レイハラカミのこと
初めて聴いたのはくるりの「ばらの花」のリミックス。もともとばらの花は好きな曲で「ワールズエンド・スーパーノヴァ」のCDを買ったら、その中に入っていた。コロコロした音が気持ち良かった。岸田繁は「日本人にしては湿度のない音」みたいなことを言っていた。
京都出身ということで親近感がわく。蔦屋で何枚かCDを借りた。lustが一番良かったように感じ、こればかり聴いていた。特に一曲目の「long time」は大好きな曲だった。数少ない音なのに、音で空間が作り上げられているようだった。この曲でやられてしまった。
それ以来、気になる存在として何かにつけ聴くようになる。ある日、くるり主催の京都音楽博覧会でレイハラカミが出演することを知る。音博のチケットは購入しなかったけど、当時は会場の外でも中の様子が結構わかる状況だったので、子供と散歩がてら観に行く。
会場の公園に行き、中の様子を伺う。僕たちと同じように外で立ち見をしてる人達がたくさんいる。レイハラカミは髪をかきあげ、日中の野外なので「ブースのランプが見えない」とぶつぶつ言いながらプレイしている。僕と子供は近くの芝生に寝転がり、彼の音楽を聴く。
青空の下、彼の柔らかい電子音が鳴り響き、僕は鳥肌が立ちまくる。おそろしく気持ち良い。あの感覚が今でも忘れられない。結局あの感覚を求めて聴き続けているようなものだけど、凄いのはその貴重な感覚を何度か味わえたこと。あんな強烈な体験を繰り返すことができることに驚く。
それは、愛媛県宇和島市にある木屋旅館に宿泊した時のこと。町屋をリノベーションした一軒家を一晩貸切できる旅館。ここのフロアにかなり良いスピーカーが置いてあり、iPhoneを接続して聴くことができる。僕はここで何となくレイハラカミの「暗やみのいろ」を聴く。
この頃すでにレイハラカミは他界しており、僕はこの暗やみのいろと天然コケッコーのサントラばかりを聴くようになっていた。アンビエント色が強くなってきた彼の音楽が、とにかく心地良かった。lustのlongtimeの延長のようなものだと僕は思っていた。
そしてこの宿で聴くレイハラカミが無茶苦茶気持ち良かった。スピーカーの性能のせいもあるんだけど、恐ろしいくらいにその時の僕の在りようにはまり込んだ。このままこの音楽を聴きながらなら死んでも構わない、とさえ思った。それくらい気持ち良かった。
その体験も結局忘れることができず、僕はレイハラカミを聴き続ける。夏の暑い夜、マンションの屋上に行き、ビールを飲みながら京都の夜の町をぼんやりと眺めつつ、ヘッドホンで「暗やみのいろ」を聴く。音がまるで風のように頭の中を通り抜け、夜空に解き放たれていくようだ。
そんな夏の夜を何度も繰り返している。僕はその度に、音と一緒に夜の空に消えてしまいそうな感覚を味わう。そしてこれはかなりの確率で感じることができる。これが本当に凄いことだと思う。
感動の再現性の確実さ。音楽の力というか、レイハラカミの凄さというべきか。