ROTH BART BARON「MIRAI」をもってすれば、こんなことも起きるかもしれない。
※以下は楽曲から想像した物語(フィクション)です。太字は歌詞引用。
彼は祈る。
緊張した面持ち、気だるそうに見せたポケットに手を突っ込む姿、決意に満ちた眼差し、ステージ上では多種多様な佇まいの生徒たちが出だしの音を待っている。
ここ数年でかなり目立つようになった壇上の隙間に彼は唇を引き結ぶ。赴任したばかりの頃にはクラス毎の発表となると、あのひな壇に乗り切らないくらいに所狭しと生徒たちがひしめいていた。今は隙間ばかりがやたらと目立つ。
時の流れだ。仕方がないことだ。彼は自分に言い聞かせるが、それにしても哀愁を思わせることこの上ない。
町の中で一番大きなショッピングモールが閉店してからは坂が転がるように町が活気を失い、人口もどんどん減っていった。ショッピングモールがなくなったことが原因というよりは、町内で一番大きな商店の閉店により自覚が生まれてしまったというほうが近いかもしれない。町の大多数が、この土地は下降線なのだ、下り坂なのだと認め、心の中でそう決めてしまった。その感覚がやがて町全体を覆って、飲み込んでいったように思う。
この学校も統廃合の対象となった。
来年からは隣の地区と一つになり、ここにいる生徒たちは全員そちらの校舎に通うことになる。これが最後の合唱コンクールである。
おもむろに一風変わったイントロが流れたかと思うと、生徒たちが一斉に歌いだす。
「そもそも無理でしょ、合唱なんて」
そう言ったのはクラス内でも活発な女子生徒の一人だ。楽曲決めの際、彼女は机に頬杖を付きながら、冷たく言い放った。その言葉に彼はすぐに言い返せはしなかった。なぜなら、彼女のその言葉はある意味では至極まっとうな一言に思えたからだ。
「バランス悪すぎ」
追い打ちのように続けて放たれた彼女の一言になかなかの数の生徒が頷いたり、身じろぎをした。そもそも男女間の人数も相当な偏りがあり、全体人数も当然少ない。そんな中パート分けをして合唱をするなど無理だと、諦めたムードが教室全体を覆う。
立場上、それでもと彼らを奮い立たせなければならない。ただ、どうにも現実は変えようがなく、無理に彼らを奮い立たせるのも嘘くさい気がしてすぐに取り成す言葉が出てこない。
「もういっそ、ボイコットしようよ」
一人の生徒が告げた一声にどっと笑いが沸き起こり、そうだそうだと同調する声が次第に大きくなる。一人がくるりと彼のほうを見つめる。
「ねえ、いいでしょ、先生。どうせ無理ゲーなんだもん」
彼はうーんと腕を組んで唸るが、次の言葉を言いよどむ。もちろんボイコットなど、止めるべきところだろう。ただ、この時点で彼らの気持ちを真っ直ぐに行事参加へと向かわせるのは難しい気がした。どうにか、軌道修正する言葉を探そうとするが、どうすれば彼らの傾いた振り子が戻るのか。
「さすがに出ないのはまずいんじゃないかな。みんなのためにも」
あまり間を持たせるのも良くないと思い、場つなぎ的にそんな言葉を呟いてみても、当然彼らの気持ちが傾くことなく、次第にその場の空気がしらけていく。
「それだったら…」
諦観を切り裂くようにゆらりと挙ったその手の主が告げた提案に彼は再び唸り声を上げることになる。
ねえ 僕らがそらに 放った歌は いつか いつか
遠い 未来の 名前も知らない あなたに届くの?
