街 (11) 〜街の花を知る男
町内会館で働いている主婦達に、時々ぼんやりとした男達がくっ付いて来る。彼女達の夫だ。彼女達も年齢の幅があるので、若いと子供を抱っこした夫だが、子供が手を離れた辺りだと夫もそれなりだ。高齢の男達は一人でやって来る。彼らは、日頃から会館に出入りしており、防犯パトロールや会館の庭のメンテナンスを良くし、それを終えては打ち上げに一杯やるというのが習慣になっていて、会館の冷蔵庫には彼ら用のビールがいつも冷えている。そういうことなので、食堂が開店した際にも、彼らは最初からそこにいたのだった。働き盛りは来ない。
それなりの歳の夫の中で、文化祭の間の週末三日間、準備から片付けまで通して手伝いに来た、山崎さんというのがいた。といっても、その時初めて会ったのではなかった。何やら割と良く見かけてはいた。高齢者と一緒に夕方パトロールしていることもある。文化祭以外の町内会のイベントには必ずと言って良いほど顔を出す。だが、普段も街中で見ることが多いような気がする。どちらかというと小柄でメガネの奥はクリッとした眼の、人の良さそうな印象だ。これまでも、会えば軽く会釈をする程度のことはしていた。いつも、アメカジ風のさっぱりとした、だが、そこはかとなくお洒落さを醸し出す格好をしている。今回はコロナのせいで昨年、一昨年と中止になったのがやっと復活した祭りということもあってか、皆気持ちが入って活気付いていて、山崎さんもそうで、向こうから話しかけて来た。
「今年の人出はきっと多いと思いますよ。ホームや高校からも来るでしょう。」
と、軽い挨拶だけの時には聞こえなかった、はっきりとしたテノールの声で山崎さんが言った。手に秋桜の束を持っている。
「ああ、これ、5班の〜さん家の角に咲いていたのを少し抜いて来たんです。」
5班は山崎さんの3班とは、会館を挟んで方角が逆である。山崎さんは、それを会館の庭から裏に入った倉庫の脇に植え始めた。会館の土地があたかも自宅の庭のような、躊躇のない手慣れた手付きだった。
「お仕事はリモートワークなんですか?」
この頃の定型の社交の言葉だが、それとは別に、よく見かけるのはどうしてだろうとの思いもあって、私は尋ねた。
「ええ、そうですね。尤も、私は、前からそうですけどね。」
山崎さんは、手に付いた土を落として立ち上がった。
「あなたも、良く街中でお見かけしますね。」
私が彼を見かけるということは、彼も私を見かけているということであり、山崎さんがそう言うのは、おかしくはないのだが、何か不意を突かれて、秘密を暴かれでもしたように、私はたじろいでしまった。
会館には、自分の作った作品を持ち込む人々が集まっていた。ギャラリーとして動き始めてから、常時住民の作品が展示されてはいたが、文化祭では、子供達の作品が多くなる。習字や水彩画、それに石膏の作品が出て来る。おそらく、学校で作るのとあまり違いはない。だが、彼らは会館に集まって来て、誰それの作品が出てるよ、と目を輝かせ、私も出す、と、家に走って帰っては習字をして、墨の乾かない半紙を手に戻って来る。ほとんどの大人の住民達にとっては、文化祭は、いや他の運動会なども、惰性で行われる毎年の行事に過ぎず全く乗り気ではないのだが、子供達、それに一部の老人達には、実際に珍しい出来事なのだった。
「あら、綺麗な秋桜。」
井上さんだ。
「この前は彼岸花だったわよね。」
「ええ、あれは共同菜園の畔から。来月には、7班の〜さん家の椿が咲きます。」
山崎さんも街のことを良く知っている。
玄関の方から、女性が山崎さんを呼んだ
「奥さんよ。」と、井上さんが言い、彼はそちらに行った。
その女性は、前からマーケットのスタッフとして会館に来ていたので、私も知っていて、言葉も交わしていた。休憩時間の皆との会話も一緒にしている。マーケットを開いた最初の頃からスタッフとして参加していたが、あまり積極的な様子ではなかった。やる気に溢れている人がほとんどの中で、消極的で、いつも不安げな表情をしていた。それは活動に慣れて来たであろう今でも変わっていない。だが、皆との会話の際には、打って変わって、良く喋る。その中で、うちの旦那が家に居て鬱陶しい、もっと会社に行って欲しい、と言っていた。それはそうした会話でのありきたりな冗談だが、話題の主が山崎さんだと知ると、私には途端に現実性を帯びた。
「そうか、あなたは、知らなかったのね。」と、私の様子を読んだのだろう、井上さんが言った。
「彼は、大学院生の時に何か凄い業績を上げて、研究所に就職したんだけれども、その業績のおかげで自由にして良いそうで、だから出勤はしていないの。」
会館の前庭には、米を販売するブースの準備が始まっていた。この街の住民が他所に田んぼを借りて稲作をしていて、毎年米を売っていた。無農薬の新米ということで人気があった。
「この辺りを日がな散歩しているのよ。」
夕方にかかって来たので、あの高校の生徒達もいつものようにやって来て、文化祭の準備を手伝った。活気が増した。こうしたイベントには彼らが似合っていると思った。
「この街のお花のことを良く知っているわ。そういえば、Tさん家の庭に向日葵が咲いていると言っていた・・・」