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街 (3)  〜外への糸

 外との流通をどうするかの話し合いが町内会で持たれた。通勤や通学への障害は大きくはなかった。細い道であればバス通りの他にも数本通っているので、歩いての行き来はできる。困るのは物品の輸送で、この街と坂の下の商店街とは2キロ以上離れており、体の丈夫な若い住民はともかく、高齢者や持病持ちには歩いて買い物に出るのは無理だった。そういうわけで、当面は、町内会の役員をはじめとした住民が空いた時間や勤め帰りに買い物を代行して要支援者に届けることになった。私にも声がかかり、支援メンバーになった。とはいえ、自家のものに加えて他の買い物もするのはやはり相当難儀なことが直ぐに明らかになった。そこで、町内会の費用でワゴン車を借りて、数人の支援メンバーが下でまとめて買い物をして街の歩道の際まで運びそこから別のメンバーが町内会館まで商品を運ぶ方式に変えた。私は、三人の女性と共に買物班になった。本当は男性がもう一人欲しい所なのだが、外出控えの期間でいつもより街には男性が多くいるにしても彼らは自宅で勤め先の仕事をしているので、なかなかこちらには出て来なかった。買物班のメンバーは全員が初対面だった。だが、皆小学生から高校生の子供を持っている親達で、日頃活発にこの辺りを動き回っているので下の街での買物情報に良く通じており、互いに役割分担して無駄なく商店街を駆け抜けて物を集めた。そして彼女達はそのうち、肉屋や魚屋や八百屋と親しくなって、買い物の前日の夕方に翌日買う物を前もって商店に知らせて商品をまとめて取り置きしてもらい、当日はそれを受け取るだけで済むように話をまとめた。但し、予め住民から希望商品を募るという方式ではなく、買物班の判断で商品をいわば仕入れて住民はその中から選ぶ方式にした。なので、町内会館は小さなマーケットになり、毎日午後には住民達が集まって来るようになった。そのマーケットを取り仕切るのは井上さんだった。
 物品の輸送はそれで解決できた。しかし、街特有の問題が残っていた。普段からこの街には救急車がよくやって来る。老人ホームの入居者が体調を崩して下の病院に運ばれるからだ。のみならず、もともと老人の多いこの街では、一般の家庭からも救急車が呼ばれることが多いのだ。
 最初のうちは物品をやりとりするのと同じ場所で、担架やストレッチャーを使って何とかしのいでみたが、この街のためだけに救急隊に手間をかけさせ続けるわけにはいかなかった。代わりに街の男手で患者を運んだりもしてみたが、やはりこのやり方にも無理があった。
 そのうち住民の中から、多少体調が悪くても我慢してできるだけ救急車を呼ばないようにしようという声が出てきた。そしてそれをルールにしようと言う生真面目な者が案の定現れて、役員会が発布してビラを作って各戸に配布した。だがルールが効いたのはごくわずかの間だけだった。我慢したからといって患者の具合が良くなるはずもない。それどころか、無理に我慢したせいで病状がますます悪くなる件が増えた。
 しかし、こうした事は老人ホームの住人には当てはまらなかった。というのも、この街の中にあるとはいえ、ホームは町内会の会員ではないからだ。この街では、会員になるための資格があるのは個人だけで法人にはないので、ホームは会員としての権利を持っていないのだ。例えば街に点在するゴミ置き場にホームのゴミを出して自治体の収集車で拾ってもらうのは認められなかった。ホームはゴミを直接焼却場に持って行かなければならなかった。だがそれは、そうした不便もある一方で、町内会に関わりのない分、ホームが独自の判断で色々とできるということでもあって、救急患者の件にしても、体力満々の若い従業員を繰り出し、下の街への境にタクシーを呼んだりなどして、滞りなくこなしていた。
 しかし、ホームのリソースにも大きな負担がかかっているのは確かで、そのうちに限界がやってきた。けれども、そこは営利事業者であるからサービスを止めるわけにはいかず、事を遂行するための策を何か練らなければならなかった。
 そのホームは、高級そうな点ではこの街に似ていて、ホテルと言っても良いような体をしており、十階建てで部屋数は百以上もある。経営しているのは潤沢な資金を持っている事業者なのだが、それは、ここの市内の別の場所に、この辺りの広域の中核となる大きな病院を持ってもいるのだった。そしてそこには、救急搬送用のヘリコプターがあった。そう、ヘリコプターである。
 とはいえ、ホームには病院のように屋上にヘリポートがあるわけではない。しかし、ホームは既に当たりを付けていた。この街でヘリコプターが発着できる所が一つだけある。あの、山の麓の家庭菜園跡の空き地だ。十分な広さがあるし、電線も無く、空に向かって開けている。だが、事がすんなりと進むはずはなかった。
 元々ここは混じり気の無い住宅地として開発された。そして、最初にここに入った者達が住民協定を作って、この地には個人住宅しか建ててはいけないことにしたのだ。しかも、その住宅の体裁についても細かい規定がある。一つの住宅には玄関は一つでなければならないとか、一つの敷地内には住宅は一つでなくてはならないなど。それに、敷地面積は一定以上でなくてはならず、それは首都圏の標準よりもかなり広い。つまり、広い敷地なのに二世帯住宅は建てられず、集合住宅も駄目なのだ。ましてや、大きな老人ホームなど以ての外だ。だから、住民の中には、ホームに強く批判的な者が少なくなかった。特に長老達はそうだった。そんなホームがまたもや、自分達の安寧を乱すことを、しかも轟音のヘリコプターを飛ばすことを、彼らが許すはずもなかった。
 しかし、具合を悪くする住民が続いていた。そして、子供の患者も出てくるようになった。何か、蕁麻疹のようなのが子供の間に広がり始めたのだ。私の高校二年の息子の両目の瞼にも、何か黒いものができていた。
 親達は焦って、街の住民もヘリコプターに乗せて欲しいと言い始めた。ホームの方は、幾許かの料金を払ってくれれば良いと快諾した。それで、このことについてあの高校で臨時総会を開くことになり、毎年春の定例総会への出席率は低いのに、この度は体育館を借りなければならない程に住民が集まった。侃侃諤諤の討論が起こったが、意見がまとまるはずもなく、多数決にしようとの案を町内会長が出しても、町内会は全員一致が基本だという者なども出て来たせいで、定例会の際と同様に、各々の主張を一応聞いて議事録に残して終わりということで収まりそうになった。ところが、オブザーバーとして来ていたあの土地の所有主である寺の住職が、突然すくっと立ち上がって、合掌し、お経の声で淀みなく言った。
 「仏様が空からお救いに来られるのです。」
 会長は、しどろもどろになりながらもその機会を逃さなかった。
 「賛成の方は挙手してください!」

 すぐに、病人の搬送の滞りは解消された。長老達も文句を言わなくなった。事がうまく運ぶのを実感すると、自分達は反対などしていなかったかのように積極的になった。

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