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飛行機が落ちない理由を信じる理由が、僕にはない
窓際の席に座る。
僕の隣には、見知らぬ誰かの肩がある。彼――たぶん彼だろう――はイヤフォンをつけたまま、眠っているように見えた。前方のスクリーンには、どこか牧歌的な風景の映像が流れている。滑らかなアナウンスが聞こえ、飛行機はふわりと空に舞い上がった。
僕はその瞬間、いつも思う。
「どうしてこの鉄の塊が、空を飛んでいるのだろう?」
いや、それ以前に、「どうして僕はこれが空を飛び続けると信じているんだろう?」
重力。地球のルール。僕たちを大地に繋ぎ止める見えない力。それは僕の膝や、隣の席の人の肩にまで、確かに存在しているはずだ。なのに、この鉄の塊――飛行機――だけが、なぜかそれを無視している。重力に逆らって進むその姿には、何度見ても魔法のようなものを感じてしまう。だけど、僕はそれを疑おうとはしない。なぜだろう?
理解できないものを「飼い慣らす」能力
飛行機が空を飛ぶ仕組みを、完全に説明できる人はどれくらいいるのだろう?たとえば僕は、「揚力」という言葉を聞いたことがあるけれど、正直その内容についてはほとんどわからない。空気の流れがどうとか、翼の角度がどうとか、そういう話だった気がする。だけど、どんなにわからなくても、僕は飛行機が飛び続けることを疑ったことがない。
思えば、人間はこういう生き物なのかもしれない。「理解できないものを飼い慣らす能力」とでも呼べそうな特技を持っている。たとえば、テレビの仕組みを理解している人なんてそう多くないはずだ。でも、スイッチを押せば画面が点くことを誰も疑わない。スマホだってそう。僕らはその仕組みを知らないまま、平然と使いこなしている。
でも、飛行機の場合は少し違う。テレビやスマホは僕らの快適さを支えているけれど、飛行機は「命」を預ける存在だ。それなのに、なぜ僕らはこんなにも安心して座っていられるのだろう?まるで、窓の外に広がる雲を眺めることだけが自分の役目であるかのように。
これが「信じる」という行為の凄さなのかもしれない。
「科学技術は魔法」説、あるいは魔術師
アーサー・C・クラークは言った。「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」。飛行機もまた、その魔法の一つだろう。ただし、この魔法には少し不思議な点がある。
普通、魔法には「畏怖」がつきまとう。魔術師の杖や魔女の呪文には、どこかしら神秘的で怖れを感じさせるものがある。でも、飛行機にはそんなものがない。むしろ、空港での搭乗案内や、席の上にある読書灯のスイッチに至るまで、僕らの感覚に馴染むよう作られている。日常の一部のように。
なぜだろう?たぶん、飛行機という魔法を操る魔術師たちが、僕たちのすぐ近くにいるからだ。科学者、エンジニア、整備士、パイロット――飛行機を支える人々の顔が思い浮かぶ。その数は、魔術師というにはあまりにも多い。だから僕たちは「魔法」ではなく「技術」だと錯覚し、飛行機を当たり前の存在だと思い込む。
でも本当は、彼らの手による「現代の魔法」なのだろう。
飛行機に命を預けるという行為
飛行機に乗ること。それは単なる移動手段ではない。「命を預ける」という行為でもある。普段の生活で、僕らはこんな大胆なことをするだろうか?
たとえば、誰かが作った吊り橋を渡るとしたら――その橋がどれほど安全か疑うはずだ。でも飛行機は?宙に浮くことが仕事で、しかも地面よりはるか高い空を飛ぶ。その異質さを前にしても、僕たちは安心して座り、ジュースを頼み、映画を観る。
これって、すごいことじゃないだろうか。
自分を信じる力、そして「委ねる」ということ
飛行機に乗るたびに感じる「信じる感覚」は、どこかで自分自身にも跳ね返ってくる。「僕は何を信じているんだろう?」と。
たとえば、僕らは日々の暮らしの中で、どれほど「自分を信じて」いるのだろう?人間関係や仕事、日常のルーティン。信じるという行為は、結局「委ねる」ことと紙一重だ。そして飛行機という存在は、その両方を同時に体験させてくれる。
僕たちは飛行機を信じている。その信頼は、間接的に「この世界はちゃんと動いている」という大きな前提を信じていることの証でもある。
なぜ僕らは飛行機を「信じる」のか?
飛行機が空を飛ぶのは科学技術の結晶だけれど、それを信じられる僕たちの「心の仕組み」もまた、人間の進化の結晶なのだと思う。
飛行機を信じる力。その裏には「理解できないものを受け入れる心」がある。そして、それが実は僕たちの日常のすべてを支えているのではないか?
あなたにとって、飛行機に限らず「信じているけどよくわからないもの」は何ですか?それを考えること――それが、飛行機という現象の向こう側にある、人間らしさに気づく鍵なのかもしれません。