翼をひらくとき①
叫ぶわたし
夜驚症という睡眠障害がある。子どもに多いらしいが、成人でも稀に見られる症状だそうだ。慶子がこの夜驚症に悩まされるようになったのは数年前のこと。満が生まれてからは発症する回数が少なくなっていたが、最近になってまた頻発するようになった。
昨夜はいつも以上の声量で叫んだらしい。孝一もかなりうろたえていた。
「聞いたこともないような声だった。飛び起きたよ。落ち着かせようとしても、ギャー、ギャーって繰り返してさ」
「ごめん」
「『おい、大丈夫だよ、夢見てるんだよ、起きろよ』って揺すっても止まらない。形相変えて叫び続ける。正直怖かった。でも、あまりに凄いからさ、かわいそうになっちゃった」
孝一はそう言って、慶子の頭を軽くぽんぽんと撫でた。そこまで叫ぶのは久しぶりだ。殆どの場合は孝一に未然に防いで貰っていた。
「まずね、うーうーって唸ったり、身体がぴくぴくって動くんだ。その時点で揺り起こせば、泣き叫んで止まらない状態にはならない。キャッって飛び起きる程度で済む」
だが昨夜は、孝一も仕事の飲み会でアルコール入っていたせいか、深い眠りに入っていたため、この前兆に気づかなかったそうだ。慶子自身は、叫んだ記憶はおぼろげにしか残っていない。夜驚症は脳内で睡眠と覚醒のバランスが取れていないときに起きるそうだ。なので、本人は「そう言われると叫んだような気もする」程度にしか覚えていないことが多いらしい。
引き金となる夢はいつも同じ「ストーリー」だ。ただ設定はその時々で違う。例えば慶子の役どころも、旅客の一人だったり、CA(客室乗務員)だったり、時には、テレビドラマでも見ているかのように傍観している存在だったりする。場面も、飛行機がシベリアかどこかの凍てつく滑走路に着陸するところだったり、小汚いビルが密集している雑踏の中を急降下しているところだったり。昨夜は確か、飛行機の中ではなかったと思う。オフィスビルらしき建物内の白いフローリングの通路を歩いていたのではなかっただろうか。
ゴォーゴォーという地鳴りのような轟音と共に始まる。足元が大きく揺れている。だが慶子は元CAだ、この程度の揺れには慣れている。恐れはない。
ドッスーン。
隕石が落ちたかのような衝撃が走る。ブレーキが掛けられるが推進力が強いので急には止まれない。激しい横揺れに身体が右へ左へと揺さぶられる。だがそれも徐々に収まってきた。慶子も表情が和らぐ。
ところが、だ。間髪入れずに、ガラガラと車輪が回る音が近づいてくる。何ごとだ。前方に目を向けると、剛鉄のカートがすさまじい勢いで通路に飛び出て迫って来る。ぶつかる! 思わず手で顔を覆うが、指の隙間から、足を通路に投げ出して眠り込んでいる旅客が突如現れる。カートはその旅客の足に向かって突進。衝撃の瞬間、旅客の目は飛び出んばかり。その目が血走っている。旅客が叫ぶ。だが気づくと叫んでいるのは慶子だ。ギャーッ、ギャーッ、ギャーッ、ギャーッーー。