ガラパゴス化再考 〜文学から写真へ、そして再び
私は、学生時代、文学部に入学しながら文学に距離を置き、写真をやっていた。
何故かというと、当時の私の周りは、人の内面を強調し過ぎると思ったからだ。しかし、それは当たり前のことではある。だって、文学部だから。文学部とは人の内面を研究する場所だ。だが、私が違和感を覚えたのは、何か対象がある時、それは人でも物でも良いのだが、それに向かい続けずに、それをそれとして受け取らずに、自分の内面の思いを、ペンキで塗り込めてしまうように、それに被せてしまう態度にだった。それは、対象を自分の内面の表現のためのネタにしていることでしかない。
そこで、私は写真を始めた。対象それ自体に向かうためにだ。写真は、対象をそのままカメラに通してフィルムに写すから、私の内面がそれに介入しないと思った。
だが、言うまでもなく、事はそれほど単純ではない。他のものではなく、或るものを撮るという選択に、既に私の内面が介入している。それ以前に、何もしなくても良いのに、わざわざ写真を撮ろうとする意志が内面的でないはずがない。それに、カメラは機械だから、つまり、私の内面ではないからといって、対象それ自体がそのままカメラを通るわけではない。カメラはカメラなりの特有の機構を持っているのだから、カメラにも内面があると言えなくはないのだ。そもそも、私だろうがカメラだろうが、見ているのは現象なのであって、それ自体なのではない。
それはそうなのだが、私は、対象それ自体を意識すること、はできると思っていた。見えているのは対象の現象でしかないが、いまここに現れているその現象の元の対象自体がいまここにある、ということを意識し続けること。
私は東京の街に出て、スナップを撮りまくった。中古のライカM4も手に入れた。スナップを撮るのに最適なのだ。そして、どこに行くにもM4を持ち歩いた。何かを肉眼で見て、その後に、それを写真に記録しておこうと撮るのではなく、初めから、あらゆるものにカメラを向けた。その頃、私にとっては、見るということは、カメラで写真を撮ることを意味していたと言っても過言ではない。肉眼で見ることを敢えて止めていた。
そうこうしている内に、私は、建築を学んでいるFと出会った。丁度、私が建築に興味を持ち始めた頃だった。
私の被写体は、段々と人ではないものに移っていた。それは、見る側の内面性を避けるだけではなく、見られる側のそれも避けたかったからだ。人の内面を引き出すのが良い写真家だと言われることがあるが、私はそういうことをこそ避けたかった。そして、建築物に関心が向くようになっていたのだった。
Fが見せてくれた建築関係の雑誌や写真集にも感応した。そこに載った、厳格で冷徹な写真は、建築物のそれ自体の存在感を見事に記していると思い、また、そのような写真こそが、写真の真骨頂だと思った。
Fと私は、多くの時間、行動を共にした。二人で街を歩いている時、Fは建物の設計、建物間の関係、街全体の構成について饒舌に語った。私は、そんな外に向かう思考に触れるのがとても楽しかった。その内、私自身も建築的な思考をするようになって行った。だが、その思考で文学部の友人達と話すと、少なからぬ拒否反応に遭い、やはり彼らは内面的な思考に拘っていて、私は半ば異端だった。
他方で、私の基本が写真であることには変わりがなかった。そして、それは、Fとの間に微妙なズレを生んだ。
Fの構成的思考に私は感銘を受けていたが、それは事物を対象化する思考だった。建築家だから当然だが、彼の思考は設計的なのだ。例えば、街の中の或る建物の前を一人の少年が自転車で走っているとする。Fはそういう時、その出来事を街の空間的な構成要素と考える。諸々の建物がそうであるように。そして、そのような構成的思考それ自体を対象化し客観化して、設計図などのコンテンツにして、他所にも流通できるようにする。
しかし、私が同じ場面にカメラを向けたら、今ここを何故か自転車の少年が駆け抜け、今ここには何故か私が居合わせ、今ここには何故かこの建物があり、今ここは何故かこの街の中だ、というように考える。構成という概念も思い浮かぶが、この瞬間での、いや、この今ここでの、そういう関係の成立のことを、私は、構成と呼んでいた。だから、私の構成は、今ここに一回しか成立しない。その状況を対象化して持ち運べもしない。
