翼をひらくとき②
悔やみきれない過ち
これは、実際に起きたことだった。
慶子はかつてCAとして日本空輸で働いていたことある。新卒で入社し六年余り勤務した。夢は、CA時代に慶子が引き起こした人身事故がベースとなっている。
あの日のことは鮮明に覚えている。ロサンジェルスから羽田に向かう復路便だった。当時の制服は、ピンク、ブルー、そしてグリーンの三色のブラウスが貸与され、CAはその中から自由に選べた。あの日、慶子はグリーンを纏っていた。ペール・グリーンのブラウスに、やはりグリーンのラインが入ったスカーフをチョーカーのように首に巻き花が咲いたように結ぶというのが慶子のお気に入りだった。物静かな慶子の和風顔にきゅっと小さくまとめたシニヨン、そこに淡いグリーンの花が添えられると、肌の白さと涼しげな目元が引き立った。
朝食のサービスも終わり、もう少しで羽田に着陸するところから不運が始まった。まず病人が出た。慶子はパーサーだったので、病人の病状を把握してチーフ・パーサーへ報告するという業務が加わった。さらに、羽田からの乗り継ぎがタイトな旅客が数名いて、その人達を昇降口近くに移動しなくてはならなかった。ただでさえ、着陸前は忙しいのに、慶子はシニョンのほつれ毛を直す余裕もなく、チーフがいるファースト・クラスと、自分の担当であるエコノミー・クラスを行ったり来たりした。
そうこうするうちに着陸態勢に入った。
CAはサービス要員である前に保安要員としての任務がある。それは緊急時だけでなく、離着陸時の旅客のベルト着用チェックや、ミールカートや飲み物カートがきちっと所定の位置に戻して、動かないように固定する、といった細かい作業も含まれる。カートというのは、エコノミー・クラスで飲み物のサービスをする際にワゴンとして使われる、底に小さな車輪の足が付いているあの直方体の箱のことだ。各CAは担当区分を持たされ、その区分内の安全性を守る、という任務がある。
慶子は慎重な性格だ。なので、随分前から、自分の担当区分内の安全性チェックは済ませてあった。とはいうものの、その時点から、病人のために飲み物カートから水を出したり、旅客はベルトを外してトイレに行ったりしている。もう一度確認せねば。
だがその時だ。コックピットからインターンホーンが来た。通常であれば、コックピットからチーフへ、チーフから各クラスのパーサーへ連絡が来るのだが、直接連絡が来た。応答せずにはいられない。
「地上から、車椅子いるかって問い合わせ来ているけど、大丈夫そう?」
「はい、もうすっかり回復されたようで、席に戻るときの足取りもしっかりしていましたし、車椅子は不要かと」
「はいはい、了解」
先ほどチーフに伝えたのに、何故また聞く。首を傾げながら窓から外を見ると、道路を走る車がはっきりと見える。あの大きさだと着陸まであと十分もないだろう。
「着陸前の安全性の確認OKです」
中村がやってきて報告とする。各CAは、担当区分の離着陸準備が完了するとパーサーに報告することになっている。中村の区分はR4、慶子の対面の区分だった。
「了解。申し訳ないけれど、あそこのギャレーも見てもらえる? わたし、さっきチェックしたから大丈夫だと思うけど」
と頼んだ。区分責任者が安全性チェック出来ないときは、対面のCAが代わりにチェックする事になっている。
「はぁ、でも、もう確認しました。両区分共、着陸前安全性チェック完了です」
と中村は即答した。「本当かしら」と思った。中村は、技量も足りなく機転も利かない、その上怠け癖があるという、客室部の「困ったちゃん」だった。
自分の目で確認したい、と思ったが、またインターホンが鳴り、今度はチーフが、先ほどコックピットから確認されたことを聞いてくる。同時に他のCAらは、親指を挙げたジェスチャーで、「安全性チェックOK」と知らせてくる。インターホンをソケットに戻すと主脚が降りる音がする。もう着陸だ。慶子は急いで着席するとショルダーハーネスに腕を通し、シートベルトをカチッと止めた。
飛行機はタッチダウンの姿勢に入った。ゴォーゴォーと、エンジンの轟音が大きくなる。
ドッスーン。
大きな音を立てて飛行機は着陸した。風が強い中の着陸だったのでラフ・ランディングとなった。激しい横揺れに身体が揺さぶられる。客席から、「キャッ」という声が挙がったほどだ。
その時だ。
ガラガラと車輪が回る音が聞こえてきた。着陸の衝撃と共にカートが走り出たのだ。気づくと慶子の目の前にカートが走ってくる。ぶつかる! と思った。シートベルトを外そうとバックルを押すが外れない。手元の先をみると、前の席の旅客が片脚を通路に出して寝ている。年配の男性客で、いびきをかいている。
「お客様、あ、あしぃっ!」
慶子は悲鳴を上げる。だが手遅れだった。カートは、年配の男性の脚を轢き、そこでバランスを崩して脚の上に倒れた。
寝込みを襲われた男性は、その瞬間声も出なかった。寝不足と乾燥で充血した目をかっと見開き、皺だらけの顔を歪ませた。
旅客らの叫び声。走り寄るCA達。慶子も駆け寄った。だが、慶子の意識は身体から離脱したかのように、阿鼻叫喚な状態を傍観していた。男性は動かない脚を摩っている。地上係員が手配に走り回った。救急車も来た。社の支店長も駆けつけた。車椅子? 業務上過失傷害罪? 逮捕? 慶子は頭の片隅で断片的にそんなことを考えていた。
幸い、被害者の怪我は骨折に至らず、しばらくすると脚も動かせるようになった。会社側の謝罪も受け入れてくれたので警察沙汰は避けられた。まだスマホもSNSも今ほど普及していない時代でよかったと思っている。
しかし、当然のことながら客室乗務課内では厳しく調査された。結果、慶子とサブ責任者である中村は一か月の間フライトを降ろされ、地上勤務を命じられた。毎朝、出勤すると課長の隣の席に座わらされた。これから乗務するCAらがばつの悪そうな顔で通り過ぎる中、A4サイズの紙と向かい合い反省文を書かされるのだ。通称「見せしめデスク」。不祥事が起きたときの客室部の習わしだった。モラハラが問題視される昨今は、あのような罰ゲーム的な処分は廃止されたと信じたい。
入社以来優等生で来た慶子にとって、この体験は屈辱的だった。あの一か月の間に体重が四キロも落ちた。それでも出勤し続けたのは、これで罪が償えるのなら、という気持ちがあったからだ。慶子は自分を責めた。確かに不運が重なった。何故、コックピットとチーフは同じ質問をしたのだろう、とか、病人さえ出なければ、とか、乗り継ぎの情報がもっと早く来れば、とか、思うことはあった。だがそんなことを言っても仕方ない。ただ、中村には本当にあのギャレーをチェックしたのか、聞いてみたいとは思った。でも、聞いたところで、自分が最終責任者なのだし、何が変わるわけではない。
当の中村は、自分に責任があるとは思っていないようだった。見せしめデスク付も「休養のようなもんだしぃ」などと軽口を叩いているところを耳にしたときは、さすがに腹が立った。だが、慶子は何も言えなかった。