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街 (9) 〜町内会館と地元の高校

 町内会館の食堂の営業時間が伸びたので、街の高校の生徒達が部活帰りに食べに寄るようになった。食堂で夕飯を食べて、そのまま塾に行くらしい。食堂が一気に活気付いた。
 最初はサッカー部の子達だった。サッカーをやっている子特有の、少しヤンキーっぽくて世慣れた感じの物怖じの無さで、会館の庭で仕事をしていた小学生の母親であるスタッフに、ここ俺達も食べられるんですか、と声を掛けたのだった。それは、ちょっとした刺激的な出来事だった。
 声を掛けられた女性が会館の中に駆け込んで来たのだが、外の様子を見ていた中のスタッフの女性達から、ナンパされたの?、と冷やかされたりした。当人も、何やら顔を赤くしていて満更でもなさそうで、一種のナンパだと言えなくもなかったのかもしれない。
 それはそうなのだが、これが、町内に住んでいる高校生だったら、特段、出来事と言えることにはならなかっただろう。つまり、あの高校の生徒と接するのは、街の住民にとって珍しいことなのだ。

 この街は、全国的にも高学歴者が多い所で、家族のうちの両親は、医者や弁護士や大企業の社員などが多く、子供も、高校までは首都圏の学力トップレベルの進学校に通い、大学も、医学部や、国立にしても私立にしても、トップの所に通っているのが多い。町内会館で今働いている若い母親達も中学受験の話をして盛り上がる。
 だから、公立のあの高校は、学力レベルは決して低くはないのだが、そうした街の住民にとっては、自分達とは違う世界の代物なのだ。あからさまに見下すわけではない。見下す気は無いのかもしれない。いずれにせよ、あの高校と生徒とは距離を置き、話題にしない。それに、そこに通う生徒に街の子はほとんどおらず、街の外の他の自治体から通って来る子が多いのも、距離感を強くしていた。
 また、年配の住民の中には、生徒達の登下校や部活の練習の時に街中に生徒達が出て来て賑やかになるのを良く思わないのもいて、登下校時には歩道を一列で歩くようにとか、部活の掛け声は出さないようにと高校に要求してくれなどと町内会に訴えたりするのだった。これには流石に、若い役員が、そんな大したことではないと異議を唱えて訴え通りにはならなかったが。
 高校の方は、生徒達が街の草取りをやってくれたり、防災訓練を街と一緒にやったりして、それなりに地域との交流をしていたが、そうしたことは形式的で、それで高校と街が密な関係を持つようになっているわけではない。
 
 そういう所の子が、突然こちらに一歩踏み込んで来たのだ。町内会館の中は、その時少し興奮状態になった。
 学校帰りに飲食するのは校則違反じゃないの、とか、料金はどうしよう、とか、席が足りない、とか、色々と思い付いたことを皆が口に出した。だが、そこで前に出て来たのは、やはり井上さんだった。その子に、どうぞ、と一言言って食堂に迎え入れた。三人の男子が入って来た。
 井上さんは、街のことを知り抜いているのである。高校の校則のこともよく知っているのだ。料金にしても、今住民向けに設定しているのと違えなければならない理由は無い。席は、足りなければ庭の芝生に座ってもらえば良い。だが、井上さんだったら、仮にそういうことが問題になったとしても、先ずは彼らを入れて食事を振る舞うのだろうなと、私は思った。諸々は後で考えて何とかすれば良いとして。

 以来、毎日高校生が、夕方に食堂にやって来るようになった。だが、町内会館の規模では多勢の子の全てを入れられないので、予約を受ける仕組みを作り、町内会のホームページの一角にそれを導入した。
 予約だから早い者勝ちになるわけだが、そこは、高校生が自分達で順番を決めて希望者の皆に当たりが行き渡るようにした。
 そして、そのうち、部活をしておらず早めに学校を出る子達が、会館の活動を手伝いたいと言って来た。
 それは自然で単純なことだった。高校生達が食堂に通って来るうちに、スタッフ達や、食べに来ている住民達と話すようになり仲良くなったのだ。話す話題は何でも良い。他愛のないのでも、学校のことでも、勉強のことでも、家族のことでも何でも良かった。食べ終わった食器を洗い場に自分で持って行く子が現れ、スタッフが忙しそうであれば洗う子が現れた。
 しかし、幾つかの問題が露わになった。
 一つは、食堂の活動が活発になって、町内会館を本格的に食堂として使うには役所に届け出て許可を得なければならないこと。もう一つは、手伝ってくれる高校生達をアルバイトとみなすかどうか、みなすとしたら報酬をどうするかということだった。
 両方共、外側の手続きは容易だ。食堂は行政上の手続きをすれば良いだけだし、アルバイトの方は、あの高校は禁止ではないので生徒が学校に届け出れば良い。問題は、町内会にやる気があるかどうかだった。
 ここでも、反対の声を上げたのは長老達だった。
 質の高い住宅街としてこの街を維持したい彼らにとって、飲食業など言語道断だった。というより、そもそも、彼らは、この街で商売をされるのが嫌で、彼らがこの街に入った時に作った住民協定にも、一応そのことが記されている。だが、実際には、住宅の一部を利用して塾を開いたり、パン屋をしたり、全国の物産を集めて軒先で売ったりしている住民が結構いる。林さんだってカフェをやっている。更に、自営業者として自宅をオフィスにしているのを合わせると、少なからぬ住民がここで商売をしているのだ。そして、そういうことは住民の間では既に知られていた。とはいえ、この街の中心である町内会館がそうなってしまうのはいかがなものかと、長老以外からも意見が出はした。
 高校生へのアルバイト料の支払いについては、財源は潤沢にあるのだった。将来に備えての町内会館の補修費用という、長老達が要求する名目での長年に渡る積立金が相当貯まっていたのだ。これは、新しい住民からも常々批判されていた。それに、この話題を機に、今ボランティアとして働いている住民達にも、その積立金から報酬を支払うべきだとの意見が出始めた。
 井上さんが町内会総会を開くように役員会に提案し、実際に開くことになった。井上さんは、両案共に賛成だった。諸事情があろうとも、両方とも今やるべきことだと彼女は考えた。そして、自分に賛成してくれそうな街のキーパーソンに片端から電話をして、総会に参加するように頼んだ。彼らに話を通せば、彼らの周りの住民にも伝わって、その人達も参加することになる。
 総会に参加する住民は、いつもとても少ない。参加するのは主に長老達だ。その結果、彼らの望みが街の方針として採択されるのが常だった。井上さんはそれを見通したのだ。
 果たして、総会での結果は、二案共に可決だった。

 食堂は規模を拡張した。町内会館の他に、町内会が所有している点在する空き地にもプレハブを建てて開業した。
 アルバイトの方は、高校の校長先生が役員会を訪れて、よろしく頼む、と言い、町内会館は、いわば学校公認の、生徒達の職場になった。

 


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