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夏休み日記 - 蕎麦 寺社 知床旅情
ここ2ヶ月、長期研修に参加していた。グループワークやらレポートやらいろいろこなし、最近それが終わった。やっと肩の荷が降りた。
そして夏休み、妻と一緒に蕎麦屋をめぐる近距離旅行をした。といってもだいたいは日帰りで行ける店を妻が探し、ついでにその近辺をうろうろしただけなんだけど。妻は蕎麦屋めぐりと一緒に御朱印集めもしているので、蕎麦を食べた後はどこか寺社に行くことがセットになっている。蕎麦と寺社とはもはや老境。
初日は福知山に行く。妻が職場の人にこのへんの蕎麦屋を教えてもらったらしい。このあたりは子が小さいころによく泳ぎに来ていた海水浴場があるせいか、風景がなんだか懐かしい。とても基本的な夏の感じがする。
蕎麦屋は「鬼そば屋」というところで、峠の国道沿いにある。店は小さく、店内はコスプレのような衣装や不思議なポスターが飾られていて、よくある蕎麦屋らしくない。しかも店主は見た目は男性だけど、プリキュアみたいな衣装を着ている。
どういう店なんだろう?と妻と不思議に思っていると、テーブルに置かれているメニューと一緒に、店主が作ったと思われるこの店の成り立ちをまとめた冊子や、酒呑童子の物語が描かれた絵本が置かれている。蕎麦を待つ間に読む。
どうやらこの大江山という地域は酒呑童子に関する言い伝えがあるらしい。酒呑童子はふらっとこの大江山を訪れそのまま住みつき、その人柄に周囲の者も次第に惹かれていくけど、それをよく思わない京都の中央の権力者が彼を鬼に見立てて成敗する、という物語だった。
そして、店主は生まれが関東で、ひょんなことでこの大江山の蕎麦屋の七代目を引き継ぐことになったらしい。自身を「なな姫」と名乗っており、いわゆるトランスジェンダーのよう。異質な存在としてこの大江山という山奥で生きていくことになった店主は、おそらく自分自身と酒呑童子の存在を重ねているようだった。
肝心の蕎麦はというと、とても美味しかった。鬼そばというのは昔からこのへんにあるものらしく、ちょっと太めでコシがある。出汁も美味しい。
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蕎麦を食べたあと、御朱印目当てに近くの元伊勢内宮大神社というところに行く。その近くにあった天岩戸神社にも寄る。ここは山の中にあるせいか、全然人がいない。このあたりは岩戸山というだけあって岩が多い。ちょっと秘境感がある。
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そのあと何か食べようかということになり、宮津市のほうに向かうとやたらと車が多い。調べてみるとどうやら今日は灯籠会と花火大会があるらしい。全然車も進まないのでしかたなく引き返す。
帰りの高速のSAで買ったバジルとワインがとても美味しかった。バジルは香りがとっても強く、車の中でもすごかったし、3〜4日の間は食卓に出されるたびにバジルの強烈な香りが部屋に充満した。
ワインは丹波ワインといって1500円くらいだったけど、甘めでのどごしも良く飲みやすかった。ワインがあまり好きじゃない妻も美味しいと言っていた。
2日目は奈良へ行く。評価が高めの蕎麦屋を狙ってたんだけど、予約制ですでにいっぱいだったので奈良市内の別の店する。ここの店構えは蕎麦屋にしては少し小綺麗で、女性の一人客もいたりする。
肝心の蕎麦はほとんど特徴がなく、まるで意図的に特徴を消しているかのようだった。だとしたら凄いけど、そんな必要はないだろうしたぶん違うのだろう。妻が注文した手挽き蕎麦は少し胃に重たかったらしい。
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蕎麦後は橿原神宮と神武天皇陵に行く。駐車場から本殿まで歩く。とにかく広いし暑い。しかも神武天皇陵はまた少し離れている。この広すぎる空間に鎮座する立派な建築物の美しさはたしかに印象的ではあるものの、それと同時に、どうしても「権力」という言葉が頭から離れない。
妻は柿の葉寿司を購入したいというので販売店に向かう。しかし途中のSAで買えてしまう。じゃあ奈良のクラフトビールをということで今度はその販売店に向かうものの、店の近辺は道が狭いし駐車場もない。奈良は京都以上に道のぐじゃぐじゃ感がはなはだしい。まあいいやということで結局ビールは買わず帰路に着く。
この日の晩ごはんは柿の葉寿司と途中で買ったバーガーキングだった。新旧ジャンクフード。
3日目は滋賀へ向かう。琵琶湖の中に竹生島という島があり、湖岸からフェリーで行くことができる。ここには神社があって、それが妻の目的のようだ。
昨日の奈良の無特徴蕎麦が重たかったから今日は別のものを食べる、と妻は言っていたけど、フェリー乗り場の近くにはどういうわけか蕎麦屋しかない。しかたなくまた蕎麦を食べると、ここのはとても美味しくて結局妻は満足していた。
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そして僕は店内でエンドレスにリピートされるこの曲に耳を奪われる。
この曲がどうしたのかというと、僕が生まれ育った所は結構な田舎だったせいか、町の伝達事項などは町内一斉放送で行われていた。その放送には各地区が任意に決めた曲が流れた後に伝達事項が伝えられるという決まりがあるため、ある曲が流れると「あ、この曲はあの地区の放送だな」という風に識別できるようになっていた。その曲の中のひとつがこの知床旅情だった。当時は毎日のようにこの曲を聴いていたけど、もちろん今では全く聴かないし、何十年かぶりに聴いた。
レイハラカミは言っている。
メロディーであったり、リズムであったり...と表層的な部分で認識しようとする人も多いとは思いますが、僕にとって『大切な音楽』になり得るモノは、『過ぎ去っていく時間を認識させられてしまう表現』と考えています。
— Oponch_kun_bot (@Oponch_kun_bot) September 22, 2018
加藤登紀子は普段全然聴かないし、知床の旅情に想いを寄せることも感じることももちろんない。でもこの曲は『過ぎ去っていく時間を認識させられてしまう』音楽でしかあり得なくて、そういう意味で僕にとってはむちゃくちゃ大切な音楽になっていることに気づかされる。この曲を聴くだけで、暮らしていた町の風景や、その風景から感じていた感情のようなものが、おぼろげながらもよみがえってくる。まるで記憶を喚起させる装置のようなものだ。
そして、レイハラカミも音楽についてこういうスタンスであることがちょっと嬉しい。
フェリーは乗るのはひさしぶり。乗船時間は片道30分くらい。ただただ湖が広がる風景が気持ち良いとしか言いようがない。気持ちが良すぎてなんにも考えられなくなる。
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肝心の島は神社があるだけ。ちょっとした階段を登り、島の岸壁にへばりつくように建てられている神社をぐるっと一周する。あんがい早く回れてしまい、時間つぶしに港の近くの店でかき氷を食べる。今日もかなり暑い。そして帰りのフェリーも気持ちいい。また頭が空っぽになる。港に着き、帰路に着く。
ある人にドラッグから復帰した後の chet baker はいいよとすすめられ、いろいろ聴いていたんだけど、この「leaving」という曲にやられてしまう。この人はどこかリリカルすぎてちょっと敬遠してたんだけど、このころの演奏になるとどれもなんだかくたっとした落ち着きがあって聴いていて疲れなかった。とってもしっくりきた。
ちょっとドローンを聴いていた
wilkes 関連。わりと聴きやすくて癖になってた。
この人もなんとなく聴いてた
最近気に入っているsteve gunn。これも良かった。