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『列子』楊朱篇について

『列子』楊朱篇は、楊朱の思想を紹介したものと説明される事が多い。一方で先秦の書らしくないという疑問の声もあり、南北朝時代ごろのものとされることもある。

この篇には達生篇という別名もあり、そちらの方がもっともらしいように思える。というのも、楊朱の話ばかりを扱っているわけではないし、他の篇にも楊朱は登場するからだ。思想が似た話をまとめた結果、楊朱の出番が多くなっただけかもしれない。

『列子』は長い年月をかけて加筆されてきたと考えられており、古い文章も新しい文章もあるようだ。確かに、手の混んだ説話を除くと、先秦の諸子百家の言行録に似ている。だから『列子』には、楊朱の思想が残存していると考えている。

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