見て貰えないと、聞いて貰えないとただの自己満になってしまう。声劇の世界。歌みたの世界とは?
ただ歌って、上手い下手とかじゃなくて。クオリティでもなくて。どんなに上手くてもクオリティ凄くても人は「感動しないと聴かないし見ないし読まない」つまりはなにか?「感動させたら人はファンを掴むことが出来る」
ファンがいないと、1人でもいい。ファンがいないとアーティストとか声劇とか、台本もそう、小説もそう。自己満ならインターネットに載せる必要が無い。載せても誰も見ないと、それはノートに書いて自分でみるだけのもの、となる。
歌い手、声劇、シチュエーションボイス、なんでもそうだけど「リスナー」の気持ちを無視して、大成した人を見たことがない。自分のファンを傷つけてまで、自分がしたいことだけしている人を応援しているひとは、よほど「自己中の表現者」だ。
自分のしたいことと、自分のリスナーやファンの望むneedsと、「擦り合わせたもの」を、つくっていくのが人気者になる近道である。ただ、自分のしたいことだけしても、聴かれないし、どんなにクオリティだけすごくても、その場だけで、何回も繰り返し聴かれたりしない。
リピートされるかどうか。だ。
繰り返し聴かれるかどうかだ。
繰り返し見られるかどうかだ。
歌でも声劇でも。
ファンポチも安易に外さない。真のファンは。
私は、ファンポチ外されたりもするけど、外さない人に限っては4年間外されていない。そして4年目にして1年目からの人がふらっとCASTにハートを押しにきたり、LIVE配信に来てくれたりする。
本当のファンなら、また帰ってくる。どこにいっても他枠にいっても、離れることがあっても。また戻ってくる。縁があるからこそ。縁がないと切れる。切れるのは、どちらかが思いやりあえなくなって片思いになるからだ。
両想いでなければ会えないし、続かない。
それは友達でも恋人でも推しでもそうだ。
だから、私にはこれを読む貴方が必要だ。