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街 (12) 〜続く工事と車達

 崩れた橋の根本の修復工事は進んではいた。
 だが、工事を進めてみると、崩れた部分だけではなく、橋全体に渡って、かなり老朽化していることがわかった。この街は、この地域では割と新しい住宅街だといっても、しかし、開かれたのは、もう30年以上も前のことだ。それに、この橋は、この街ができる前から、というか、この街を住宅街として開くために、街に先立って作られたものだ。実際、車で行き来している分にはなかなかわからないが、自転車で下ってみるとその荒れ具合がよくわかる。舗装がデコボコで、傾斜の強い下りをスピードが出たまま走っていると、いつ転んでもおかしくないくらいの恐怖を感じる。それでも、道の表は定期的に修復されるが、橋の裏側、或いはコンクリートの中、それに鉄筋は、長年何もされてこなかったために、傷んでいるのも当然といえば当然だ。
 そういうことなので、ではどうしよう、という話し合いが町内会で行われることになり、また総会が開かれた。
 言うまでもなく、この街は橋を通して下の町と行き来するわけで、この橋が使えなければ大変不便なことになる。なので、当然のことながら圧倒的反対多数で、この橋全体の修復工事は却下される、と私は思っていた。侃侃諤諤のやり取りがあった。珍しいことに、この総会には、住民たちが自ら主体的に大勢参加してきた。井上さんが仕掛けたわけではない。さすがに自分の生活に直接に関わることなので、皆出てきたのだった。いつも会場として借りている高校の、一教室では人を納められなかったので、体育館を借りることにもなった位だった。
 だが、意外なことに、結果は、修復工事をやろうということになった。
 何故そうなったかというと、あの壊れた所を修復するのにもう何カ月も経っていて、一つには、町民たちもその状況に慣れていたということがある。別の一つには、町内会館のマーケットがうまく機能しており、ホームとの連携も良く、つまり物流の問題がほぼ無くなっていたということだ。つまり、そういうのが既に街の一つのシステムとして運用されていたのだ。だから、このシステムを続けていれば、毎日の生活はなんとかなる。ということを、町民の多くが納得していたのだ。
 そしてもう一つ。このシステムを、マーケットや食堂やギャラリーで働きそれを利用する、町民達やホームの人達、それに、高校生達が、とても楽しんでいるということだ。橋のあの場所の修復が終わって元通りに開通したならば、このシステムも終わるということになる。だが、このシステムが楽しくてずっとやっていきたいと思っている者が、もう少なからぬ数になっていたのだ。橋はできるだけ早く通常通りにならなければならないので、そういう思いはなかなかあからさまにはできないが、道が開通したらマーケットはどうなりますか?、食堂はどうなりますか?、食堂はみんなが助かってるんですけど、といった意見が次々にたくさん出た。

 この町の住民たちは、皆車を持っている。一戸に一台は当たり前だが、複数台持ってる家も少なくない。生活するのに車が必要だからだが、しかし、本当に必要かというと、必ずしもそういうわけでもない。この街は田舎の農村とは違う。田舎の農村も、同じ様に、一戸に一台、いや、それどころか、家族一人一人に一台と車を持っているが、それは正に生活に必要だからそうなわけだ。通勤にも車が必要だし、農機具を積んで田んぼや畑に行くにも必要だ。だが、この街では、そうした必要は無い。この街には、トラックに機材を積んで仕事に出かけるような者はいない。この街の現役の者は、経営幹部のような者を含めたとしても、ホワイトカラーの勤め人がほとんどなのだ。つまり、彼らの主な移動手段は、結局の所、電車ということだ。日中街に居る主婦達は買い物に出る。だが、今やそれは、町内会のマーケットで賄えている。だから彼女達にしても、特に車が必要なわけではない。
 それに、その辺りについては、既に上手く対応している住民達もいた。
 修復工事がある程度進んで、道の狭い所が何とか通られるようになった時に、彼らは車を下の町の駐車場に移していたのだ。必要な時には、そこから車を出して使うようにしている。総会ではその事も話題になった。下の町に、この町の住民が使う駐車場をまとめて借りられないかという意見が出た。市から補助金を出してもらうことができないかとか、件の内部留保されている町内会費をこういう時にこそ使うべきだという意見も出た。そして実際に、補助金も内部留保金も出て、そうすることになった。

 町には、生活用ではない車、高級外車などが残ることになった。
 そのまま放っておくと車も衰えていくので、そういう車の所有者たちは、エンジンをかけて走らせたいのだが、下には行けず、いつしかその街の中を走るようになった。この狭い街の狭い路地を、高性能のスポーツカーが走るのを良く目にするようになった。連なって走っている時もあって、その様子は、レースとまではいかないが、何か走行会のような雰囲気があり、そういうのが日常的に見られるようになった。特に週末にはそうだった。そのうちに、車のオーナー達も互いに顔見知りになり、お互いのガレージを訪ねては車談義をしたりするようになり、一緒に走りもした。或いは、互いの車を運転させてみたりなどもした。
 そして、こういうことを面白がるのは、やはり子供達で、彼らは、あそこの誰さんちの所にはポルシェが、とか、あそこにはフェラーリがあるんだぜ、と、情報をいち早くキャッチする。そして、まめな子が、そういう情報を自分のパソコンにきちんと入力し、写真も撮って、この街の車のカタログを作り上げた。車のオーナー達もそういうことを面白がり、子供たちが車を見に訪ねると、きちんと車の説明をして応対し、ちょっとお菓子を出してあげたりもするようになった。
 そして、そういう様子を記録したのが、町内会のホームページに載るようになった。オーナーへのインタビュー動画も付いているのだが、インタビュアーは子供だからオーナーも心を開くのか、そういう高級で高価な車を買った経緯なども素直に話していた。裕福な会社経営者が余裕を持ってそういう車を買ったということもあれば、まあ、そこまで裕福ではないが、小さい頃からとても車好きで、どうしても自分の好きな車を所有したかったので頑張ってローンを組んだといったことを素直に語っていた。そうしたことは、町の住民にとって一つ安心を与える出来事でもあった。狭い街で家が密集しているからといって、隣人のことをお互いに理解しているわけではないし、積極的に話しかけ合うわけでもない。あそこにはすごくいい車が何台も止まってると思いつつも、遠目に見ているだけだったのだ。 
 でも今では、ホームページを見て話しかけてくるようになった住民を、ちょっと乗ってみますか?、と、車に乗せて街の中を走ってくれる気のいいオーナーもいる。

 と、こういう出来事を拡げるのが、やはり井上さんで、街のホームページから諸々のリンクを張り、車の情報を扱うようなサイトとつながったり、そして当然ながら、SNSに流したりなどしつつ、街を外に開いて行ったのだった。そうすると、なかなか評判になり、この街のそういう様子を見に、そして、車を見に、わざわざ外から人がやって来るようになった。


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