにするわけには、いかない。推しからブロックされれば、諦めがつくだろう。
そんなとき、私は思うのです。
大好きな推しから、暴走が止まらない時は、ブロックされるのが、最後の愛情なのではないかと。
そのときは、傷付くけど、私は、ブロックしてくれた推しの気持ちを考えたら、したらいけないことを、したのかもしれない。
相手の気持ちを無視したら、終わるのだ。それまでの関係性ではなく、それは最後の『最期の砦』セーラーサターンの振り下ろす沈黙の鎌のように、『ブロック』とか『蹴られる』のではないだろうか。
そしてそれは、私もしたことがある。大好きな人を、私もブロック、したことが、あるからだ。
それを枠主のワガママとか酷いとか
いうリスナーもいるけど、みんな人間だから、受け入れるか受け入れないかは、最後は配信者が決めるのだ。それが残酷でもそれがその人の最後の『気持ち』だと思っている。
ブロックするときに、私はいつも思うのよ『私とはこれで決別だけど、他の人とこうならないエンディングを迎えて欲しい。気づいて欲しい、私のことを嫌っても貴方はいつか幸せになるのよ』って。