ということだが、こういうことを、私は最初から考えていたわけではなく、Fと出会って彼の思考法に共感し、その後、何か違和感覚え始めた時に、これは何だろうと探ってみたら出て来たことだ。
私が、或る仕方で、或るものを選び、或る距離を取り、或る角度で、或る倍率で、街にカメラを向ける時、そのような条件で規定された世界が開く。そして、そのように構える私自身も、そのようにするように規定されて、世界が開く。
開く、と、私は言った。
街のその場所は、私がいようといまいと既にあるものだ。しかし、私はそこに注意を向けることなく通り過ぎることもできる。その際には、私はその場所に気が付かない。いや、既にあるのでさえないのかもしれない。しかし、私がカメラを向けると、その場所はそれとして立ち現れてくる。その様が、閉じていた場所が開くようにも見え、或いは、私の方が、眠って閉じていた目が覚めて開いたようにも感じられる。だから、私は、開く、と言う。
そうすると、では、何がそのように世界を開かせているのかというと、何とも言い難く、世界が世界自身を開くとでも言わざるを得ない。私がカメラを向ける時にそうなるのだから、私が開くと言いたくなるが、そうとは言い切れない。私自身もその世界の中にいるのだから。中にいながら、私は世界を感知しており、そうなるように世界が私を規定しているような気がする。
そして、その感知は他人とは共有ができない。当たり前だが、他人は私ではないからだ。現に、感知の状態について他人に話したとしても、彼は、文字通り他人事として、聞き流すだけだ。もしも共有のようなものがあり得るとしたら、彼自身の世界の開けを彼が感知し、感知したという点だけで私と通じるという仕方によってのみだろう。
このように、私は、今ここを足場にした世界の開かれに焦点を当てている。
写真では、決定的瞬間ということをよく言うが、それは、何も特異な内容の出来事を捕えることを言うのではなく、いかなる状況にでも、カメラを向けると今ここの世界が開かれることを言っていると解する方が良い。そして、それこそが写真の特徴であり、写真を撮る人はそのことに気付くはずだと思う。
写真を手がかりにして世界が開かれる。しかし、私が写真を撮るのがトリガーとなるからといって、私が世界を開くとは言えないと先に言った。これを強引に、私が世界を開くと言ってしまうと、唯識論のようになり、独我論のようにもなるだろう。遂には、私が世界を創造するのだ、と言えそうにもなる。だが、私は世界を創造しはしないのだ。私は、世界の中で、世界と共に開かれるのだ。
だから、私の写真を巡る言葉遣いには、創造という語が出てこない。
ここで、Fとの齟齬が生まれる。
彼は、「写真は、既に有るものを撮るだけで、建築の様に新しいものを創造しない。」と言う。故に、写真は大したものではなく、建築は優れていると言う。
しかし、これは、前にも聞いたことのある物言いなのだ。そう、文学部の友人達のそれとそっくりなのだ。形態は違っていても、内面を表現して創造するという形式は同じである。
こう言うと、Fは、「いや、文学は内面だけだが、建築は社会的な様々な現実を要素に含んでいて、はるかに複雑だ」と、ここでも建築の優位性を説く。しかし、その社会的な諸々も内面化されていると、私には見える。
世界の開かれに驚く私としては、建築的創造は、開かれた後の世界における構成的な操作に見える。そして、それが誰によって為されるのかについての私の関心は二次的だ。建築家であろうと、大工であろうと、政治家であろうと、資本家であろうと、AIであろうと、誰でも良い。
私が開かれた後の世界について関心があるとすれば、それは、その構成が何故か保守的な点にだ。何を言っているのか。
開かれた世界の様は、現にあるようにではなく、開かれる前の夢の中でのように、上下逆様になっているのでも良さそうだし、建物が一つも無くても良さそうだし、人が一人もいなくても良さそうなのに、何故か、いつものように、人が住み、建物がしっかりと建ち、上のものは上に、下のものは下になっている。私は、昨日までの記憶を保って、私のままだ。
だから、私は、いつも二重に驚いている。今ここで私に世界が開かれることと、
開かれた後の世界が過去と同じ様に保たれていることに。
結局、私の思考は、対象それ自体を探ることから、世界の開かれに驚くことに変わった。これは小さな変化だろうか?そうではないかもしれない。後者では、対象それ自体、が消えて無くなっているようにも思われる。