不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑧
そんなこんなで、X学校に通うようになってからは、人間関係で悩むことはほとんどなくなり(何もなかったわけではないがここでは割愛)、勉強に集中できるようになった。
大学のような感じで、それぞれ選択した授業に出席していて、毎日顔を合わせるわけではなかったし、みんな目的がはっきりしていたから。
不登校児とか、受験に失敗した人といった、既定路線から外れてしまった人たちが集まっていたから、それなりに問題を抱えている人もいて、途中で来なくなってしまう人も中にはいた。
私と同級生が二人入学してきたが、その二人も受験の頃にはいなくなっていた。
都会の生活にも徐々に慣れていき、まぁなんというか、危ない橋を渡ったりしつつも、なんとか受験期を迎えることができた。
高校受験に欠かせないものといえば内申点。
でも中学は行っていないから、内申点は最低ランク。
そして地元の高校なんて行く気はないから、どこを受けるとしても学区外受験になる。
学区外受験の場合、枠が少ない上内申点の高さも求められるので、その時点で受験できる高校はかなり限られていた。
試験の点数だけで合否が決まる枠が設けられている私立高校がいくつかあり、最終的に2校に絞ったのだが、私は出願直前までどちらを受験するか決めかねていた(たしか受験日程が同じだった)。
1つはほぼ確実に受かるぐらいのレベルだったが、そんなに魅力を感じていなかった。
もう1つの方は進学校で、受かるかどうか微妙なレベルなものの、英語に力を入れているところなど魅力的なところが多かった。
願書を送るために書類か何かが必要だったので、提出直前に地元の中学を訪ねた。
担任は2年生から持ち上がりだったので、学校に行かなくなってから1年以上ぶりに再会。(家に何回か来てくれたような気もする)
この担任はまだ若くて、お兄ちゃんのようなノリで話しやすく、志望校を決めかねていることを相談してみた。
「あっちはまぁ多分受かるけどー、行って楽しめるかわかんない。行きたいのは進学校だけど、公立を併願できないから崖っぷちだよね…」みたいな話を小一時間くらいしただろうか。
「決めた、私進学校受けるわ!」と言っていた。
言った後に少し後悔もした気がするが、最初から答えは決まっていたと思う。
なるべく上に行きたかったのだ。
地元の中学の奴らを見返すために。もう会うこともないだろうけど。
そして進学校を受験し無事合格。
受験も終わり実家に帰っていた私に担任から連絡があった。
卒業証書を渡したいから学校に来ないかと。
卒業証書。そうか、私はあの中学卒になるんだよな。何かと担任にも迷惑かけたし、最後に会いに行こう、そして卒業証書もらお。
そんなことを思いながら、卒業式当日だったか、後日だったか忘れたが、母と一緒に中学校を再び訪れた。
聞かされていなかったのだが、そこには親友のNちゃんや同じ小学校出身の女の子たちがいた。
私だけの卒業式を開いてくれたのだ。
母は泣いていた。
普通に卒業することは叶わなかったけれど、母に卒業式を見てもらえてよかったと心から思う。
先生と友達には感謝してもしきれない。
中学を卒業した後は、一人暮らしをしながら高校を卒業し、国立大学を受験するも失敗し、一度専門学校に入るが物足りなくて専門学校は退学。
1年浪人して再度国立大を受験し合格。
大学では部活に明け暮れていたものの4年で卒業し、一部上場企業に入社。
その後大学で出会った彼と結婚し、現在は一人娘と旦那と私の3人家族で幸せに暮らしている。
中学では一度道を踏み外してしまったけれど、自分の気持ち次第で未来はどうにでもなる。
次の一歩に踏み出すか踏み出さないかは自分次第。
踏み出す前は怖いかもしれないけど、怖いのは一瞬。
踏み出してしまえば、またそれが日常になる。
やるか、やらないか、それだけ。
苦しい時には立ち止まって、また歩き始めればいい。どんな道でも。
終わり