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名誉に囚われるな 今を楽しめ

粥子は「名誉を捨てれば悩むことはない」と言い、老子は「名誉は実質の後追いだ」と言う。しかし、人々は名誉を求めて止まない。名誉は捨てられないのだろうか。名誉を後回しに出来ないのだろうか。

今(の世の中を見れば)、名誉を得れば栄達するし、そうでなければ屈辱を受ける。栄達すれば気楽だし、屈辱を受ければ苦悩する。苦悩するのは(人の)本性に逆らうことで、気楽なのは本性に従うことだ。どうして名誉を捨てられるだろうか。どうして名誉を後回しに出来るだろうか。

ただ、名誉に囚われて実質を損なうのは嫌だ。名誉に囚われれば、身を滅ぼしてしまうかもしれない。どうして(それが、)気楽や苦悩などという程度に収まるだろうか。


この文は、『列子』楊朱篇の末尾にあるものだ。しかし、名誉を軽視し、快楽を重んじる楊朱の思想としては違和感がある。もしかすると、これは篇の締めくくりとして、列子が付け加えた言葉かもしれない。

ところで、列子の説話は救いのある結末が多い。それは、楊朱の「今を楽しめ」という、楽観的な思想の影響かもしれない。

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