シャルトルへ行きました。⑨

ラスト、シャルトルの奇跡。

 バスは四時前にシャルトルを出たのに、帰宅ラッシュに引っかかってしまった。フロントグラスからはテールライトが数珠のように繋がっている。一同、往きの元気はなく、既に寝ている者もいれば、片山のように窓から暮れはじめた空を見つめている者もいる。
 そんなユニット員達を今までとは違う気持ちで見ている自分がいた。親近感ではないし、友情でもない。強いて言えば、責任感のようなものだろうか。この後輩達のために自分は何をすべきなのか。そんなことを考えていた。そしてそんなことを考える自分に驚いた。
 だけど、今日という一日を経て、私の中で何かが変わったことには気づいていた。何がどう変わったのか、自分でもはっきりとはわからないのだが、何かが変わったのだ。ずっと自分の幸せを確保するのに躍起になっていた。でもその生き方では、空しくてもう前に向かう力が出なくなっている。それはコロナのせいなのか、それとも時代の流れなのか。周りも変わったし、自分も変わった。生き方を変える時期が来ているのだ。具体的にどうすれば良いのかは分からない。でも一度自分を空っぽにしてみたい。自分の結婚、自分の仕事、自分の将来、自分の幸せーーそれらを手放したら、全部空にしたら、大切なものが見えてくるような気がするのだ。
 ずっと「自分」が何より大切だった私なのに、こんなことを考えるだなんて、不思議だった。本当に、今日という一日は夢の中での出来事のようだ。

 すると、「バサッ」と音がした。

 隣の席で舟を漕いでいる若田の膝の上からガイドブックが滑り落ちた音だった。若田はそれにも気づかず口を半開きにして眠りこんでいる。見学のあと、昼食のために入ったガレット屋では「結婚したいんです!」と言っていたが、これじゃ当分ダメね、と冷ややかな笑みを送り、足元からガイドブックを拾い上げる。なんとはなしに開かれたページに目を遣ると、「シャルトルの奇跡」というタイトルが飛び込んできた。

『シャルトルの奇跡』
 シャルトル大聖堂は二度の火事にあって多くを失い、その後も、宗教革命、フランス革命、そして第二次世界大戦など、何度も危機があった。だが、シャルトル大聖堂はこうした受難を耐え抜き、そのエレガントな立ち姿を今に至るまで守り続けている。地元の人々はこれを『シャルトルの奇跡』と呼んでいる。

「ーー奇跡、か」

 ガイドブックを若田のカバンの上にそっと戻した。まもなく日が沈もうとしている中、バスは高速を出て緩やかな坂道を下り始めている。下界では、家々にオレンジ色の明かりが灯り、その向こうにはエッフェル塔が淡い群青色の空の中、残照を受けて赤々と輝いていた。眠かったが、刻々と変わるその光景を最後までしっかり見届けたくて、窓の外をずっと見つめていた。


完(Merci beaucoup!)

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