街 (7) 〜町内会館のギャラリー
町内会館の屋内は、さながらギャラリーのようになった。
井上さんは益々大忙しだった。マーケットの管理者に加えて、ギャラリーのプロデューサーのような立場にもなった。それに、キュレーションもやってのけた。
持ち込まれる作品をそのまま無造作に置くのは、あちこちの文化祭で見かけるが、井上さんは作品をグループ化し、全ての作品を一度に展示するのではなく、期間を設定してテーマ毎に作品を選んだ。また、町内会のホームページに専用のページを開設して、そこに作品の図録を作って公開した。そういう作業をするのは町内の若い母達だった。子供を出産するまではプロのWebデザイナだったという人もいるが、未経験の人もやりたいと手を挙げた。
「これまで、こういう仕事の経験があるんですか?」
林さんのコーヒーを飲みながら、私は井上さんに訊ねた。
「いいえ、全く無いわ。」
井上さんは、いつものようにさらりと答えた。何か特別なことをやっているという気負いも優越感も醸し出してはいなかった。
「学生の時に、何か美術関係のことを学んだとかは?」
「いいえ、それも無いわ。」
「それにしては、手慣れたものですね。」
「そう?集めて、分けて、並べてるだけよ。」
「でも、集めるのは、向こうから勝手に集まって来るとして、分けるのは難しいでしょう。」
「多分、その道のプロは長い間勉強してそういう技術を身に付けるのでしょうけれども、私がやっているのはそういうことではないもの。私は、それぞれの作品に勝手に意味を付けるの。そうすると、近い意味の作品同士でグループができるでしょ。それをやっているだけよ。」
「でも、それも簡単ではなさそうですね。」
「いいえ、簡単よ。意味付けするのに思い切りが要るくらいよ。」
今日は、丁度新しいテーマへの入れ替えの日だった。
「次のテーマは何ですか?」
「『風』よ。」
入れ替えの作業のために、数人が会場の装飾をしていた。それをしているのも町内の女性だった。他のギャラリーや美術館が、作家や作品に拘らずに元の壁の空間なのとは違って、ここでは、入れ替えの度に会場自体を作る。今は、天井から床まで、白く薄く透ける布を吊り下げている所だった。
「この布は、ホームの入居者から借りたのよ。」
吊るされた布に触れながら井上さんが言った。とても軽そうな布で、井上さんの掌で、砂が落ちるように滑った。
「ホームの部屋の中にこんなに大きな布を持っている人がいるの?」
「ええ、その女性の御実家は、布を織る工場だったそうで、それは、もう随分前に閉まったらしいけれども、その女性が結婚する時に、お家から持たされたものなんだって。」
「布を持たせるなんて、変わっているけれども、美しいな。」
「とても高級なものだと思うわよ。」
「嫁入り道具なんですね。困った時のためにもなる。」
「そうね。でも、思い出なのよね、一番大事なのは。だから、ホームにまで持って来ているんだと思うわ。」
「良く借りられましたね。」
「ホームに行った時には、まだテーマは決まっていなかったのよ。ギャラリーで使うものを何か貸して欲しいとだけ伝えたの。そしたらその女性が、これを風に使って、と言って差し出してくれたの。」
微かな風にも確かに靡くのだが、それ自体の内側から振動しているかのように、その布は複雑に、何か海の中の巨大な細胞のように動いていた。
作業をしている母達が連れて来た、幼稚園の年少くらいの三人の小さな子達が、その布に纏わり付いて遊び始めた。顔を布の裏側から押しつけてピンと引っ張っると、白塗りのような可笑しな顔が三つ並んで現れた。母達は、こらっと叱ったが、井上さんと私は声を出して笑ってしまった。すると、子供達は調子に乗って、口を大きく開けたり歪めたり、舌を出したり鼻を伸ばしたりした。井上さんは笑い転げて、明日もそれをやりに来てちょうだい、と言って、本当にそうするように母達に頼んだ。
布の設置が一通り終わると、壁に掛ける前の作品が床に並べられた。草が風に揺れる風景画などの具象的なものの他に、無数の皺の刻まれた老婆の肖像画や、斜め上を見上げる狼の白い石膏の頭像などもあった。この選択に突っ込みを入れるのがいるだろうなと思いつつ、作品を見下ろしている井上さんの、一つ一つを見て触っては、舞い落ちる羽のように頷きながら微笑みかける横顔を見ると、風のテーマは完全に相応しいと、私は思った。