グローバルな?ウチの家族とドメスティックな自分
タイトルどおりウチの家族の話をします。
父親の話がないですが、この間書いたので仲間外れにしている訳ではありません。
我が家は自分以外、グローバルで活躍出来ちゃう・してきた実績のある人達です。そんな家族の紹介をしたいと思います。
1.謎のコミュ力を持つ「祖父母」
祖父は戦時中に満洲にて軍関係の仕事をしていたらしいです。中国語と英語が結構堪能だったと聞いていますが、亡くなってしまった今、確認できないのが残念。三国志を始めとする歴史本と競馬をこよなく愛する、ただのバクチ打ちでした。あ、これグローバル関係無いわ。
祖母は英語出来ないハズなんですが、息子(自分から見ると叔父)が住むニューヨークまで単身で遊びに行って、叔父が仕事から帰るとアメリカ人のドアマンと仲良く話していたそうな。
未だに叔父はどうやってコミュニケーションが成立していたのか分からないらしいですが(笑)、祖母は「あら、だいたい分かるわよ?」と。マジかよ。
祖母は後述する叔父と母のおかげで、欧米10カ国以上を観光して回ったグローバル婆ちゃんです。決して外国語は出来ませんが、何故かコミュニケーションが成立する謎の能力を持っていました。騙されることも無く。
祖母も亡くなってしまった今、その謎は明らかになることはなく、ロストテクノロジーになりました。
祖母が和服を着て、母がローマ観光に連れ回した時、
「イタリア人ってやっぱ素敵。御飯食べるのに財布要らんかったわ。みんな奢ってくれた」
ですって。50年前ですけどね、イタリア人ってやっぱ良い人達なのか年齢問わず女性に優しいのか和服が珍しかったのか(ERIKALINさんが謎を解いてくれる、きっと!)。
2.都会大好きな「叔父」
叔父は前述のとおりニューヨーク勤務で同時通訳の資格も持つ人です。今では定年も過ぎて日本に引き上げていますが、家族の中で最も海外暮らしの長い人です。
叔父はヨーロッパよりもアメリカ大好き・NY大好きな人で、今は北海道に住んでいますが、マンハッタンのような都会の空気が大好き、というコンクリートジャングルで疲弊した我々には俄に信じがたい人です。
だって東京に来るたび、「あぁ、この都会の空気たまんないね!」って言うんですよ信じらんない。
自分が住む某「霧の街」を「計画停電の街」と評しています(街の明かりが(東京に比べて)無いという意味)。
北海道より東京好きな人っています?しかも空気の方。
3.40年前のパリを知る「母」
母は今では御歳70超えですが、若かりし頃はルフトハンザのCA(当時はスチュワーデスという呼称でした)としてまさしく世界を飛び回る人でした。
今でこそ歳に勝てないと弱気な発言も増えましたが、ほんの数年前に一緒にドイツ〜フランス旅行した際、パリのサントノーレ通り(rue Saint-Honoré:日本で言う銀座や丸の内仲通りのブランドショップ街)を約40年ぶりに訪れて、
「40年前と比べて、パリのエスプリは失われたわね」
とカフェでタバコの煙をくゆらせながら言う姿を見て、海外のカフェでインスタ映え写真をあげているどんな女性と比べても、こんなに格好良く気高い女性はいないだろ、と感嘆したものです。
40年前のパリを語れる日本人女性なんて、そこら辺に居ないもんね。
(もちろん後でエスプリとは何ぞやとググったのは言うまでもない)
ちなみに母の意図はだいたい分かります。銀座が銀座であることのエスプリを失い、丸の内仲通りが代わりにそれを保っている理由と同じです。
なお、母は若い頃にルイ・ヴィトンで黒のシックなバッグを買おうとしたところ、
「アンタにはコッチの方が合ってるわ」
と店員は頑として赤のバッグしか売ってくれなかったそうな。
諦めきれなかった母は、「ドイツ人で年下の」友人に頼んで買ってきてもらったとのこと。
