「自分らしさ」の自分が、誰なのか分からない
某牛丼チェーン店で新メニューに唐揚げが登場したとき、牛丼屋の唐揚げなんて・・・と思いつつ食べてみたら、そのおいしさに狂喜乱舞!!!
おかしい。こんなにウマいはずがない。だって牛丼屋じゃん。僕の味覚がおかしいだけだ、と思って専門店の「からやま」や「からあげ本舗」で食べてみたんです。するとやはりこの牛丼屋の唐揚げ (゚д゚)ウマー なのでした。
この激ウマ唐揚げ(…あの、味覚は人それぞれなので、自分が狂喜しただけの面もあるかとは思いますが)、揚げ上がるまで待たされたり、大きさ少々不揃いで、盛られる皿が注文の都度違ってたりしていたんですが、そのうち異変が起きました。
『なんかウマくない。作り置きするようになったな。すぐ出される。』
『あれ?なんか形が変わったなー。唐揚げらしくないぞ。」
この唐揚げメニュー、おそらく店内オペレーション上に無理があったんだなと思いました。その結果、作り置きされるようになり、形まで変えられたのかと。
唐揚げの彼は、ぶっ飛んだままで生きていけなかったんですね。それが悪いとか思わないんですかけど、この様を見て、これサラリーマンの頃の僕だなと思ったわけです。
当世の人のあり方の一般的基準というか、文化というか、良かれとされる一線があるので、僕も陰キャ丸出しではいられず、少しは陽キャ風に振る舞って職場で無難に過ごしていました。
ほぼ完全に無思考停止していました。このまま定年まで消化試合と思ってました。自分をなくしていました。反面、何も考えないで済む良さもありました。
リーマン辞めて、おきらく極楽とか書いてましたが、それだけでもないのです。自分が隠してきたものが現れてきています。やりたいこととか、好きなこととか、望むあり方とか(平穏が僕の真の望みのようなんですが)。
お金を使ってマインドブロックを解除する、というのもやってみてるんですけど、なんか今までと、人に対する感じ方が変わってきたりもしてます。
本当の自分は誰なんだろう?
そんな、おかしな感想を持ちます。
サラリーマンでいることにも大きなメリットがありました。自分らしくいられないデメリットもありますけどね。今の僕は、自分らしくいるメリットを取ったということになります。しかしその「自分」がまだ分かっていないというヘンな状況。
というわけで玉ねぎの中にいる自分を、剥いてむいて取り出さないと。起業とか言ってますが、実のところは真の自分がよく分かってない、という有り様です。