翼がひらくとき⑩
夫婦のあり方
「本日、気象台は関東甲信地方が梅雨明けしたとみられると発表しました」
アナウンサーが、七時のニュースと同じセリフを繰り返したところで慶子はテレビを消した。孝一と満をそれぞれ駅と幼稚園まで送り届けると、「連ドラを見ながら、朝ご飯を食べながら、そして片付けながら」というささやかな一人時間を経て、本格的な家事に入る。これが慶子のルーティーンだった。
月曜日は洗濯デーと決めている。晴天だし、まずは大物から洗うか、と、ベッドからシーツ類を剥ぐ。結婚したときに、孝一が主張して買ったクィーンサイズのベッドだ。大きいのでシーツを取り替えるだけでもひと苦労する。枕カバーやブランケットカバーも剥ぐと、両腕一杯となった。なんども洗濯されているので、肌のような柔らかさだ。吸い寄せられるように慶子は頬を埋める。まだぬくもりが残っていて、馴染みのある匂いがした。なめし革のような蒸れた匂いは孝一の、びわの匂いは慶子のシャンプーの匂いだ。何故だか今朝はこの匂いが懐かしく感じる。慶子は目を瞑り、胸一杯に吸ってみた。何で懐かしいのだろう。どこかで嗅いだ匂いに似ているから? と考えるうちに、ハタと気づいた。
「もしかしてこれってーー」
これはあの匂い? あの熟れすぎた果物のような、むわーっとした匂い。あのとき孝一がどっぷり浸かってしまって、もう拭えなくなっている、あの匂いではないか。ずっと、南国の、見も知らぬ女と孝一だけが共有する匂いだと思っていた。だが、その匂いの正体は、他の誰のものでもない「わたし達」の匂いだったというのか。孝一の肌の匂いがわたしの肌に移り、わたしの肌の匂いが孝一の肌に移る。そんな二人が生み出した匂い。わたしは、自分達の匂いをずっと拒絶していたのだろうか。
慶子は力が抜けてしまった。シーツの山を抱いたままベッドの端にストンと腰を落とし、しばらく放心していた。頬が冷たいので指先で触れると濡れていた。それを機に、堰を切ったようにむせび泣いた。二人が身体を横たえ、汗も脂も匂いも染みついたシーツを抱きしめ、顔を埋めて泣き続けた。