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aftersun

アフターサンを観た。フライヤーやなんやらがとても魅力的だったので、配信をずっと心待ちにしていたんだけど、ついにU-NEXTで配信されたのでお試し期間中に観た。
ありふれたノスタルジックな話だと思っていたけど、それは表面上であって、内実はおそらくもっと暗い。描かれている事象の判断材料はあるものの、決定的なことは作品の中ではあまり述べられない。だから必然的に観る人の解釈に依るところが大きい。それが良いか悪いかはともかく、思っていた内容とは少し違っていて、ちょっと肩透かしを喰らわされた感じ。
いわゆるノスタルジーが生み出す感情の強さは抗い難くて、それに押し流されるように過去に戻っていってしまうのが僕自身の常だけど、この映画のような過去の振り返りっておそらくあまり経験をしたことはない。
幼いころから何かずっと気になっていたこと、そしてそれが自分自身のあり方と大きく関係していたこと。この作品で扱われているような過去の振り返りはちょっとレアケースなのかもしれない。そしてそれは少しばかり辛いもののように思える。
よくある懐かしさとある種の辛さがないまぜになって、ちょっと複雑な様相を呈しているけど、それがこの作品の魅力になっているのかもしれない。

そういうわけだからというのでもないけど、もうちょっと時間が経ってからもう一度観たいような気がする。この映画を観て感じたことが、十分身体に馴染んだ後に再び観ることで、新たに感じられることがあるような気がする。

先日、恩師が他界された。恩師と言っても僕が勝手にそう思っているだけで、向こうはどう思っているか知らない。僕が昇任するときにはいろいろとお世話になった。職場が変わり、そして退官されてからも、年に一度くらいは僕と同じくお世話になった人たちと一緒に会ったりはしていた。
カリスマ性があるというか、上に立つ人たちにありがちなある種特異な傲慢さと視野の広さ、それゆえの細やかさのある人だった。プライベートに仕事を絡めるのは僕はほんとうに嫌なんだけど、この人の場合はそんなに気にならなかった。だから会う機会があれば可能な限り行くようにしていた。
膵臓癌が判明したのは今年の春くらいのことで、それから闘病生活を送っていたらしい。夏の終わりにそのことを人づてに聞き、慌てて会いに行った。抗癌剤の副作用で脱毛はあったものの、いつもと変わらず元気そうだった。それから3ヶ月後に他界された。
告別式は仕事で行けなかったので、通夜だけ行った。車で2時間くらい。焼香だけしてすぐに帰った。顔は見ることができなかった。あんなエネルギッシュな人がこの世界からいなくなってしまった。存在がなくなってしまった。ほんと嘘のようだ。

初めて人の死に不思議さを感じたのは、小学生の頃に近所に住んでいた年下の子の父親の死だった。彼の父親は、家の庭で時々その子とキャッチボールをしていた。もちろんその子の父親と話したりもしたことはなかったんだけど、たまに見かけるそのキャッチボールをしている姿がなんとなく印象に残っていた。
ある日、学校から帰ってくると、母からその子の父親が亡くなったことを聞かされた。交通事故だったらしい。その時僕は、あの父親がキャッチボールをしている姿を思い出した。そしてもうその光景を2度と見ることはないのだと思うと、とても変な感じがした。今まで確実に存在していたものが、こうやって突然なくなってしまう。そのことをうまく理解できず、何度もそのことを考えていたけれど、結局よくわからないままだった。たぶんそれは今でも同じだ。同じでしかない。
恩師の通夜からの帰り道、その時のことを思い出していた。

最近はアンビエントやポスクラなどを中心に聴いていたんだけど、これはひさしぶりに歌ものでよく聴いている人。プレイリストもつくって、車を運転する時はいつもそれを聴いている。メロディの流れていく先というか流れかたというか、曲の重量とでも言うべきものが、運転をする時の僕の心持ちととてもぴったりとくる。ひさしぶりのヘビロテ。

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