壇上の生徒たちの歌声は徐々に熱を帯びていくようだった。まるで歌っている間にその楽曲に背中を押されて、確信を強めていくように。
王道の合唱曲ではないこの曲を全員がパート分けなんてものを無視して歌う。陽炎のように一瞬一瞬で形を変えるそのユニゾンは独特の強さを持って彼の胸に迫る。
これは彼らにとってある種の抵抗であり、祈りなのだ。唐突に彼は悟る。
この統廃合の話が決まった時、通う校舎は隣地区のものになるものの、それ以外はそのまま残るはずだった。学校名は単純な足し算で隣地区の学校名にそのまま結合し、制服もクラス編成もそのままに吸収されるはずだった。ところが話は突然に一転した。一つの学校となるのに制服がバラバラでは外聞が悪い、学校名が変わるとわかりにくい、両校の生徒は均等に均すべし。結局は町のお偉いさんによる鶴の一声で全てが覆されてしまった。
そればかりではなく、今回のコンクールに突如両校の交流会という名目が上乗せされ、その決定はこれまたあまりに突然のお達しによって生徒たちに知らされることとなった。
全てを覆されて、完全に飲みこまれる側になってしまったのに、おまけに合同行事にされてしまったら、大勢の前で歪なバランスを見せるしかない。諦観と投げやりに満ちた空気を切り裂いたのが、この曲だった。
生徒の一人が提案したこの楽曲をクラス中が受け入れたのは、彼らのなかでも拭いきれない嘆きのようなもの、怒りのようなもの、嫌気や苛立ちのようなものがあったからではないか。そしてそれは恐らく愛校心などというものではない。彼らが所属校に特別な思い入れを持っていたわけではないだろう。ただ彼らは全てを一瞬にして覆されたことに何がしかの行動を持ってして、意志を示したかったのだと思う。その結果がこの個性豊かな歌声に現れているような気がする。
複雑に揺らめく歌声が重なり合って、乱反射し、空間に広がっていく。そのふくよかな響きのなかにもひとり一人の歌声が聴き分けられそうでもあり、じっと聴き入っていると、次々に異なる歌声がふくらんで大きくなり、個々の中に広がる宇宙に吸い込まれそうな感覚にふいに圧倒される。
いくつもの大陸を 彷徨って 彷徨い 続けて
種を蒔いていたんだ 頼まれてもいないのに!
飛び込んできた豊かなギターの音色に彼は不意に込み上がる感情を慌てて堪えねばならなかった。生徒たちは手拍子と足踏みをしながら、その間奏に心地よさそうに身を委ねている。
ああ、と彼は心中で呟く。もう大丈夫だとなぜか唐突に強く思う。
正直、最初にこの提案が生まれたとき、彼は承服するか迷った。この行為が彼らにとって意味のあるものになるのか、前向きな結果となるか、皆目わからなかったからだ。しかし今、それは杞憂だったのだと悟る。
来賓席には統合を控えた二校の交流会というイベント性を受けて町のお偉方が集まっている。恐らく、ここにいる彼らが鶴の一声で全てをひっくり返したのだろう。
そんな張本人たちが今この瞬間、重なり合い乱反射する歌声に乗った何重もの感情や思いにどれだけ心を寄せているかはわからない。事実、眉をひそめている御仁もいるくらいだ。
それでも、なんと鮮やかな意趣返しだろう。あの時、参加しないことに逃げなくて良かった。彼は心の底からそう思う。
何度も彼らの練習を聴いているうちに覚えてしまったそのフレーズを彼は口元だけで一緒に歌う。
ねえ 僕らがそらに 放った歌は いつか いつか
遠い未来の 名前も知らない あなたが歌ってよ
全て勝手に覆されて、奪われたように思えても。意志は感情は、想像する術は奪えない。彼らの前途はこんなことにはなんら邪魔されやしない。その確信が生徒たちの歌声と手拍子に後押しされるようにどんどん強くなる。
やがて、余韻に満ちた長いアウトロが終わると、他ならぬステージ上の生徒たち本人から一斉に拍手と歓声が沸いた。まるで最初から示し合わせていたように、互いに顔を見合わせて。それは自らに向けられたものというよりも、今この瞬間に塊で同じ光に瞬間的に触れたその刹那的な奇跡への賛美のようだった。ステージ外の聴衆はあっけに取られているが、張本人たる彼らの笑顔は弾けんばかりだ。
ああ、置いて行かれたなと、彼はどこか清々しくその姿を見つめる。
彼らは今この瞬間、もう既に自らこの理不尽をなぎ倒し、さらに未来へ向かった。こちらを遠く置き去りにする勢いで。
入れ物にこだわっているのは、目先のことに捉われているのは一体どっちだ。彼らにそう問われている気がした。
彼らの歓声と拍手は、まるで何かの呪縛から解かれた合図のように鳴り響いていた。
ROTH BART BARON『MIRAI』を聴いていて、思い浮かんだ一場面です。こんなことだってあるかもしれないと。
奇跡的に重なった心持ちで大勢の人と一緒にこの楽曲を歌えたら、それはもう、その瞬間、乗り越えられてしまうだろう。どんな感情も。
地面に足を付けたまま一ミリも動かないで、遠く宇宙にまで触れられそうな、ROTH BART BARONの音楽を聴いているといつもそんな途方もなく大きな気持ちになる。