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聖帝が地位を譲った理由

堯が天下を治めてから、50年が過ぎた。〔堯は本当に〕天下が治まっているのかどうか、自分を〔天子として〕推戴することを、人々が望んでいるのかどうかが分からなかった。左右の者に聞いたが分からない。政庁で聞いたが分からない。在野の者に聞いたが、やはり分からない。そこで、お忍びで街に繰り出すと、子供の歌が聞こえた。

「我ら万民が生きていけるのは、我が君のおかげ。知らず知らずのうちに、天の法則に身を委ねている」

堯は喜んで「その歌は誰が教えたのか」と聞いた。子供は「長老から聞いた」と答えた。その長老に聞くと、「古い詩です」と答えた。堯が宮殿に帰ると、〔もう自分が天子でなくても構わないので、〕舜を呼び出して地位を譲った。舜も断らずに受諾した。


これは『列子』仲尼篇にある説話だ。『論語』泰伯編にも、堯はただ天に従ったと記されている。そうした伝説を元にして、無為の理想を説いたものだろう。『老子』17章にも、「最も良い君主は、民衆にその存在を知られているだけだ」とある。

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