【雑記】浪漫とは何か
本なぞ読んでゐると、時折「浪漫」なる概念に出会ふ事がある。最近も本を読んだり、文を草するときに「浪漫」に度々出会つた事から、此機会に少しく考へてみようといふことになつたので、此処に備忘録的に記しておく。
僕は言葉をよく知らぬものだから、改めて手許の字引を繰ると「感情的・理想的に物事をとらへること。夢や冒険などへの強いあこがれをもつこと…云々」(デジタル大辞泉)と書かれてある。すなはち、此は哲学者の希求するが如き論理だの理性だのといつたものは一旦脇に置いて、感情や理想に身を委ねるの謂であらう。
次に「浪漫派」乃至「浪漫主義」に就ても字引を繰つてみる。「古典主義・合理主義に反抗し、感情・個性・自由などを尊重、自然との一体感、神秘的な体験や無限なものへのあこがれを表現した…云々」(同じくデジタル大辞泉)と書かれてある。
「合理主義に反抗し」は良いとしても、「古典主義」に反抗するのは僕としては歓迎しかねるから困る。基本的に、僕の(少なくとも文学上の)「浪漫」とは、漠然たる「大正浪漫」である。漠然としてゐるわけだから、キチンとした規定は抑々できぬわけであるが、大雑把に明治時代の後期から大正時代、昭和初期くらいまでの書物に僕はほかとは異なる「浪漫」を感ずるものである。困つたことに其等は、学校教育の場では厳然たる「古典」として扱はれる。「浪漫主義」が「古典主義に反抗」するのでなければならぬとすれば、僕のは実は「浪漫主義」でないことになつてしまふ。
僕の「浪漫主義」はむしろ、最近の時代の流行に如何も馴染むことのできぬままに云はば「現代主義」に反抗する、さしづめ転倒せる「浪漫主義」とでも云ふべきものであらう。現代といふ時代は、僕にとつてはムツカシイ時代である。僅かに百字に少しく余る程度の投稿も最後まで読み切る忍耐の無い読者(と云つて良いかもアヤシイものだ)がごまんとゐて、忍耐が無いから何でもすぐに漫画だの動画だのに理解を頼ることになる。其の動画すら全部は観ないで早送りする始末。外国語は流行の人工知能が何でも翻訳して呉れる。学校で偶に英語なぞ教はつても、軽薄極まるペラペラ式メトーデと来てゐる。僕の愛読する作品に登場する旧制高校や帝大の学生たちとは正に隔世の感がある、と云はねばなるまい。
「古典主義に反抗」するのだけは如何も僕にはムツカシイやうだが、此部分が特に「浪漫主義」の本質であるとも僕には思はれない。数学の定義でもあるまいに、一冊の字引にある規定が部分的に自分の思ふ「浪漫」に当てはまらぬからと云つて、自分が浪漫主義者でないとは到底思はれぬ。僕は一世紀ほど前の世界に関して「感情的・理性的に物事をとらへ」、「強いあこがれをもつ」といふ点に於いて、矢張り浪漫主義者であると思ふ。
僕が百年も前の本を嬉々として古書店から買い入れて、愛読し、外国語に翻訳するのは、或いは、古めかしき万年筆を使つて一々原稿用紙に文章を草し、これまた時代がかつた黒縁の丸眼鏡をいつもかけてゐるのは、確かに明治期や大正期の日本の先達と其文化とを愛好する余り、なにか理屈を超えた感激を覚えるからにほかならぬ。
更に手許の百科事典で以て、日本史上の文学運動としての「浪漫主義」に就て試しに引いて見たところ、多少の勇気が出た。日本の「浪漫主義」と云へば、『文学界』と『明星』とが思ひ浮かぶところであるが、是等に就て百科事典を繰った結果は以下の通りであつた。
先づ『文学界』に関しては「…啓蒙主義的立場から脱し、主我的で反俗的な浪漫主義の傾向を強めていつた。後期浪漫主義を代表する『明星』に対して前期浪漫主義の拠点となつた」とある。他方、『明星』に就ては、「さらに浪漫主義、藝術至上主義、唯美主義の傾向を明らかにして…云々」とある。(何れも日本大百科全書を参照した。)
万感の賛意を禁じ得ぬ。
…マア、多少、葡萄酒の香気に酔ひ過ぎた所為もあるのかも知らぬが、僕は古典的なるものに僕なりの美を見出し、「主我的で反俗的」なる自己を言葉を通じて彩る事に無上の歓びを感ずるものである。
尤も、僕の今日感ずる所の美が必ずしも百年も前の当時の美と同一であると限つたものでもあるまい。何となれば、僕が美を感ずるものどもも、旧き時代の作品に浮いて出た緑青みたやうなものかも知らぬ。作品の成立せる当時には無かつた、時代の風化といふ奴が偶然の力によつてうつくしく浮いて出た緑青みたやうなものかも知らぬ。(芥川『侏儒の言葉』所収の「藝術」を見よ。)
兎に角、僕は自らのうつくしいと思ふものを当世の流行に拘泥することなく追求する事を欲する者であるし、願はくは同好の士と其れを分かち持つことをば希求する者である。上に述べたやうに、僕は字引に解説せられているやうな意味での、純正の「浪漫主義者」ではないのかも知らぬ。然るに、ぐるりから「懐古主義」なぞと嗤はれても、僕の信ずる美をいつまでも追求してゐたいと思ふ。
僕は、僕の俗悪と認める一切を全然無視し、洋の東西が溶け合つた彼の固有の美だけを求めて、残りの(恐らくはさう長い事もない)生涯を送つていかれたら、と希望する。
夜な夜な文字の海に漕ぎ出すための船賃に活用させていただきます。そしてきっと船旅で得たものを、またここにご披露いたしましょう。