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不滅のものなど無い

太古の出来事は滅んだ。誰にそれを記せるだろう…(それなのに)仮初めの名誉を自慢し、そのせいで自分の心身を苦しめ、死後数百年の間に名を残した所で、朽ちた亡骸を潤すに足りるだろうか。人生を楽しんだと言えるだろうか。


『列子』楊朱篇にはこのような話があり、他にも歴史軽視の姿勢は散見される。ところで、『老子』には一度も故事が引かれていない。それどころか、固有名詞すらない。32章と66章には「江」が見えるが、それを長江に限定する必要はなく、漠然と大河を示したものだろう。老子は楊朱の思想を引き継ぎ、読者が過去に囚われないように、自らその思想を徹底したのではないか。

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