日記(高橋國光さんのnoteを読んだ翌日)
どこまでいっても私は高橋國光の中にある日本語以外に美しいものは見つけられない。
それが私を、パンを焼いているのを待つ間、冷え切った部屋を電気ストーブで温める間、瞼に着せるアイシャドウと唇に咲かせる花の色を考えている間、どこまでも絶望させ、どこまでも安心させる。消費する側で居ても良いという赦しは、現代の神の福音で、天使は大量生産大量消費の掌で潰されたらしい。
怠惰には生きたいけど、惰性では生きたくないと思ってた。愚かで可愛らしい夢。緩慢な日々でゆるやかに毒殺される人達の解毒剤は