「今でも使ってるわ、そのバッグ。昔のヴィトンは質もデザインも最高だったから、末長く使いたかったのに分かってもらえなかった。たぶんアジア人差別とかじゃなく、若僧に見られて、赤の派手な色をチョイスされたんだと思う」
それくらい、一流ブランドがプライドを持って良い意味でお高く止まっていた頃の話です。
「いくらお金を持ってようが、アンタに似合わないバッグをチョイスしたらルイ・ヴィトンの名誉が傷つく」
きっと、ルイ・ヴィトンを始めとするブランド自体がエスプリを失い、サントノーレ通り全体がエスプリを失った、と母は言いたかったのでしょう。傲岸不遜に思われても、空より高いプライドを持ってくれて構わない、その価値に見合う人間になって買いに来るから、と。
4.比べて3代目はグローバル人材にほど遠く
祖父母から数えて3世代目となる自分は、残念ながら英語力は生活が何とか出来そうな程度、そもそもお米の無い生活を2日と続けられない食の嗜好もあって、海外生活なんてどうせ無理と諦めているドメスティックな人間です(外国人と話すの大好きですけどね、楽しいし)。
だって「日本の米は世界一」ですし(農水省公認の超名曲)。
ウォシュレットの無いトイレなんて考えられないし(TOTOはもう少し世界展開を頑張るべき)、などと出来ない理由を並べ立てる使えない人材の典型例となっていますが、一応日本国を憂い、何らか変革を起こしたいと思って国家公務員になった20代前半のあの頃から、辞めた今でも志だけは忘れていません。
ホントだよ!( ゚д゚)
一応、スペイン・イギリス・ドイツ・フランス・アメリカ・・・と色々行ってきましたが、、、行った上でアカンと判断していることを付け加えておきます。でもまた行きたい。矛盾の塊。
5.我々とはきっと違うモチベーションの源泉
祖母や母、叔父に共通して言えることは、チャレンジ精神の塊みたいな人達であり、アメリカ、ヨーロッパが日本より優れた点が沢山あってそこで学んで自分を成長させたい、そんな魂に溢れていたからなんだ・・・と思っていたんですよ。
でもよくよく動機を聞いてみると。
「貧乏育ちだったから早くお金を稼ぎたくて、最も稼げる仕事がたまたまCAだっただけ。(今のCAさんは可哀想、あんな安月給で、しかも国際線もフライト先で遊ぶ時間もない。私の時代は本当に良い時代だったよ)」
母はそう語ります。
チャレンジ精神というよりはハングリー精神の方が近いのでしょうか。
でも、どんなに歳をとっても好奇心の塊だった祖母から生まれた母と叔父なんで、未踏の地へのあくなき好奇心と言うのは備わっていたのだと思います。
何よりも、お金稼ぐためとは言え、狙いどおりCAに、しかも超グローバルエアラインのCAになれちゃうオカンすげぇよ。
結論 すげえ家族に囲まれて大変でしたけど幸せです
子は親を超えてこそ一人前と聞きます。
正直な話、高校〜大学は家族の誰よりも良いところを出ましたし、就職先だって(国民の敵だけど)キャリア官僚だから申し分無いハズ。辞めた今だって一応グローバル企業の(英語の出来ない)一員ですし?
でも、人としてのスケールの大きさとか、豪快さとか、肝の座り方とか、人間力で未だに超えることが全く出来ていない事を悔しいと思うよりは「いや無理でしょ、やっぱウチの婆ちゃんやオカン達すげぇわ」と改めて尊敬する次第です。
この文章で言いたかったことは、「ウチの家、凄いでしょ?」ってことです。学歴とかじゃなく、その身に宿るスピリットの強さがハンパない、そんな家族の紹介でした。
うん、冒頭に父は仲間外れじゃないと書きましたが、このフレームワークには入らないことが良く分かった、ゴメンお父さん!とお空に向かって謝ってみる。
残念ながら、もう母と叔父しか生きていないのですが、大切にしていかないとね。行動が伴ってなくてゴメン。
長文になりました。
長々と我が家の自慢話?にお付き合いいただき、ありがとうございました。