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自由に生きる覚悟:内向型の旅路
ブログというものを始めて一年経とうとしています。
2024年の元旦から投稿を始めました。この投稿を含めると41件の記事をアップしました。
なんで自分はこういうことを書いているのか。
私のしていることは何か。
ブログを書いてきて、割とまとまって来ております。
書くことで自分を私が成長させたようです。
いまの私は、私がこれからしようとしていることは、最初から予定されていたように思っています。そして今までのありようもまた、予定通りであったのだと。
人に馴染めず、とても長い間悩んできました。いつもいつも苦しかったです。なんであんなに辛かったのか。いま思うと不思議なくらい自分に自信がありませんでした。自分でもワケがわからない。
やっとそれなりに自分自身をうまく使えるようになり、2018年9月に一区切りがついたように感じました。そこからは平坦な時を過ごしていたように思います。
私はセミのようです。そう思うと納得できます。
50数年のあいだ土の中にいて、2019年の9月に木を登り始めました。
ふと、これからは自由に生きていいと思いました。駅で電車待ちしてたときです。
2023年にサラリーマンを辞めました。2025年からは個人事業主をやります。
まあ、セミ君は幼虫時代の方が楽しい期間なのかもしれませんけど。
本当のところはわからないですね。
というか多分、虫なので、なんの感想もないんでしょうね。
人の感じ方だと幼虫から成虫になるのは、めでたいことですよね。
私は晴れ晴れとした気分です。今は自分に苦しんでない。
辛かったから得たものがあります。ディマティーニ・メソッドというのがありまして、過去の自分を調べ直しました。
ああだったから、いまこうなんだと分かるんです。そういうことだったのかと。
良くないと思っていたことは、自分がそうジャッジしただけ。それは出来事に過ぎずなんの意味も持たない。そして、そこには同じ量の良かったことがあった。
なので自分の人生を呪わなくなってます。
そういう自分だからできること、というのも分かってくる。
こんなこと、自分の妄想ですし、勝手な理由付けですけどね。
岡田斗司夫さんは、人生の後半に伏線が回収されて、そういうことだったのかと分かるときが来る、といっておられます。
あながち妄想でもないのかもしれません。
私がしようとしていることは、かつて私を助けてくれていた、ある著者と本質的に同じことだと感じています。その方の本にだいぶ癒やされました。
雪に埋まり死にかけた中で、"三億分の一の確率で生まれてきただけで十分なんだ"と腹落ちして生きることにした。その後、内向的な方々に無料相談をされていた方いらっしゃいました。
これは個人的な感じ方に過ぎませんが、その方はあるときから急に陽キャになられたように感じまして、本を読まなくなりました。文章が醸す雰囲気が違ってきたような…
そのことから、もしかすると内向的な性格は、外交的な性格に変わりうるのかとも考えてました。
でもこのとき、とても残念に感じました。悩み多き内向型から足抜けした。豹変できた。だとするとそれは内向的な人が憧れる良いことなのかもしれない。
でもです。なんだかんだで内向的な人は、そういう自分が好きなんじゃないかと思ってます。
なので、悩み多き内向型の人が、そんな自分のまま、自分がなりたい自分に生きることをサポートしたい。
とくにおしゃべり・雑談・コミュニケーションを支援したいと思っています。
かの著者の「内気な人の話し方入門」という本を読んでから、「内向型」という自分を理解できたんです。それが始まりであり、これからの自分のあり様のベースになると思っています。
これも伏線の一つ。これから回収に向かうということになります。
2025年もどうぞよろしくお願いいたします(* ᴗ͈ˬᴗ͈)
「60代になってようやく人生の意味が分かってきました」若い内が人生のクライマックスだなんて思わないでください。20代30代はまだまだ伏線の段階です【岡田斗司夫/切り抜き/サイコパスおじさん
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