レムリアとは?聖書的世界観の復活 4
レムリアが神話的世界観を形成する、それが聖書的世界観になるのは、現在の世界が西洋主導によって築かれているからだと思います。
たとえば神話的世界観を持つ超古代文明が、レムリアでなくムーでもいいと思いませんか?
日本人なら、昔はムー大陸の方がメジャーだったはず。
70年代には「ムー一族」というドラマがあったり、オカルト雑誌「ムー」が70年代末に発刊されています。
私もレムリアンという存在を知る前は、90年代頃まで、オカルト関係でムー大陸の方をよく聞いた覚えがあります。
「レムリア」というのは、レムリアンシードを知るまでは、本当に知らなかったですね...
どうも、ムー大陸はアトランティス時代に関連づけられているみたいですね。
90年代まではノストラダムスの大予言が本気で信じられていて、かなりオカルト色が濃い時代だったので、ムー大陸も結構有名だったのですよ。
でもレムリアンシードが現れ、それが世紀末に米国人によってレムリアの神話と紐づけられ、超古代文明の存在が実在の物質とリンクされた。まるで超古代文明の記憶が現代に蘇ったかのように...
そうなるともう、後はどんどんレムリアの神話が繰り広げられて行く。
ムーに勝ち目はない気がします(笑)
そしてレムリアの時代を思い出す人がたくさん現れる。
それが本当にレムリアの時代かわかりません。
でも水晶がレムリアと結び付けられたことで、古い時代の眠っていた記憶がどんどん呼び覚まされていったなら、レムリアだと人は思うでしょう。
ただ、私はその記憶自体は嘘ではないのだろうなと思います。
民族の違いで、神話の世界は変わって来ます。
洪水神話が世界各地にあるように、神話の世界観はそれぞれの民族が同じような物語を持っていたりします。
その記憶が本当にレムリアかどうかわからない。ムーかもしれないけども、一旦レムリアと水晶が結び付けられ、それによって思い出された記憶は、レムリアの記憶になって行く。
そしてそれは同じ神話の世界観を共有して行くことになると思うのです。
それは聖書の世界観を共有するようなもので、文化侵略とは言わないまでも、結果的にその世界観に従うことになり、主従関係が出来上がって来ます。
レムリアの世界観に取り込まれて行くこと、そのまま信じることは、キリスト教の布教と似たような面があると思います。石を愛でるのとは別の話ですが、心に留めて置くといいと思います。
本当なら、レムリアだけでなく他にも超古代文明に対する神話的世界観が他の民族にも、何なら私たち日本人にもあってもおかしくはないと思うのです。
例えば縄文の世界観のようなものが、私がレムリアに見ていた世界観と共通するものがないでしょうか?
ふくよかなレムリアンシードの母体のような形は、縄文の土偶を思わせます。
レムリアンシードに現れるレムリアンレッジや多種多様なグリフは、縄文土器の紐の文様や、にぎやかなデザインと似ている所がないでしょうか?
このように、世界観は別の文化のフィルターを通して解釈することも可能です。
聖書的価値観に捉われなくても、レムリアンシードの情報を受け取り、レムリアではない世界観を共有することも可能だと思うのです。
そこに私たちのルーツというか、本質を見てもいいんじゃないでしょうか。
そしてレムリアンシードが平成と共にあったことを考えると、なぜか日本の時代の変化とシンクロしていることを考えると、レムリアに縄文的な一致や繋がりがある可能性もあるのではないかと思います。
私が衝撃を受けたのはバイーア産のレムリアンなので、私はきっとレムリアに縄文的な親しみを感じてて、それがバイーア・レムリアンにあるんだと思います。
アトランティス文明ぐらいまでは、有史以来の人類の歴史に連続性があるような気がします。
アトランティス的な建造物や都市国家は、エジプトやヨーロッパなど大西洋に近い地域に見られますし、映画などを通して西洋人の集合的無意識に、よく現れているように思います。
ただ大西洋から一番遠く離れた日本には、タワマンのような一部の建築物や東京のような都市を除き、あまりアトランティス的なイメージがない気がします...
Stone marbleは、レムリアンの持つ豊饒さに魅かれて、そのイメージを元にレムリアンシードを送り出して来ました。
ピュアレイ、レムリアン・ルーツと呼ばれるバイーア産のレムリアンシードには、レムリアンが持つ子供のような無垢さ、鷹揚さ、ふくよかさ、豊かさのイメージがあると思います。
Stone marbleとして、私が石を選び送り出す時にいつも気を付けていること、テーマにしていることは、豊かさ。
手にした方々が少しでも精神的にも現実的にも豊かになるように、色とりどりの鉱物や光り輝く水晶を手に入れ、届けています。
形や色が奇妙だったり、きれいなだけじゃない石もたくさんあると思います。
でもそういう石の中にも美があり、考えさせてくれるものがあるんですよね。
鉱物は色彩の代表みたいなもので、本当に色とりどりの豊かさがあります。
色には優劣もなく、良し悪しもなく、全てが私たちの構成要素であり、光と影の中にあるものです。
人間は光と影があって初めて世界を認識出来る。
光だけだったら盲目なんですよ。
そしてすべての色が、光と影の中にある。
全ての色が私たちに恵みとして、エネルギーとして、与えられているもの。
全ての色が光と影のグラデーションの中にあり、光と陰で物体は浮かび上がり、私たちの目はそれを認識します。
絵を描いたことがある人なら誰にでもわかること。
この色は悪いとか、闇だとか決めつけるのは、それ自体がそのエネルギーの情報や恵みを受け取ることを拒絶させている。
拒否している。
とても危険なんですよね。
たとえば、黒、赤、黄色など、下半身のチャクラの色。
これらの色を悪者にして、グラウンディングが出来るでしょうか?
大地の恵みを、本当の豊かさを受け取れるでしょうか?
そして、各々の色に感情があります。
その色を否定してたら、その色の感情のコントロールを失うことになりませんか。
たとえば、怒りというのは生存本能です。
怒りは手放すのではなく、コントロールすることが大事で、手放してしまえば、命の危険に繋がります。
生殺与奪の権を他人に握らせることになります。
私は鉱物の色のように、すべてのチャクラの色を受け入れて、自分の心と体、魂の歴史、人間が人間であることを受け入れ肯定したい。
ミジンコのような微生物から、人の体が複雑な組織とメカニズムで生まれたように
地球にやって来た魂が鉱物から植物、動物へと宿ったように
きっと試行錯誤もあったろうけど(笑)
今もその過程にあるかもしれないけども
人の退化した機能も進化している機能も、全て人を守るために必要なもので
そんな人間が背負って来た歴史、人間が生まれた歴史を肯定したいんですよね。
それこそまさに神業だと思うから。
だから、一人一人の人間が、誰もが神であっていいと思うし、別にそれは完璧を意味しない。
ポンコツが多いけれども(笑)、それならポンコツを作ったクリエイターだって大分ポンコツなわけで(笑)
人も自然も地球も宇宙も、神秘に満ちていて、神そのものなのだから
人の創造性も生命力も、その神秘の中にある。
そういう意識を持っていたいと思うし、Stone marbleはそんなお店です。
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