見抜けるか
こんにちは、ひのひとです
芦田愛菜さんをご存知ですか?
子供役者としてメディアに出続けし、
学業でも成果を残しているという女性。
でも、ただの女性ではありません。
信念を持って
外部へ発信できている素晴らしい人材だと感じています。
ある会見の場でこのように述べていました。
よく、その人のことを信じようと思いますという言葉を使うことがありますが、それってどういう意味なんだろうってと考えました。
それは、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかなと感じて。だから人は、裏切られたとか、期待していたのにと感じてしまう。
でもその人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけであって、その見えなかった部分が見えたときに、あっ、それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるか、信じられるかということなのかなと思ったんです。
けれど、揺るがない自分の軸を持つのってすごく難しく不安になったりします。
だからこそ、人は『信じる』と口に出して、成功した自分とか理想の人物像にすがりたいんじゃないかと思いました。
これは、確かにな。とか、
抽象的に想像はできていたけど具体化されて言葉で表せなかったことだな。とか
感じた方も居たのでは無いでしょうか。
感情というものの存在は、
自分個人にしか備わっていない。
共感や不快感は、自分が作り上げた想像に由来する。
期待とは、信頼に近い。