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鬼滅の刃20巻 感想 嫉妬の炎とは太陽のまばゆい光か

ネタバレあります。
そのせいで読んでもらえなくなるかもしれないが、書きたくなったのだから仕方ないのです・・・!

鬼滅の刃20巻の感想を書いていきます。20巻全部についての感想ではなく、上弦の壱こと黒死牟と双子の弟である継国縁壱の関係性について書きたくなりました。

説明にもならない説明を簡単にしておきますと、
兄:継国巖勝(つぎくに みちかつ) →上弦の鬼、黒死牟となる 
弟:継国縁壱(つぎくに よりいち) →トップ画像の人
という双子の兄弟で、両者とも鬼狩りの剣士となります。

しかしながら、子供の頃から剣の面での才能は弟が圧倒的、兄弟揃って鬼狩りの剣士となった後も、弟が全ての「呼吸」の起源である「日の呼吸」の使い手になった一方で、兄はその派生型、「月の呼吸」しか使えるようになれませんでした。

ひたすら弟に対するコンプレックスと嫉妬心を肥大させていった結果、その心の闇を鬼舞辻無惨につかれ、暗黒面に堕ちてダースベイダー化するわけです(この闇落ちを1話くらい使って書いて欲しかった)。

非常に印象的なコマ&セリフがありまして。。。

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人を妬まぬものは運がいいだけだ
出会ったことがないだけだ
神々の寵愛を一身に受けた者に
全てを焼き尽くすほど強烈で鮮烈な 太陽の如き者に

自ら燃やした嫉妬の炎で焼かれるというよりは、嫉妬の対象がいつしか「太陽」となってしまい、近づこうとした自分が灼かれているだけなのではないかな、と(イカロス?)。

他人ならまだ良いのです。自分がソイツになれない理由を見つけることは容易いと思います。そもそも生い立ちが違う、という自分が納得できそうな言い訳を最初に用意できます。
これが兄弟、しかも双子の、さらに「弟」が太陽であったなら、その理由を見つけることは容易では無いと推測します。

嫉妬やコンプレックスの心理的メカニズムが、自分なりに新たに解釈できた1コマでもあります。
自分よりも優秀とか強いとか、もしかしたらそれはどうでも良いのかも。ただただ自分に無いものを持つ相手を「太陽」と考えてしまい、自分がその太陽に照らされ美しく光る「月」と考えることも出来ず、自らをその太陽の炎に灼かれて苦しむことが往々にしてあります。

この兄は太陽に照らされる「月」になれなかった・・・割り切ることが出来なかった。彼はどうしても「太陽」になりたかったんですね。

今年亡くなった野球の野村監督も、よく長嶋さんを太陽やひまわりに見立て、自らを月見草と喩えていましたよね。自分がホームラン王になろうが三冠王になろうが目立つのは長嶋茂雄ばかり、何故かまばゆい光を放つのは長嶋さんでした。
でもノムさんは、残した成績は長嶋さんとは比べ物にならないくらい凄くて、闇落ちすることなく彼は彼で「太陽」だったのではないかと思います。

なお、
この鬼となった兄と戦うのは、自らも双子の兄弟であった時透無一郎と、不死川兄弟というのも印象的です(もちろん悲鳴じまさんも忘れてない、でも漢字変換大変すぎる)。

不死川兄弟のメインで戦う方である実弥、無一郎は、実は兄弟のうち「優秀な方」なんですよね。だからお互いに何の共感も出来ないかもしれません。

個人的には、このメンツを当てるよりも、「模範的」長男である炭治郎と戦わせて欲しかった。
作品の最初に兄弟含めて惨殺されているため、弟が優秀だったか否かは分かりませんが、炭治郎は弟が優秀であっても嫉妬の塊になることは無いと思うのです。

圧倒的「お兄ちゃん力」、鬼狩り同期の善逸や猪之助、玄弥、カナヲを弟・妹のように慈しみ(炭治郎が一番年下な筈なのに)、本当の妹である禰豆子は命を賭して守ろうとします。

俺は長男だから兄弟を守るために頑張らないといけないんだ!という「長男教」にどっぷりとハマっている炭治郎なら、そもそも弟への嫉妬に狂った鬼となった兄に強烈に説教かましてくれると思いますし、その対比が面白かっただろうな、と(おそらく最後のキメ技は頭突き)。

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継国兄弟も、弟はあんなに兄を慕っていて、子供の頃にもらった笛を大切に死ぬまで懐に持ち続けていたにも関わらず、嫉妬により目が曇り、弟からの愛情が受け取れなくなっていた、本当に悲しい兄弟の物語でした。

ほんとに、吾峠先生はこういう感情の機微、悲しいすれ違いを描くのが上手い人だと思います。根底に流れる物語は悲しいけど、心に色々な気づきを与えてくれる、鬼滅の刃は本当に素晴らしい作品です。
少年誌の作品じゃないよね、と。

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