縦断と革命の熱風その3〜ボリビア サンタクルス〜
チェゲバラは1967年にボリビアで捕まり、当時CIAの指示で生捕りの予定だったが、ボリビアには死刑がなく、もしそのまま投獄された場合、仲間がチェゲバラを奪還しに襲撃に来ることを恐れ射殺されたとのこと。
ブルースリーは1973年に薬物混合による脳浮腫により死亡した。その死因には諸説あるが、ブルースリーが映画の中でセットや衣装など完全に東洋スタイルで撮影していたため、当時映画を通じてアメリカ流の生活スタイルを広め、アメリカ商品の市場を広げることを目論んでいた通産省に目を付けられたという。しかしブルースリーはそこで怯まず、独自の路線をハリウッドでも突っ切ったためにCIAに暗殺されたという話がある。
いずれにしろ南米のボリビアを回っている時は、どこのホテルに行っても、どのレストランに入っても、チェゲバラの話で持ちきりで、設置されたテレビモニターからはブルースリーの映像が流れ続けていた。先住民族の人口比率が最も大きく、反米勢力の強いボリビアならではの光景なのだろうか。
そんなこんなでボリビアでは、サンタクルスに移動した。ボリビアのサンタクルスは光の加減で世界で最も美人が多く、花も世界で最も美しく咲くと言う。血の気が多いのかレストランでもすぐケンカになった。私も何度か合気道の技を使って仲裁に入った。美人が多い所は男も常に興奮状態で、血気盛んなのだろうか。
サンタクルスで宿を取ると従業員に同じ東洋人チノ(南米のスペイン語圏の人は東洋人を見るとすぐチノ中国人と呼ぶ)がいるからと言って紹介された。しかし実際は韓国人コリアンだった。彼はプロのクラシックギター奏者だった。ずっと胃が痛く体調が悪いとのこと。そこで「痛み止めあるけど飲む?」と言うと「ありがとう」と言って彼はその場でその薬を飲んだ。そして「ゆっくり休む」と言ってその日は別れた。次の日また彼を訪ねて「体調どう?」と聞くと「あの後ジンマシンがひどくて痒くてたまらなかった。お前あの薬なんなんだ?」と聞かれた。私は「そう言えば歯の痛み止めだった」と心の中で呟きながら「えーっとー」と詳細を思い出せないふりをして「何かの痛み止め」と答えを濁した。そして「もう二度と人に自分の薬を渡すのはよそう」と心に誓った。
彼は「とにかく何かスープでも飲もうと思うけど一緒に行くか?」と親切に食事に誘ってくれた。私は「本当に申し訳ないことをした」と心の中で謝りながら彼について行った。